40. 運命の日 (カルの視点)
運命の日が明ける。この国の行末を左右することになる、長い一日が。
「殿下。これでいいでしょうか。着慣れないので、しっくりこないのですが」
オーランド嬢が聖女の正装で現れた。
シアよりも凹凸がある体つきだし、髪の色も違うのに、一瞬シアが戻ってきたような錯覚を覚えて、思わず抱きしめたい衝動に駆られた。我ながら重症だと思う。
「いや、十分だ。髪を少し変えさせてくれ」
オーランド嬢のふわふわとしたストロベリー・ブロンドを、サラサラとしたストレートの銀髪に変えた。
それだけのことなのに、シアを思い出して苦しくなった。
情けない顔を見せたくなくて、俺はオーランド嬢に背を向けた。この期に及んで、シアに未練たらたらなのは、さすがに女々しすぎる。
「殿下、シア様は大丈夫ですわ」
「そうだね。ありがとう」
明け方に国境の街から戻ったセバスチャンから、無事にニコライ皇帝陛下にシアを送り届けたと報告を受けた。
陛下は聡明な方だから、きっとすぐにシアの体の変化に気が付くだろう。あの人には、お腹の子ごとシアを受け入れるだけの度量が、いや、愛情がある。シアも子も、皇帝の庇護の元で、幸せを見い出すはずだ。
「君は、これでよかったのか?シアの身代わりになるなんて、命の保証はできない。今からでも遅くない。気が変ったら、すぐに逃げてくれていいんだ」
「いいえ、私はここにいます。私がシア様のためにできることは、これくらいですから」
もうすぐ、正門が解錠される。そして、開放された庭園は、民衆で埋め尽くされる。王族は二階部分のバルコニーへ出て、手を振ってみなに挨拶をする。ごく普通の公式行事だ。
だが、今回はいつもとは違う。おそらく、その場で何かが仕掛けられる。
父上は民意に耳を傾けたいと言った。一方的に押さえつけるような統治はしないと。だから、何があるとしても、逃げたり隠れたりはしないと。
それならば、俺ができるのは、父を守って盾となることだ。ここで父と共に民に正面から対峙し、その心を掴むことができなければ、俺に立太子する資格はない。そして、それは同時にシアを永遠に失うことになる。
だが、もし失敗した場合は、命が危なくなるだろう。そんな状況になったときに、もしもシアが側にいたら。あいつは迷わず自分を犠牲にする。
俺のためにシアを死なせることはできない。そんなことになるくらいなら、俺は自分で自分を殺す道を選ぶ。
「大丈夫ですよ。きっとすべてがうまくいきます。そうすれば、またすべてが元通りです。シア様は殿下のもとに戻ってきますよ」
シアにもう一度会うため?いや、そうじゃない。たとえシアにもう会えなくても、一人の犠牲も出さないように、今日を乗り切らなくてはいけない。
それが俺の王族としての役目だ。民の命を守るのが、上に立つものの義務なのだから。
「サラ、俺にもしものことがあったら、シアに伝えてほしいことがあるんだ」
「縁起でもないこと言わないでください!そんなことを言うなら、その願いは聞き届けられませんね。ご自分で直接、シア様に伝えてください」
「はは。相変わらず厳しいね。そうだな。そうしようか」
シアにもう一度会えたら。そのときには、伝えたいことはたくさんある。
こうすると決めてから、シアの顔を見るのすら辛かったのに、今はその姿を一目でいいから見たいと思う。ほんの数時間前に別れたばかりなのに、もうシアに会いたい。会いたくてたまらない。
『悪いことばかりじゃないのよ。生きているときは、会ったらお話しようって思うでしょ?でもね、今はいつでも話しかけられるのよ』
そうだね、シア。俺は今、心の中でずっとお前に話しかけている。そして、俺が死んだら、きっとお前と子供の声が聞こえるんだろう。
返事はできないけれど、きちんと聞いているから。気が向いたらでいいんだ。俺を思い出してほしい。たまに声が聞けるだけで、それで俺は幸せだから。
ドアがノックされて、セバスチャンが入ってきた。正門が無事に解錠されたという報告だった。今のところ、不審な人物は見つかっていない。
「国王陛下と王妃様は、すでに準備のために部屋に入りました。お二方もご入場を」
「承知した。サラ、なるべく後方に控えて、顔を見せないように、扇で隠してくれ。何があっても、前には出ないように。いいね?」
「はい」
オーランド嬢は、シアが狙われていることを知っている。彼女の幼馴染の弁護士は、民衆側に混じって後方支援をしてくれる。それでもシアの代わりにオーランド嬢を狙わせるわけにはいかない。
「では、行こうか」
オーランド嬢に手を差し出すと、彼女は申し訳なさそうに、その上に手を置いた。そして、俺たちはバルコニーのある部屋へと、ゆっくり移動した。
部屋の中には、父上と母上、そして、今回のことを知っている重臣と側近、警備、万一のときのために司祭と医師が集まっていた。養護教諭も末席に控えている。
「父上、母上、紹介します。シアの代役をしてくれる、サラ・オーランド嬢です」
「サラ・オーランドと申します。本日はよろしくお願いいたします」
事前にシアを逃がすことは、すでに了承済みだった。ただし、オーランド嬢を身代わりにすることに、母はずいぶんと反対した。
「あなたがサラさん。王家の事情に巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」
「いいえ、そんな!私は望んでここにいるんです。聖女の代わりはできませんが、シア様役はやり遂げてみせます。ご安心ください」
「本当にすまないね。危なくなったら逃げなさい。それだけは約束してほしい」
父上はそう言うと、オーランド嬢に誓いを立てさせた。これは国王の強制力が効く魔法だった。
これを受けない限り身代わりはできないと諭され、オーランド嬢は渋々だが誓いを立てた。これでいい。
「さあ、それでは、窓を開けよう。民衆が私たちを待っている」
バルコニーに続く窓が開かれ、群衆から歓声が湧く。いつもと同じ公式行事の風景だ。国王と王妃が中央に立つと、二人を称える民衆の声が聞こえてきた。
バルコニーには結界が張ってあるので、攻撃されたとしてもすぐに死ぬことはない。シアが最終的な狙いなら、俺がバルコニーに出たときに事は起こる。
「王子が出たぞ!あいつがカルロスだ!」
「聖女だ!聖女を奪い返せ!俺たちの宝だ!」
「聖女様ぁ!助けてくださいっ!」
「王子のせいだ!王子のせいで聖女様は堕落した!」
「やつは聖女を独り占めしようとしている。私腹を肥やすつもりだ!」
「聖女様をないがしろにした浮気者だ!」
「聖女様!癒やしを!浄化を!」
群衆の中から怒号が上がる。芝居がかったセリフ。不自然にばらまかれた配置。
明らかに敵方の陽動作戦だ。歓声が少しずつ止んで、動揺を含んだどよめきに変わる。
「そうだ、そうだ!聖女様を隠しているのは王子だ!」
「祈祷の巡業を止めたのは王子だと聞いた!貴族で独占するためか?」
「聖女様の力を出し惜しみして、俺たち貧乏人を抑圧する気だ!」
「俺ら医者に払う金なんてねえ。聖女様の祈祷がなかったら、病人は死んでいくだけだ!」
「特権階級のいる王都だけ特別か!地方では祈祷もなかった!差別だっ」
夏の地方視察への聖女不参加と、最近のシアの体調不良による祈祷停止。代替として司祭に祈祷を頼んだが、大聖女ほどの治癒力はない。
民衆が密かに不満を持っているとは聞いていたが、それがこんな風に利用されるのか。
集団は酔いやすい。その心理をうまくついた作戦だ。だが、シアに対する執着には言い訳できない。聖女としてではなく、恋人として遇していたのは事実だった。
「国民よ!何か誤解があるようだ。不満があるなら、私が聞こう!」
民たちと真摯に対話ができるようにと、父上は結界を解いてから、直にそう呼びかけた。だが、誰も何も言わなかった。彼らが文句を言いたい相手は、国王ではない。
つまり、この危機を引き起こしたのは、俺だ。政務を怠って、恋愛にうつつを抜かしていたところで、足をすくわれたんだ。
「父上、これは私の失態です。皆への話は、私からさせてください」
俺がそう言うと、父上は励ますように私の肩に手を置いてから、母上と後方へ下がった。そして、オーランド嬢の前に、彼女をかばうような形で立ってくれた。
「皆に問う!君たちにとって聖女とはなんだ?無限の力で、無制限の癒やしを施してくれる、神のような存在か?」
シアはいつもギリギリまで自分を削って、祈りの奉仕をしている。力は無限なんかじゃない。無茶をすれば、寿命が削られる諸刃の剣なんだ。
「彼女は神じゃない。人間だ!力には限界があり、無理をすれば命を削る」
ときどき、彼女は精霊じゃないかと思った。この世の人間じゃないと。
だが、そうじゃない。あいつは人間だ。食べて、寝て、排泄する。休まなければ疲弊し、生命力を使い切れば死ぬ。
「多くの民を救って死ねるなら、彼女はそれを本望だと思うだろう。そういう美しい魂を持った女性だ!」
シアはいつも否定するけれど、俺は知っている。どんな病や怪我も癒やせるようにと、血を吐くような厳しい修行で力を磨いていたことを。
「そんな過酷な責務から、彼女をすこしでも解放したいと思った。普通の17歳の女の子が望むようなことを、普通にさせてやりたいと思った」
あいつに限界が近づいていたのを知っていた。だから、早く聖女から降ろしたかった。
結婚すれば、それができると思った。俺の考えが浅はかだったんだ。
「それは王子ではなく、私個人の望みだ。愛する女性を守りたかった。絶対に死なせたくなかった!」
そうだ。俺はシアを、聖女としては見ていなかった。子供の頃からずっと、生まれたての赤子のように脆くて儚くて、守ってやらないとすぐに消えてしまう女の子だと思ってきた。だから、シアには過保護だと怒られていたのだ。
「すべての責任は私にある!言ってくれ。君たちは私に何を望む。彼女を守れるなら、私はこの命ですら惜しくない。その代わり、残った皆が彼女を守ってほしい。彼女の聖女の力を悪用せず、彼女に幸せな人生を送らせてくれ。頼む」
そう言ってから、俺は民衆に向けて頭を下げた。
そして、その一瞬の後に、一発の銃声を聞いたのだった。




