32. 世界史のお勉強
「噂以上に美しい方だ。私の恋人になりませんか?」
舞踏会でメヌエットを踊りながら、耳元でそう囁いたのは隣国の王。カルの従兄弟だから見た目は悪くないのだけれど、中身は大違いだ。
「お戯れを。王妃様とは、国では主従関係でした。臣下の身で寵を争うなど、分不相応なお話ですわ」
「貴方は妃の国では公爵令嬢だが、ニコライ殿の皇妹。身分に劣るところはないでしょう。それに、結婚と愛は別ですよ?」
カルの姉の夫の恋人になるとか、ありえないんだけど!それって愛人でしょ?
だいたい、他国の皇妹に愛人ポジはなしでしょうよ、国の力関係的に。頭悪いね、この人。それとも、お兄様にマウント取ってるつもりなの?
「陛下には、ご寵愛の公妾方にお子様もたくさんいらっしゃるとか。私のようなつまらない者はすぐに飽きられてしまいますわ」
「そんなことはありませんよ。貴方が望むなら、王都郊外に建設中の宮殿を差し上げよう。宰相が案内をしたはずだが、お気には召さなかったかな」
「美しい宮殿でしたわ。鏡の間も素晴らしかったです。庭園の完成を待ってお披露目だとか。ずいぶんと早い施工だと、兄も感心しておりましたのよ」
「金さえ払えば、いくらでも人は動くんですよ。貴方にも好きなだけ贅沢をさせてあげよう。国庫には金が余っていますから」
「もったいないお言葉ですわ。ですが、私は聖女ですので、清貧を好んでおりますの」
やっぱり、この男の強みは財力だな。あとは精力?ニコ兄と変わらない年なのに、庶子が多いというのは後継者問題が出てくるかも。この代で崩れるなら、宮廷内の権力争いだろう。
あの宮殿を建設しているということは、イメージとしては太陽王か。フランス革命は彼の二代後だ。
「話がはずんでいるようですが、そろそろアリシアをお返しいただけますか」
「これはこれは、皇帝陛下。妹君はなかなかお堅いですなあ」
「彼女には婚約者がおりますので。彼に操を立てているんですよ」
「ああ、我が従兄弟殿か。カルロスによろしく伝えてくれ」
彼の母はカルの大叔母。何代にも渡る政略結婚で、同盟国としては強固な友好関係を築いている。王政も磐石だし、味方としては悪くない。
だからと思って、国王陛下の求愛をやんわりと拒否していたものの、なかなかしつこかった。
ニコ兄、いいタイミングで助け舟を出したね。よしよし、合格!
「お兄様、ありがとうございます。あの方は、かなり手ごわくて」
「彼は好色だからなあ。ずいぶんと粘っていたね」
「建設中の宮殿をくださるそうですよ。お金はあるみたいですね」
「そうだね、この国を動かすのは、金以外のものだ」
「なんでしょうか?」
「そうだな。金では簡単に買えないものだろう。所有していることを自慢できる絶滅危惧種とか。お前の聖女としての希少価値は随分と魅力だろうね」
「私は珍獣ですか! ご冗談でしょ。ありえません」
「だろうな」
ニコ兄はすごく楽しそうだ。何がそんなに愉快なのか知らないけれど、私は夏中、各国の宮廷でこんな恋愛駆け引きみたいなことばかりをしている。正直うんざりだ。
「では、ゾフィーの国はどうだった? 何で動く? 」
あの国は、イメージとしてはドイツの神聖ローマ帝国だ。事実上解体しているから、その皇女を母とするカルにも優位はない。むしろ皇帝の権威は弱まっているので、縁戚として援助を求められる可能性のほうが高い。
実際、各諸侯の主権と自治が認められているので、小公国が集合体になっているようなものだ。
おとぎ話に出てくる「隣国の王子様」とか「各国の姫たち」は、この時代のこの地域を舞台にしているんだろうな。
「皇帝陛下は、帝国の再生を望んでいました」
「具体的には?」
「お金でしょうか。皇女様の嫁ぎ先から、定期的な支援を取り付けたいはずです」
「それだけかい?」
「逆に皇太子妃は持参金の額で選ばれますね。諸侯を束ねるために、大金が必要ですから」
皇女様たちは幼く、他国に嫁いでも子を成せるまでに五年は必要だろう。それならば、優先されるのはリッチな皇太子妃選びだ。
「お妃を選ぶために、舞踏会を開くそうです。各国の王皇女や国内有力諸侯の公女を招待していると聞きました」
「アリシアにも招待状が届いているよ。出席するかい?」
「皇帝になったばかりのお兄様に、それほど持参金を払えるとは思えませんが?カルとの婚約が不履行になれば慰謝料も必要です。金欠でうかつに参加すれば、お兄様が恥をかきますよ」
「鋭い指摘だね。確かに我が国はまだ国内が混乱しているから、他国に払う金はないな」
お金があっても、そんな『婚活ダンパ』みたいなのには参加しませんけどね! 妻になる女性を大勢の候補者から選ぶとか、俺様男が優位のえげつない設定。女にだって夫を選ぶ権利はある!
まあ、あの国の皇帝もカルの従兄弟。王家の政略結婚強いわ。皇太子も外見は悪くないから、舞踏会は女たちの熾烈な争いになる予感。それはちょっと見てみたかったかな。
お兄様の元婚約者、ゾフィー様も参加されるんだろうか。お兄様で手を打っておいたほうが、まだよかったと思うんだけどな。
「では、島国についてはどう思った?」
あそこか。イギリスがモデルになっている暴君の地。王は好色で残忍だと聞いていたけれど、実際は小心者だった。攻撃は最大の防御という感じで、国力が安定しないことの隠れ蓑にしてるっぽい。
「宗教改革をしたとはいえ、新旧教の折り合いがついていませんね。切れてしまった神殿との関係の修復に、聖女の力を熱望していました。国内統治に利用したいんでしょう」
「なるほど。あそこは海に囲まれた自然の利があるからな。他国との関係よりも自国の安定が優先か」
「むしろ外国の介入を嫌っているようでしたね。国外から継室を取る気もなさそうでした」
まあ、そうだよね。島国はどこも閉鎖的だ。他国との政略結婚で国境を守る必要もないし。
だから、同盟国としてはイマイチ。いざというときに頼りにならないなら、放置決定!
「半島には正神殿がある。お前にとってはいい場所だったかい?」
「全然!お膝元とは名ばかりですね。あそこは都市ごとの自治が確立していますし、共和国の元首は世襲ではありません。公国はかろうじて体面を保っていますが、頼れるような力はないですね」
「アリシアは手厳しいな。まあ、私もほぼ同意見だね」
イタリア地方も統一されていない。ドイツとほぼ一緒だ。ここも王子や姫が乱立する地域!実際は公子とか公女なんだろうけど、まあ、日本人からしてみればみんな同じだ。
うーん、前世で言えば、県知事の娘がみんなお姫様で、息子が王子さまな感じ?
「では、私はどの国と手を結ぶのがいいと思う?」
「簡単ですわ。皇妹の私がカルに嫁げば、大陸諸国を背後から牽制できます。お兄様がこの国の王族を娶れば、莫大な金銭援助が得られますね。気に入った方はおりました?」
なんといっても、この国は子沢山!国王の姉妹は腹違いだけけれど、みな母后の猶子になっている。さすがカルの大叔母様は賢い。外交の手駒は多いほうがいいものね。
「うーん。まあまあだね。何人かと適当に寝てみたけれど、慣れすぎてて面白みがなかったよ」
「は?もう手を出したんですか?呆れましたわ」
「ひと夏のアバンチュールだよ。単なる遊びだ」
貴族の令嬢だけじゃなくて、王女様までニコ兄の毒牙に!各国の宮廷って、どんだけ乱れているんだ。
勉強とか仕事してんの?遊んでるだけじゃ? そりゃ、革命だって起こるよ!税金の無駄遣いだし。
それにしても、どの国もこんないい加減だなんて!私は聖女だし、学園を卒業するまでは社交界にもデビューしない。だから、宮廷生活とか知らないんだけど、もしかして、うちも似たりよったりなの?
そう言えば、カルもかなり遊び慣れてる感じじゃなかった?まさか、今も私のいない間に、他の女の子と色々としてるなんてことはないよね?地方視察って、げ、現地妻がいるとかじゃ?……許せん!
「カルロスの浮気の心配か?顔に出てるぞ。そんなことを気にするくらいなら、お前も夏を楽しんだらどうだ?気に入った貴公子は、一人もいなかったのかい?」
「いませんでした。みんなクズですわ、お兄様を筆頭に!」
ニコ兄はそれを聞いて、本当に楽しそうに笑った。
憎らしいけど、この笑顔にはどんな女も落ちる気がする。こんな人が始終側にいるんだから、そりゃ、まともな男は寄ってこないよ。来るのは勘違いしてるバカばかり!まあ、男除けにはなってくれたけど。
「まあ、いいよ。明日にはもうこの国を発つ。異教徒の国を回って、お前をカルロスのところへ送ってやるから。今回は本当に色々と助かったよ。一緒に来てくれて、感謝している」
「お兄様のお役に立てて光栄ですわ。私もすごく勉強になりました」
「それはよかった。いいかい、アリシア。なんにでも必ず、表と裏が、原因と結果というものがある。うかつに判断してはいけないよ。自分の目で耳で確かめて、よく考えるんだ。それがお前を、正しい方向へ導く鍵になる」
お兄様の言う通りだ。目でみて確かめるということは、本当に大切だった。おかげで得意だった世界史も、すっかり忘れているって分かったし。これで少しはカルの助けになれるかも。
それにしても、まだ異教徒……イスラム教圏が残っていたか。そうだ!トルコに行くなら記念にお土産を買おう。カルと、それからニコ兄にも。
私はトルコの有名な魔除けのお守りを思い浮かべた。カルとニコ兄に、この先どんな災いも降りかからないようにと。心からそう願っていた。




