05. ゲーム開始イベント「入学式」
いよいよゲーム開始イベンドが発生した。してしまった。
これが来る前に、神殿に避難するか、もしくは婚約を解消しておきたかったのに!
目の前には、入学生代表として挨拶を述べるヒロイン。ストロベリーブロンドに、赤みがかった茶色の瞳。この色は、きっとマホガニーというんだろう。
人間とは思えない黄金比率で計算されたような造作。日本人ゲーマーの需要に答えると、もはや人も人ではなくなってしまう美しさ!
最近のファイナルFシリーズを見てみよ!あれがゲームの世界の人間の顔なのだ。
いや、実際これ、普通じゃないでしょ。天然でストロベリーブロンドなんていない。赤い目だって、遺伝子性疾患以外はないぞ?西洋人をなめんなよ。彼らもみんな普通の人間だ。こんな色彩はまずない!
「あれが、サラ・オーランドか。噂通りの美人だな。お前、負けてんぞ」
ヒロインの挨拶が終わり、彼女が自分の席に戻るというとき、カルが私に耳うちした。
本当に耳に息がかかるくらいに近くで話すので、つい顔が赤くなってしまう。
「余計なお世話。よかったね、評判どおりで。スタイルもいいし」
私は赤くなったことをカルに悟られないように、表情を作ってにっこり笑ってみた。
本当は笑うどころか、泣きたい気分だったけど、でも、ここではダメだから。
第一王子と大聖女のカップルは、どこにいても見世物、いや、注目の的だ。こういう式典はいつも壇上に座るので、全校生徒がこちらを見ていると言っても過言ではない。
さっきのカルの仕草も、一般生徒から見れば、婚約者と仲睦まじくささやきあっているように見えたかもしれない。
別に仲が悪いわけじゃないけど、睦まじいわけでもないのに。
今まさに、カルロス第一王子はヒロインとの出会いを果たした。他の攻略対象たちも、もちろんこの会場にいる。
そして、ヒロインと恋に落ちる準備に入ったんだ。
「なんだよ、少しは妬くかと思ったのに。つまんねえ反応」
どこの国に、こんな粗野な口をきく王子がいるっていうんだ!日本人のラテン男像、なんか間違っていると思う。全員がA・バンデラスじゃないんだぞ!
「しーっ!カル、聞こえるよ。次、挨拶でしょ。みんな見てるよ」
優秀な第一王子は、お約束通りに学園でも生徒会長だし、こういう式典では王族としての挨拶もある。
王族の正装はなぜか軍服。萌えを意識した設定としか思えない。
クロを基調にした、詰め襟に金ボタン。何よりもオレンジ色のサシュと呼ばれる襷のような帯とリボン状の勲章、その上の肋骨あたりにつく星章は、いかにも高貴な雰囲気を醸し出している。
カルはラテンの男らしく、黒髪に黒い目だけれど、その容姿はとても整っている。ワイルドではなく繊細で優美な美形。それでも、背は高いし、鍛え抜かれた身体は、着衣越しでも分かる。
これで、モテないはずはない。
実際、この学園の女生徒は、うっとりと壇上のカルに見惚れている。そして、カルも王室のイメージを壊さないよう、人前ではものすごく猫かぶる。
「分かってるよ。これも王族の責務だろ。任せておけって」
そうだね。知ってる知ってる。いつもお役目、頑張っているもんね。本当は、堅苦しいのが嫌いなのに。
そういうところも、カルは偉い。だから、私も負けられない。
聖女には、最後に新入生に祝福の奇跡を与えるという責務がある。なんのことはない、守りのまじないのようなもので、たいした力は使わないけれど。
華麗な挨拶を披露した後、割れんばかりの拍手が収まるのを待って席に戻ってきたカルが、ついっと私の手を取った。
あれ?こんなの式次第にあったっけ?
どうやら、聖女の挨拶へのエスコートをしてくれる気らしい。私の手を引いて、また壇上の中央へと戻る。
どうしたんだろう。今まで、こんなことなかったのに。
いつまでもカルが手を離してくれないので、私は彼の手に自分の手を重ねたまま、右手で裾をつまんで深々とお辞儀をした。
もちろん、会場は静まり返って、息をするのもためらわれる厳粛さ。
なんというか、バルコニーで暴徒を前にお辞儀をした、マリー・アントワネットの気持ちが分かった気がする。生贄になった気分だ。視線だけで殺されそう。
私だって一生徒なのに、聖女の式服を来ている。白一色の飾りの一切ないドレス。でも、裾も袖も先端が広がっていて、絶対に走って逃げられない服装。
まあ、力があるから、攻撃されても反撃はできるけど。
ラテンの黒くて濃くてカールした髪が多い中で、全く癖のない直毛の銀髪。瞳はこの国の日差しには耐えられないような紺碧。
ダーウィンの進化論なんか無視した、どう見てもモブから一線を引くために作られた特別キャラ。それが私だ。
これは、いかにもそれらしい感を出すための、たぶんゲーム演出家のこだわりだと思う。
そして、私の毒は、この静謐にして神聖な姿にある。意地悪するだけが悪役令嬢じゃない。むしろ、こういう侵し難い存在こそ、ヒロインには目の上のたんこぶなのだ。
「この学園に、幸多からんことを」
決められたセリフを棒読んで、私は神の力を掬うように、手を胸の上あたりに持ち上げた。
さすがにカルはそのときは手を離してくれたけど、その場を去る気はないらしい。
たしか、この祝福の儀式の最中に、ヒロインは貧血で倒れるはず。
でも、それを助けるのは、カルじゃない。さすがに全校生徒の前で、婚約者の私を置き去りにして、ヒロインを助けにはいけない。
そういうのは、もっとイベントをこなした後で、カルの高感度がガツガツに上がってから。
ここは、別の攻略対象者のアピール場面だ。
「シア、祝福だけだ!癒やしまではいい」
カルの声で、私はハッと正気に戻った。
ゲームのイベントのことを考えていて、うっかり力の調整を忘れていた。
手からはドライアイスの煙、じゃなくて神力が溢れ、会場には森林のマイナスイオン・シャワーのような、柔らかな癒やしが降り注いでしまっていた。
「あ、やばっ」
私は小声でそうつぶやくと、力を収めた。その瞬間、クラっとした立ちくらみに襲われた。
あ、まずい、祈りもせずに力だけを使いすぎてしまった。
祈りというのは、つまり森羅万象から力を集めるためのものであって、それを怠ると自分の中の貯蓄が減る。
これは、なんだろう。たぶん、気功とかレイキとか、そういうのを参考にしたんだろうとは思う。
でも、言うほど簡単なことじゃない。誰にでもできる簡単なことだったら、そもそも聖女なんていらないし。
私はなんとかお辞儀をして、儀式を終了させた。
すごいぞ、私。人間、気力でなんとかなるものだ。今日もきちんと、聖女のお勤めは果たせた!
それでも、足元がおぼつかず、よろよろと椅子のほうへ異動しようとした私を、カルが片腕で支えた。
会場からため息が漏れる。傍から見れば、婚約者の腰に手を回した、仲良しアピールに見えるだろう。
「ばか、やりすぎだ。俺にもたれろ。支えてやるから」
「うん、ありがと。ごめん」
カルにそう言われて、気が抜けてしまったのか。急に目の前が暗くなって、足から力が抜けた。
あ、私、倒れるんだ。ヒロインじゃなくて、私が倒れてどーする。さすが悪役令嬢、こういう邪魔の仕方もあるのね。転んでもただじゃ起きないってこれか。
そのとき、入学式の会場となっている講堂に、女子生徒たちのきゃーっという悲鳴と、男子生徒からのどよめきが轟いた。
え?何?事件?テロ?
私がパチっと目を開けると、なぜかカルのどアップだった。そして、えーと、たぶん、キスされている?
いや、違う、これはマウス・ツー・マウスだ。救命救急法の人工呼吸!違っているのは、口から注入されているのは、酸素ではなくて魔力ということ。
仰向けに倒れた私を、片膝立ちで抱えながら、大勢の前でキスするとか、これはなんの演出だ!
カルメンか!カルメンだな!くー、この世界、スペイン好きすぎるぞっ!
セビリアのタバコ工場で働く美しいジプシーの娘カルメン。彼女に誘惑されて捨てられたドン・ホセは、愛の深さゆえの独占欲でカルメンを刺してしまう。
最後の場面で、死にゆくカルメンに最後の口づけをするドン・ホセ。あのオペラの演出、こんな感じだったよね。
セビリアには舞台となった旧王立タバコ工場があったけれど、思った以上に立派。素晴らしく重厚なバロック様式の建造物だった。
あんな石造り、日本だったら耐震構造なしで危ないったら!西洋に歴史的建造物が多いのは、やっぱり地震がないからだろうなあ。
そういえば、ヨーロッパではジプシーをロマと呼んでいた。その響きからRoma=Romanianだと誤解されることがあるらしく、ルーマニアの人には好まれない話題だ。
実際、どこの国の人というのではなくて流浪の民。中央アジア近辺の混血なんだと思う。
カルの魔力のおかげで力は戻ってきたけれど、公衆の面前でこんな羞恥を晒して、とても平静じゃいられない。
朝礼でおしっこをもらしてしまった小学生の気分だ。もう無理!逃げるが勝ち!
そして、私は意識を手放した。さすが聖女だ。力が戻れば、自分の体も思うがまま。
気を失う直前にちらっと見えたヒロインは、元気そのもので心配そうにこっちを見ていた。
どうやら、癒やしの力が効いてしまったらしい。
彼女が倒れないなら、イベントも発生しない。うっかりとはいえ、フラグをバッキバキに折ってしまった。
イベントの邪魔をしてしまって、本当にごめんなさいっ!わざとじゃないから、断罪しないでぇ。
カルメンみたいに、このまま死んじゃえたらいいのになと思いながら、私はカルの腕の中に身を投げた。