43. ゲームじゃない世界を生きること
「アリシア!見違えたな。胸も腰も立派じゃないか。ダイナマイト・ボディだ!」
「お兄様は……相変わらずですね。破廉恥もここに極まれり、という感じです」
それが生後四ヶ月の子を抱えて、兄の即位式典にわざわざ出向いた妹への第一声?
分娩で骨盤が開いたんだし、授乳で胸はパンパン。色気よりも食い気に走るこの頃だ。肉付きがよくなってもしかたないじゃないか。
それにしても、ニコ兄は健在だ。女を胸と尻でしか見てないのか?この人のこれは病気なので、一生治らないだろうけど。こんな皇帝で大丈夫なのか、この国は。
「義兄上、皇帝即位式典にお招きいただき、ありがとうございます」
「遠くまですまなかったね。アリシアを連れて旅なんて地獄だろう。言うこと聞かないからなあ。迷惑をかけるね」
あの日、隣国の援軍と共に王宮に到着したお兄様は、勝手に戻ってしまった私に延々と説教をした。それはもう永遠かと思うくらいにしつこく。
死にかけた後なんだから、もっと優しくしてくれてもいいと思ったけれど、もちろんそんな容赦はなかった。
驚いたことに援軍指揮をしていたのは、王女様ではなくて王子様だった。隣国の国王の腹違いの弟で、ニコ兄の重臣になることが決まっているらしい。
まさかと思うけど、ニコ兄って両刀使い?男色家?気になったけれど、そこはあまり追求しないでおいた。怖いから。
「去年の夏のことも、秋のことも、それなりに反省していますわ。私に自覚が足りませんでした」
「へえ、少しは王族らしくなったな。やっぱり母になったおかげか」
後ろに控えていた侍女の腕の中で、小さな赤ん坊がうにゃあと声をあげた。
「ええ、この子がアルフォンソ。お兄様が守ってくださった子ですわ」
「かわいいなあ。血は争えないね。私にそっくりじゃないか」
四ヶ月になる息子を手渡すと、ニコ兄は大切そうに腕に抱いて目を細めた。
それは微笑ましい光景だけど、血が争えないならニコ兄には似てないでしょう。意味がさっぱり分からない。私とニコ兄は、血の繋がりはほとんどないに等しいんだから。
「お兄様にも、早くお子様が授かるといいですね。皇后不在では不都合でしょう?ご結婚はされないのですか?」
「うーん。一人に決めるのは、いろいろと問題があってね。どうしても後継者が必要なら、候補はすでに何人かいるし。別に急いで皇后を立てなくてもいいんだ」
やっぱり、どうしようもない男ですね、お兄様。あちこちで種をばらまいて、ボロボロ子を成すなんて、言語道断!後でお家争いに発展しても知りませんからね!
華やかな即位式典なのに、ニコ兄の周りは流麗な男たちでガッチリ固められていて、女性は全くいない。
やっぱり今は、そっちの趣味にはまっているんだろうか。衆道? そんなもん知りたくないから聞かないけど。
「お兄様、いい大人なんだから、やんちゃもオチャメもほどほどにしてくださいね。女の恨みは怖いんですよ!早く身を固めて、落ち着いてください」
「ははは。皇帝に向かって小言を言えるのは、世界広しと言えどもアリシアだけだな。こんな妹がいる私のところに、嫁ぎたいと思う女性はいないだろう。私の婚期が遅れているのは、お前のせいだな」
なんという失礼な!私を口うるさい小姑扱いとは!この恨み、忘れまいぞ……。
そう思ってカルを見ると、なぜか神妙な顔で目を伏せていた。なあに、それ。ニコ兄は義理の兄なんだから、カルからもガツンと言ってやっていいのに!
「妃がですぎたことを申しました。陛下の寛大な御心に感謝いたします」
もうっ!これじゃ、私が失言したみたいじゃないの。どう見ても正論はこちらなのに!
まあ、今日はニコ兄の即位祝典だし、少しだけ大目に見てもいいか。
「お兄様にも、早く幸せになっていただきたいんです。私の大事な家族なんですから!」
私がそう言うと、ニコ兄はとても嬉しそうに笑った。憎らしいけれど、この笑顔に落ちない女性はいないと思う。
だから、きっと、いい人がすぐに現れるだろう。できたら、ゾフィー様と元サヤだと嬉しいけど。
私が幸せを願ったニコライお兄様は、その後も妻を娶ることなく、生涯独身を貫いた。
後継者問題が出たときも庶子を名乗り出るものはなく、結局は私の息子を養子にした。
お兄様は最初から、自分の帝位は一代限りと決めていたらしい。前皇室の血を引いた私の子に、帝位を譲りたいと思っていたようだ。
彼が若くして病で没した後、帝位を継いだ息子が形見として分けてくれたのは、ずっと昔に私がプレゼントしたナザール・ボンジュウのピアスだった。
それには丁寧に修理した跡もあって、ニコ兄は亡くなるまでずっと身につけてくれていたらしい。
病だったら、私にまだ残る聖女の力で癒せたかもしれないのに。ニコ兄はずっとそれを隠していたらしい。
私の息子が立派に成人し、帝位を継いだのを見て安心したのか、ほんの数日寝付いただけで、あっと言う間に逝ってしまった。
彼の最期の様子を聞いたとき、私は声を上げて泣いた。泣いても泣いても、涙が止まらなかった。
「見たかったものはみんな見た。もう何も心配はない。私の役目は終わったんだよ」
ニコ兄は息子にそう言って、息を引き取ったそうだ。私にこのピアスを残して。
私はニコ兄に愛されていた。そして、私も彼が大好きだった。私たちは本当にこの世で二人っきりの兄妹で、かけがえのない大事な家族だったのだ。
幸いだったのは、ニコ兄の最期を看取ったのは、私の息子とゾフィー様だったことだ。
結婚をすることはなかったけれど、ゾフィー様は私の息子の世話役として、ずっとニコ兄の宮廷に仕えてくれていた。
ニコ兄は家族の大きな愛に包まれて、苦しむことなく、静かにその短い生涯を閉じたのだった。
私と同じようにこの世界に転生したサラちゃんは、宮廷医となった養護教諭の先生の助手となり、医師となって私たち家族の健康を守ってくれた。
乙女ゲーム転生のことには触れることはなかったけれど、ニナと同様に生涯にわたって私の大親友となって、多くの時間を一緒に過ごした。
ヒロインとして攻略したわけではないはずだけれど、彼女は幼馴染の弁護士と結婚した。そして、その彼も後には裁判官となってカルの治世を支えてくれたのだった。
それは、革命家として波乱の人生を遂げる幼馴染ルートとは、全く違う結末だった。この世界はゲームのシナリオじゃなく、生きた人間が紡ぎ出しているのだと、彼らがその人生で教えてくれた。
養護教諭だった先生は、宮廷医として勤務を続け、今も変わらず独身だった。もちろん、王宮の診療室も女性の出入りが激しく、たくさんの令嬢が先生にアタックしては、散っていった。
でも、そんな華やかな女性遍歴もそろそろ終わりかもしれない。私の娘の猛アタックに、超年の差カップルが誕生するのは遠い未来のことではなさそうだ。
でも、この話はもちろんカルには内緒。バレたら大反対するだろうし、まとまるものもまとまらない。カルは娘たちを溺愛しているのだ。
歳を重ねても、カルの愛は非常に重くて暑苦しく、その熱は冷めることはなかった。私が彼との間に六男四女を授かったことを見ても、それはなんとなく分かっていただけるだろう。
それでも、ずっと一人ぼっちだった私に大家族ができたのは、カルのおかけだった。
父も現役を引退したあとは、王宮で孫の相手をしてのんびりと過ごしている。向こうで父を待つ母も、きっと喜んでくれているだろう。
優しい夫とかわいい子供たち、守るべき国民と愛する大地。この国の土となるまで、私はこの素晴らしい人生に感謝し続けると思う。
「カル、約束でしょ。おばあちゃんになっても、踊りに連れていくって言ったじゃない!ヨボヨボになっても、ステップだけは忘れないって」
「しょうもないこと、よく覚えてるよな。分かったよ、今夜はお忍び決定だな。髪と目の色を変えるぞ」
ほんのときどき、政務にわずかな暇ができると、私は必ずカルをタブラオに誘った。子どもたちを乳母にまかせて、夜遊びに出るのだ。
年に一回くらいしか機会はないけれど、あのお店の常連さんたちは私たちの正体に気づかないフリをしてくれて、いつも楽しいときを過ごした。
ドレスはいつも黒。大ぶりの赤い花柄プリントが、いかにもスペイン・テイストだ。フラメンコ衣装じゃないけれど、マーメイドドレスっぽいデザインもお気に入り。
娘時代のものはさすがにサイズが合わないけれど、それでもこれを着るとカルと初めてデートをしたときのときめきを思い出して、胸が熱くなる。
そして、タブラオで踊った後には必ず離宮に泊まって、私たちは愛を確かめ合う。
不器用な恋から始まった私たちの物語は、こうして結末を迎えることなく、未来へと繋がれていく。
「シア?泣いているのか」
「……幸せだから」
「愛しているよ。一生、愛し続けるよ」
「私もよ、ずっとずっと愛しているわ」
人生はゲームじゃない。セーブもリセットもできない。だから、そのときそのときの一瞬を、間違えないようにして生きていきたい。
自分が最善だと思う道を選んで、後悔することなく進んでいく。それが、誰にでも与えられた、生きることの意味。
「あのね、私、面白いゲームをしたことがあるの」
「へえ、初耳だな。カード?」
「ううん。人生ゲームみたいなもの。そこでは私は悪役令嬢だったの」
「悪役令嬢?なんだい、それ」
「ヒロインを邪魔するひどいお嬢さんのことよ。最後は婚約破棄されて国外追放になるの」
私の話を聞いて、カルは深い溜息をついた。え、何?その反応ってなんなの?
「それか。シアが昔うるさく、婚約破棄婚約破棄と言ってた原因は」
「う。そうかもしれない。そんなに言ってた?」
「言ってたよ。もうそのゲームは禁止な!二度とやるなよ。子どもたちにも教えちゃダメだ。教育上悪い」
「……うん。わかった」
そうだね。人生はシナリオ通りにいかない。だからこそ価値があるんだから。
温かいカルの胸に顔をうずめて、私は黙って目を閉じた。この温もりは私が自分で選び取ったもので、ゲームの賞品として与えられたものではないんだ。
「暖かくなったら、ひまわり畑に行きたいな。連れていってくれる?」
「そうだな。子どもたちも連れていこう。あそこは海でも泳げるし、たまには勉強から離れるのもいいだろう」
私たちは微笑み合い、しっかりと抱き合った。頭を撫でてくれるカルの手は、いつまでも変わらずに優しい。
そうだ、子どもたちにお願いしておこう。ときが来て私が逝ったら、あそこに灰を撒いてほしいと。大好きなこの国の大地に還るために。
ゆるやかなまどろみが訪れて、私はそのまま目を閉じた。明日もまた頑張ろう。そう思いながら、やがて幸せな眠りの中へと落ちていった。
―――― 完 ――――