02. 乙女ゲームに転生した私
「大聖女様。そろそろ祈祷のお時間です」
神殿の使いが、私を呼びに来た。声から察するに、結構な年配の職員さんだ。今日もお勤めご苦労様です。
「すぐに参ります。外でお待ちください」
その人が部屋の外へ出たのを確かめると、私は裾が長く引かれたスカートをたくし上げた。
なんだって、祈るだけにこんな仰々しい衣装が必要なんだ!おためごかしもいいところだ。
「お手洗い、行っておこ。次に行けるのは、昼食の時間だしね」
私はそう独り言ちた。いくら神聖な儀式とはいえ、聖女だって人間……のはずだ。摂取すれば排泄もする。神格化するのは止めてほしい。
おかげで尿意を抑えるために、朝から私は水分を控えている。涙ぐましい努力だ。
「本日の護衛も、カルロス第一王子が志願されました。すでに輿のそばでお待ちです」
「……承知いたしました」
私はこっそり、ため息をついた。
なんで志願するんだよぉ!こっちが必死に避けてやっているのに、わざわざ会う機会を増やしてどうするんだ。
「やあ、今日も厚塗りだな。よっぽど素顔に自信がないんだな」
「ごきげんよう。これは日焼け対策ですの。素顔は関係ありません」
「ふーん。まあ、そういうことにしておこうか。聖女様はイメージが大事だしな」
もうっ!何なのよ、毎回毎回。いちいち憎まれ口を叩く必要ある?喧嘩売ってるとしか思えない。でも、我慢、我慢だ。
「そう言う殿下も、ずいぶんと張り切ってらっしゃいませんか。何も毎回毎回、そんな王族の正装をしてまで、私に付き添っていただかなくてもいいんですよ」
「これは国民へのサービスだ。大聖女と第一王子を揃って崇めようと、各地から集まってくるんだからな」
「ですから、殿下がこの儀式に参加しなければ、そこまで大げさな話にはならないんです」
「いまさら止められるか。もう何年、こうしていると思ってるんだ」
五年……かな?私が大聖女になってから毎週だから、もう回数としては二百くらいは軽くこなしているかもしれない。
「そろそろ、十分じゃありませんか?来年はもう卒業だし、どっちにしろ私が正神殿に入ったら、この週一のお勤めもなくなるんだし」
「まだ、そんなことを言ってるのか? 卒業と同時に結婚だ。神殿勤めはあきらめろ」
「いやです。それに、婚約は破棄になりますから」
「それはない」
「なぜです?殿下だって、好きな方と結婚したいでしょう?」
「これは陛下の命令だ。それに大聖女と第一王子の結婚はこの国の慣例だ」
「そんなもの。殿下が嫌だと言えば、一発でひっくり返ります」
「……もう時間だ。その話は、後にしてくれ」
殿下から差し出された手を取って、私は輿によじ登った。
この輿がね、本当に乗り心地が悪い。まさに苦行。もちろん、揺れ防止もされているし、寒暖に耐え得る魔法がかけてある。
それでも、どんな天候でもおかまいなしに、市中を練り歩くとか、普通はありえない。いわゆる大聖女の奇跡というより、一種のパフォーマンスだ。
今日みたいな天気の日は、うっかりすると日焼けで辛いし、嵐の日はずぶ濡れになる。雪は頭に積もるし、風に飛ばされないように、手すりにしっかりつかまって祈るときもある。
こんな苦行に付き合おうっていう人の気が知れない。馬で私のそばを行進するので、自分も同じような目に遭っているのだ。
「ほら、見ろよ。もうあんなに人が集まっている。防御魔法をかけるぞ。お前の身の安全は俺と騎士が保証する。だから、今日も彼らのために存分に祈ってくれ」
聖女の力は、祈りで発動する。万人の病を治癒し、大地を浄化して、魔物避けの結界を張る。
今日の奇跡もそれだ。正にチート。こんな能力、普通の人間に持てるわけがない。
私は体の前に両手を差し出し、そこから聖女の力を発生させた。
手のひらにドライアイスを仕込んでるような感じだろうか。真っ白い煙のような力が湧き出て、周囲へと広がっていく。そして、それが空気で拡散して、国中へ広がる。
なんだろ、これ。何度やってもピンとこない。こんな力、神様だよ。
実際、奇跡を見た人たちは、なんだか怪しいくらいに聖女信仰に走ってしまう。
こんな派手なパフォーマンスじゃなくて、神殿の中で静かに祈るほうが、絶対にいいと思うのだけど。
だから、これは万民や国のためというよりも、たぶん、王族の人気取りというか、自慢だと思う。こんな偉大な力を持つ聖女を囲っているのは、俺らなんだぞっていう。
そして、第一王子が私に毎週付き添うのは、私の婚約者が自分であるということを誇示するためのお勤め。それ以外の何ものでもない。
そんなことは分かっているのだけれど、それにしても、やっぱり付き添うのは大変だと思う。
どうせもうすぐ終わるのに。もしかしたら、終わるからこそなのかもしれないけど。
輿を担ぐ神殿の職員は、みな頭巾をかぶっていて、顔が見えないようになっている。白い覆面頭巾に三角帽、そして白い聖職服とローブ。
はっきり言って、傍から見たら、かなり不気味だと思う。私も最初にこういうのを見たときには、なんか神聖というよりは、怖かったのを覚えている。
最初に見たとき。セマナ・サンタと呼ばれる聖週間。プロセシオンという宗教行列。
あれは、イースター休暇中に訪れたスペインのセビリアだった。
十字架にかけられたキリスト像を乗せたパソという山車を担ぐ人を、コスタレーロと呼ぶ。ものすごい重労働。信仰心より体力勝負かもしれない。
そして、それに従って白い尖った帽子と覆面をした信者が、人びとの罪を悔い改めるために市中を練り歩く。確か、受難者を意味するナザレノと呼ばれる人たち。
キリストが生まれたのがナザレ地方だから、それに関係する名付けと見た。
石畳に出されたカフェのテーブルで朝食を摂っていた私は、おもわずフォークを落としそうになった。まるで、古いイタリア映画の中にいるような気分になったから。
いや、イタリアじゃなくて、スペインだったんだけどね。
つまりは、カトリックのお祭りだったので、きっとイタリアでも同じようなことをしていたんだろうと思う。
その年は四月だったか三月だったか。確かなことは覚えていないけれど、私の前世の記憶はそこで途切れる。きっとあの旅行で、私は命を落としたんだと思う。
身寄りがなかったから、死後は憧れのスペインの土になれたのかもしれない。とても素敵だ。
もちろん、日本大使館の人には、身元確認などで相当な迷惑をかけたとは思うけれど、死んでしまったのだからしょうがない。
キリストが生き返る復活祭に、その命が消えたせいなのか。私はなぜか、たっぷりとした神の恩恵を、いわゆるチートを授かって、憧れの世界に転生させてもらえたらしい。
この世界は、明らかにスペイン風。私のお気に入りだった、乙女ゲームの世界なのだ。