04. 神殿に避難したい
祈祷巡業の後は、王宮に宿泊することになっている。たぶん、聖女と王子との親交の機会としての意味もあるんだろうけど、そんな体力的な余裕はない。
特に、ゲーム開始イベントの「入学式」が近づいてくるにつれて、疲労が半端じゃなくなっている。
きっと、精神的なストレスのせいだ。
いつも、夕食もそこそこに寝室へ引き上げてしまうけれど、カルは特に不満を言うこともない。
まあ、もう長い付き合いだし、今更、親交もへったくれもないんだけど。
きっとこれは、大聖女が正神殿に住んでいたころの名残。正神殿は信仰の総本山として他国にあって、そう簡単には行き来できないからだ。
ゲーム作家のイメージとしては、正神殿は教皇がいるバチカン的なものなんだと思う。
神殿に仕えるものは未婚が原則で、つまりは男女の交わりで穢れていない者だけ。
これはどう考えてみても、カトリックの聖職者と同じ設定。神父もシスターも、男女の繋がりを超えた存在とかなんとか……だしね。
神殿はとにかく禁欲の世界。肉欲を戒める地下反省室には、自分で自分に使う鞭もある。厳格すぎて、怖い。
自己申告可とはいえ、信仰的に神様はなんでもお見通しということなので、嘘をついて神殿に仕える罰当たりな者はいない。
いや、いないと思うんだけど、本当のところは謎。だって、確かめようがないもん。
昨夜も、カルは私を寝台に下ろすと、いつものように部屋を出ていった。やっぱり何もなかった。
そりゃそうだ、聖女と何かあったら、それはまずい。
聖女の任期は18歳まで。それまで、私は清らかな身でいる必要がある。神殿に住んでいなくても、身分は聖職者だから。
私の場合、誕生日よりも先に卒業パーティーが来る。聖女のままで婚約破棄なら、正神殿に行けばいい。どんな罪状でも、あそこなら治外法権だから、殺されることはない。
カルが私に死刑を宣告するとは思わないけれど、ゲームの強制力というものがあるという。それは前世ではある意味でお約束だったし、何が起こるかわからない。
「ちゃんと眠れたのか?睡眠不足は美容に悪いらしいぞ。お前だって、それ以上は崩れたくないだろ?」
「おかげさまで!たっぷり眠ったので、肌もつやつやになったよ。お気遣いありがと。余計なお世話だけどね」
お勤めの翌日は、カルと一緒に朝食をとり、そのまま一緒に学園の寮に戻る。
今日も朝から、カルは一言多いけど、私を気遣ってくれていると思うと、胸がジンとしてしまう。我ながらチョロい。
それにしても、王宮のベッドはすごくいい!グッスリと朝まで爆睡……いや、熟睡できる。王室御用達っていうのは、やっぱり質が違うんだと思う。
なんだか、神力も回復しているみたいで、本当に元気になった気がする。
それに、この場所。いつも朝食は中庭で食べるのだけれど、ここは本当に癒やされる。
太陽の光も、鉢植えの緑も、こぼれんばかりに咲き乱れる花も。クロワッサンやコーヒーのいい匂いも、みんな好き。
スペインは美しい中庭を持つ建築で有名だ。白亜の壁や回廊に囲まれた中庭はパテオという。
このゲームもそれを模倣してるから、王宮にもいくつものパテオが存在する。
そして、このパテオはたぶん、第一王子の専用なんだと思う。王子と王子妃のための。
花が一斉に咲き誇る朝もいいけれど、月が出た夜の美しさは筆舌に尽くし難い。
日本人女子が憧れる、ロマンチックのシチュエーションががっつり詰まった乙女ゲーム。
ヒロインは月夜の晩に、このパテオで王子の愛の告白を受けるのだ。
そう遠くない未来に、それは起こる。そう思うと、せっかくの美味しそうな朝食にも、全く食欲が沸かなくなってしまう。
私はヨーグルトだけに口をつけた。
「シア、本当に大丈夫なのか。人間、食べないと死ぬぞ」
「ごめん、ダイエット中なの。見逃して」
うまく笑って言えたはずなのに、カルは納得したようには見えなかった。そんな顔されると、私はどうしていいか分からなくなってしまう。
でも、本当に無理。もう何も食べたくない。
「じゃ、何なら食べられんだよ?食べたいものはないのか?」
「プリンかなあ。プルプル冷たいやつ。卵とお砂糖とミルクを混ぜたのを固めてね。焦がした砂糖でつくったカラメルがかかってるの。黄色と茶色のコントラストがきれいで」
あ、やばっ。この世界には、プリンなんてない。似たようなものでクレームブリュレっぽいのがあるけど、あれは甘すぎるし、プルプルしてない。
案の定、カルは考え込んでいる。なんと言っても大国の王子。食べたことのないものなんてないんだろう。その中にプリンなるものを探しているのかもしれない。
「これ、創作お菓子なの。ダイエット中にお菓子はまずいわ。忘れて」
「菓子ねえ。そんなもんじゃ、腹は膨れないだろ」
まあね。でも、他には思いつかないんだもの。
とにかく、早く、このどっちつかずの状況から抜け出したい。先が決まってしまえば、きっとそれで諦めもつく。
「あのね、私、学園を辞めて、正神殿で暮らしたいんだけど」
「は?なんでだよ。学園に何か問題があるんだったら」
「ない!ないよ。私、今ちょっと体調悪いし、その、神のご加護がある場所のほうが、癒やされるかなって」
「お前、神なんか信じてないだろ。今更、何言ってんだよ」
あ、そうだよね。バレてるよね。
だって、前世日本人の記憶持ちだよ。宗教とか信仰には疎くなるし、どちらかというと無宗教。
でも、聖女が無宗教とか教義的にどうなの?
「うーん、その、信心が低かったので、えーと、神様の罰があたったのかも?」
苦しい。この言い訳は苦しすぎる。
聖女に天罰が下ってどうするんだって話でしょ。それはもう、この宗教の教義自体の崩壊だよ。神の恵みの力を使うのが、聖女なんだから!
「とにかく、正神殿はダメだ。あそこに入ったら、簡単には手出しできなくなる」
え、何それ。まさか、断罪の件?やっぱり、国外追放とか、死刑執行とかくるの?
やだな。カルにそんなことを命令させるくらいなら、いっそ自害して果てたほうがいい。
「怖いこと言わないでよ。たださえ不安なんだから、これ以上ビビらせなくても……」
「だから、何が不安なんだよ。それが分からないと、対処できないだろ」
カルはいらいらと、前髪を掻き上げた。
その通りなんだけど、言えないよ。ここはゲームの世界で、カルは攻略対象で、ヒロインと恋に落ちる。だから、いずれ訪れる婚約破棄が怖い……なんて。
「それは、その、婚約が……」
「婚約の、何が不安なんだよ?」
「えーと、カルはいずれ立太子するでしょ。そしたら、王太子妃とか王妃とか、私にはちょっと荷が重いというかさ。もっと楽して、のらくら生きるのが、私らしいっていうか」
うん。真っ当な言い訳だ。これならいけるかも。
怠惰な女じゃ、カルの伴侶は務まらない。ヒロインみたいな優秀な人だったら、王族の大役もきちんとこなすだろう。
ちらっと、カルのほうを見ると、なぜか固まっていた。フォークを持つ手が、かすかに震えている。もしかして怒ってる?
「カル、どうしたの?」
「楽してのらくら生きたいって、お前、あんだけ努力して修行して、さらに戒律が厳しい正神殿で暮らそうって。全然、筋が通ってないだろ」
「え、そうかな。そうだった?」
やっぱダメか。そりゃそうだ。今、ここで思いついたことだし、論理的に破綻してたな。
へらっと笑った私を見て、カルは深い溜息をついた。
「とにかく、正神殿行きはなし。婚約も解消しない。お前は俺と結婚する。これでこの話は終わりだ」
あーあ、今週もまたダメだった。来週にはもうイベントが始まってしまうのに。
カルの言葉を聞いて、私はがっかりして、ヨーグルトを食べていたスプーンを置いた。
もう何も、胃に入りそうにない。