03. 婚約者は幼馴染
「おい、少しは食べろよ」
「いらない。もう疲れすぎて、胃が受け付けない」
王宮に用意された聖女の部屋には、毎度のことで豪華な晩餐が用意されている。一日がかりの苦行を労うつもりかもしれないけれど、そんなことよりは横にならせてほしい。
「昼食もほとんど食べてないだろ。あんなに力を使ったのに」
「私のことはいいよ。カルが食べなよ」
「俺の話をしてるんじゃないだろ。ちゃんと聞いてんのか」
「無理。もう何も聞こえないから」
疲労で会話をする気にもなれず、私は適当にそう答えた。殿下に対して不敬に聞こえるかもしれないけれど、人がいないところではいつもこんな感じだった。
私たちが初めて会ったのは十歳のときだ。それから約八年。腐れ縁というか、なんというか。一般的には幼馴染という区分に入るんだと思う。
だから、憎まれ口は叩いても、別に仲が悪いというわけでもない。今でも、プライベートでは互いを愛称で読んでいる。昔からの癖なので、これはどうしようもない。
五年前に私の聖女の力が目覚めるまでは、私たち普通に友達だった。年齢も同じだったし、いろいろと一緒にいる機会も多かった。
実は昔からずっと、カルは私の好きな人だったりもする。
だって、口は悪いけど、顔はいいし。意地悪ってほどでもないし、バカでもない。なんなら、まあ、そこそこ優しいし、気遣いもできなくはない。
だから、慣例で結婚するべき大聖女様が現れなければ、なんとなく公爵令嬢の私が婚約できるかなあと、そんな希望を持っていたことは認める。
まさか、自分がその大聖女様だったとは思わなかったけれど。
「大丈夫なのか?そんなにキツいなら、祈祷巡業やめていいんだぞ」
「は?何言ってんの。助けを求める人たちが待ってるんだよ。やめるとか無理でしょ」
「シアが倒れたら、誰が彼らを助けんだよ。本末転倒だろ」
「そうだけど。でも、あとちょっとだから」
「なんだよ、その期間限定。意味分かんねえ。俺と結婚したら、シアの責務はもっと重くなんだぞ」
大丈夫。その未来はない。だって、私はヒロインじゃないから。
聖女の力が覚醒したとき、同時に前世の記憶もばっちり思い出した。そして、私は知ってしまったのだ。
自分が乙女ゲームに転生したこと、そして、その立ち位置が微妙なことも。
「あー、婚約のことなんだけど、その、破棄というか、解消になるかもしれないし」
「また、それか。なんで、そう思うんだよ。五年も経って、なんで今さら」
「うーんと、来週は新学期でしょ。ほら、新入生が入ってくるし」
「だから何?それとこれと、何の関係があるんだって話だろ」
ヒロインは、一学年下のはずだ。平民出身だけど、容姿端麗学力優秀。そして、性格も良くて人気者という設定だったはず。
つまり、彼女にないのは身分だけで、そんなものは王家の力でなんとかなる。
攻略対象は他にも色々いるけれど、もし第一王子ルートに入ったら、私の立場は一気に悪役令嬢に堕ちてしまう。大聖女の立場をつかって、殿下を婚約にしばりつける悪女。
聖女が悪女って、なんなのよコレ。設定がめちゃくちゃだ。さすがヒロインご都合主義の乙女ゲーム。つまりは、彼女の障害になるものは、容赦なく悪者になるということだ。
そういう未来を知っているのに、指を咥えて見ているだけというのは、いただけない。
だから、この五年間、私は聖女としてのお勤めをきっちり果たしてきた。婚約破棄に備えて、実力と実績を積んだ。
さすがに、国外追放や勘当なんてことは回避できると思うけれど、それでも一生独りで生きていけるコネも作った。
なので、将来設計は概ね順調と言っていい。問題があるとすれば、それは私がなかなか気持ちを切り替えられないこと。
カルがヒロインを好きになって、それで私と婚約を破棄するとか、今の私にはまだまだ精神的ダメージが大きすぎる。
もし、ヒロインが別の攻略対象を選んだなら、私はそのままカルと結婚できるかもしれない。でも、それは確率的には低いと思う。
だって、誰が見ても、カルが世界で一番素敵だから! 私の推しだから!憧れキャラだから!
この五年、カルをこれ以上好きにならないようにと、どれだけの修行を積んだことか。聖女のお勤めの苦行なんて、それに比べれば屁のカッパみたいなものだ。
「私たちも、来年は卒業だよ。真剣に進路を考えないと」
「卒業後は俺と結婚したくない。別の生き方をしたいってことか?」
そうじゃないけど、そうじゃないんだけど。
でも、来週になったら、カルも私の提案を、喜んで受け入れたくなるかもしれないんだよ。
「いろんな生き方があると思うの。だから、カルが婚約解消したかったら、私はいつでも受け入れるよ」
カルは、それには答えなかった。
それはそうだ。ヒロインと出会うのは来週。それまでは、きっと私の言っていることも、よく分からないだろう。だけど、本当にあと少し。もう少しだけ頑張ればいいんだ。
こんなふうに、死刑を監獄で待つ死刑囚みたいな生活は、あまりにも疲弊する。心身ともクタクタになってしまう。希望があればあるほど、それが消えたときが怖い。
「おい、顔色が悪いぞ。ちょっと横になれよ」
「大丈夫、本当に疲れただけ」
ガタンと音を立てて、カルは向かいの席を立った。あ、怒ったかな。もう帰るのかな?
そう思った瞬間には、私はカルに抱きかかえられていた。
「もういいから、寝ろ。疲れてるから、変なことばっか考えるんだろ」
「重いから!運んでくれなくっていいから!自分で歩けるからっ」
「少し黙っとけよ。お前、本当におかしいぞ」
おかしいのは、そっちだと思う。
婚約解消の話をすればするだけ、離れようとすればするだけ、なぜかカルは婚約に固執する。どうしても、話がうまくいかない。
この話をすると、カルはいつも怒るか、不機嫌になるか、黙り込んでしまう。
たぶん、まだヒロインに会っていないから、恋をしていないからだ。
ヒロインに恋をしたら、こんな政略結婚じゃなくて、恋愛結婚のほうがいいと思うに決まっている。そして、その日が来るのは、そう遠い未来じゃない。
「ごめんね。もうちょっと体力つけたいんだけど……」
「まったくだな。余計なことを考えずに、もっと食って寝ろよ」
言い方は適当だけど、カルは本当に私を心配してくれている。なんだか、ちょっと涙が出そうだ。
「うん、ありがと。もう寝るから、カルも帰ってよ」
私を寝台に運んだ後、カルはなんとなくその場にとどまっていた。
「うん、じゃ、俺は部屋に戻るから。ゆっくり休めよ」
そう言って出ていくカルを見送った。
ドアが閉まる音を聞いてから目を閉じると、猛烈な眠気が襲ってきた。まるで体がベッドに沈み込むみたいに。
ああ、いつものように、このまま寝ちゃうんだな。そして、きっとまた、今日もいつもと同じ夢を見るんだ。
『シア、好きだよ』
夢の中のカルは、いつもそう言ってくれる。
私もよ。ずうっとずっと大好きだよ。初めて会ったときから。
夢の中では私たちは恋人同士で、これからもずっと一緒にいられる。
この夢を見たいから、私は絶対に毎週のお勤めはやめない。最後の最後まで、このご褒美のために頑張れる。
そうして私は、今夜もカルの夢を見られるよう願いながら、眠りの淵に落ちていった。