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22. 抜けない棘 (カルの視点)

「よく眠っていますね。顔色も良くなられた」

「もう三日だ。本当に大丈夫なのか?」

「私はむしろ、殿下のほうが心配です。ずっと眠っていないでしょう」

「シアが危険なときに、寝てなんていられるか」


 シアはあの聖獣の仲間を、聖女の力で守っていたらしい。おそらく、俺を助ける代償として。限界まで力を使って。


 そして、そんなシアを救ったのは、あの聖獣だった。


 シアが死んでしまうと思った瞬間、側にいた黒馬から銀色の光が彼女に流れ込んだ。光に包まれたシアは、元のシアに戻っていた。黒髪ではなくて、銀髪に。


 そして、黒馬も銀色の見事なたてがみをもつ、真っ白な一角獣の姿をしていた。間違いなく離宮の泉で見た、あのユニコーンだった。

 ユニコーンの角には治癒の力があるという。シアを癒せるかもしれない。


「頼む、シアを助けてくれ。そのために必要なら、俺の命を使ってくれ!」


 そう嘆願したけれど、ユニコーンは何の反応も示さなかった。


 たぶん、俺が頼まなくても、シアを癒やしたのだと思う。聖獣の目は泣きぬれたように露を含み、シアを見つめる瞳は慈愛に満ちていた。


 やがて、シアの頬に生気が戻り、氷のように冷たかった体に温もりが宿った。銀の光が消えていくと同時に、シアの髪も黒に戻っていった。


 そして、離宮側からセバスチャン率いる兵団が到着すると同時に、黒馬は仲間たちを引き連れて森へ帰っていったのだった。


「殿下!ご無事で!」

「俺は大丈夫だ。シアが倒れて……」


 セバスチャンは急いでシアの額に手を当て、それから少しホッとした顔で答えた。


「大丈夫そうですな。衰弱してはいますが、生命に関わるほどではない。聖獣の癒やしの効力ですな」

「あれを……知っているのか?」

「野生馬を引き連れていたのは、禁忌の森の一角獣です。前に見たのは、もう三十年ほど前になりますが」

「三十年?……父上の即位式か」

「はい、この国の王には、必ず聖獣の守護が付きます。あの一角獣は陛下に祝福を与えています」


 父上の守護獣。だからシアを救った?いや、違う。あの聖獣は、王家のために動いたのではない。


 シアは願いを聞いてもらえたと言った。あの一角獣はシアを、大地を癒して清める聖女を、深く愛しているんだ。


「恋敵は、人だけじゃないのか」

「そのようですな」


 国民が混乱することを避けるため、シアは元の姿に戻さず、素性を隠して離宮で静養させることになった。

 そして、ハーフターム休暇中、シアは正神殿に籠っているという噂を意図的に流した。週一回の巡業は事情を察した司祭が、進んで代役を務めてくれた。


「シアは、なぜいつもこんな無茶をするんだ。言っても言っても、言うことを聞かない」

「それは殿下のせいでしょう。アリシア様が心配なら、殿下自身が無理をしないことでしょうな」

「シアのためなら、命なんて惜しくない」

「ですから、それがいけないのです。殿下が自分を犠牲にしようとすればするほど、アリシア様は命を賭してでも守ろうとする」

「俺のせいだと言うのか」

「互いへの情が深すぎるのでしょう。過ぎれば毒となります。少し距離を置くべきかと」

「どういう意味だ。シアをどこかへ隠せと?」

「精神的な意味です。お互いへの執着が強すぎれば、それを弱みとして突かれます。アシリア様の祖国では、反体制を謳った革命が失敗し、軍部のクーデターが起きています。皇室と縁戚である従兄殿が、隣国に亡命されたのをご存じでしょう」

「ああ。シアも狙われるということか?」

「狙われているのは、殿下もです。反体制運動というものは、時期を同じくして各地で出現するもの。うまく捌けなければ、時勢に飲まれます」

「この国にも、そういう動きがあるのか。俺を襲ったやつらも?」

「彼らは金で雇われただけのようですが、おそらく主犯者の目的はそれでしょう。大聖女を得れば、一気に民意を掴めます」

「それなら尚更、シアのそばを離れるわけにはいかない。距離を置くなど、無理な話だ」


 俺の答えを聞いて、セバスチャンは薄く笑った。どうやら、この結論は見えていたらしく、異議を唱える様子はない。


「それでは、世間の目を欺かれるのは?国民は、アリシア様が正神殿にいると信じています。そして、その留守中に、殿下が踊り子を愛人として囲ったとの噂が立っています」

「は?誰だ、その踊り子というのは」

「おそらく、ここにおられる黒髪のアリシア様でしょうな。人間は目に見えるものに疑いは持ちませんので」

「おい、シアが誤解したらどうするんだ! すぐに噂は間違いだと訂正してくれ」

「ですから、それを逆手に取るのです。しばらく、アリシア様に愛人を演じていただき、ご寵愛するのはいかがですか」


 浮気の噂が流れるのは心外だが、シアを側に置いておける大義名分になるのならば。それに、当のシアが浮気じゃないと承知していれば、それでいい。


「シアが目覚めたら、相談してみる。だが、彼女が承諾しなければ、別の手を考える」

「承知しました。それでよろしいかと」


 セバスチャンが下がっていったので、俺はシアの手を握って、ほんの微量の魔力を流した。シアの回復が早まるようにと。


 ずっと同じことをしてきたのに、なぜか急に眠気に襲われた。反応がなかったシアの手から、温かく包むような柔らかな力が流れてくる。


 これはシアの癒やしの力だ。外に流れ出すまで、力が回復したんだ。もうすぐシアは目を覚ます!

 そう思うのに、あまりの心地よさに、俺は起きていることができなかった。


 誰かが歌っている。俺の髪を優しく梳きながら。この声はシアだ。なんて美しい響きだろうか。

 聞いたことのない言葉だ。精霊の子守唄か?


「シア、それは何の歌だ?」


 いつの間にか、シアの手を握ったまま眠っていたようだ。シアは上半身を起こして、ベッドに座っていた。俺はその膝に頭を乗せるようにして熟睡していた。


「あ、ごめんね。起こしちゃった?」

「いや、眠るつもりはなかったから。気分はどうだ。痛いところとか、苦しいところはないか?」

「全然。すごく元気よ。あの黒毛の子が助けてくれたのね?すごいのよ。あの子、私の言葉が分かるみたいなの。カルを助けてくれたのが、すごく嬉しくて、ついお馬の親子の歌が出てきちゃった」


 シアは頬を紅潮させて、嬉しそうに話している。あの不思議な歌は、馬の言葉だったのか。聞いたことがない旋律だった。


「シア、俺は怒っているんだ。指示に従うって約束したろ?なんで、戻ってきたんだよ! おまけに無理な力の使い方をして。どんだけ心配したと思ってるんだ!」


 つい語気が荒くなってしまい、シアは申し訳なさそうに小さくなっていった。


 いや、怒ってると言ったけれど、責めているわけじゃないんだ。つまり、怒っているんだけれど、叱るつもりじゃなかったというか。何を言ってるんだ、俺は。


「……ごめん。カルが危ないと思って。私、カルが心配で。だって、いつも危ないことばっかりするんだもん」

「危ないことをしているのは、いつもお前じゃないか。そのたびに、俺は寿命が縮まる。頼むから、言うことを聞いてくれよ」


 そう言ってシアを抱きしめると、シアも俺をぎゅうっと抱きしめてくれた。

 シアの体は温かくて柔らかい。もう大丈夫。シアは生きている。


「ごめん。でも、カルが死んじゃったら、私、一秒だって生きてられないんだもん」

「ぶっ、なんだよ、その一秒って。せっかち過ぎるだろうが」

「カルがいない世界なんて……つまんないから」


 俺も同じ気持ちだよ。シアがいない世界に未練はない。お前が逝ったら、すぐに後を追う。いつまでもどこまでも一緒だ。

 だが、シアが生きている限りは、決して諦めない。絶対に手を離したりしない。


「何があっても、どんな状況になっても、死ぬことだけは考えないでくれ。生きていてくれれば、俺が必ず迎えにいく。それまで、待っててくれ。一秒じゃなくて、十年かもしれない。それでも、信じて待っていてほしい」

「……カル、どこかに行くの?」

「行かないよ。シアを置いては行かない」

「よかった。そのときが来るまで、できるだけ一緒にいたいんだ。いいかな」

「当たり前だろ。俺たちはこれから一生を共にするんだ。死ぬまで、あと八十年くらいあるんだから」


 そう言うと、シアは「ずいぶん長生きだね」と言って、くすくすと笑った。楽しそうに笑っているはずなのに、なぜかポロポロと涙をこぼしていた。


「シア、なんで泣くんだ」

「……幸せだから」


 違う。将来のことを話すと、シアはいつも悲しそうな顔をする。まるで、自分には未来がないかのように。なぜだ。なぜなんだ。


「シアは、ずっと幸せに過ごすんだよ。90歳のおばあちゃんになっても、あの店に踊りに連れていくよ。ヨボヨボになっても、ステップだけは忘れないくらいに練習した。認知症になっても、絶対に踊れる!」


 笑わせようと思って言った言葉だったのに、シアは両手で顔を覆って、そのまま泣き伏してしまった。


 頼むから、泣かないでくれ。俺はどうすればいいんだよ。どうすれば、お前を幸せに笑わせることができるんだ?


 泣き続けるシアを、ただ抱きしめることしかできない自分が情けなかった。

 彼女を悩ますものを、その心を痛めている棘をこの手で取り除いてやりたい。俺はそう思っていた。

Do As Infinity「柊」がイメージ曲です。

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