13. ファーストキス
スペインのタブラオと言えば、飲食をしながらフラメンコのショーが見られる舞台のことだ。
観光客用は早い時間もあるけれど、ショーはだいたいが午後9時以降から始まる。
そんな時間にガッツリ食べるから、おばちゃんが太っちゃうんだよね、きっと。
夕食が遅いのは、日中にシエスタというお昼寝用の休憩時間を取り、その後にまた働くから。
暑い日中は雨戸のような戸をしっかり締めておけば、クーラーがなくてもなんとか暑さを凌げるのだ。
つまりお昼寝は、おサボりじゃなくて生活の知恵!
もちろん、こんなことが可能なのは、夏に湿気がないから。夏の日本で雨戸を締め切ったら、家の中は蒸し風呂になってしまう!
アンダルシア地方には、多くの洞窟住居がある。かつては西から流れてきたジプシー、ヨーロッパではロマと呼ばれている流浪の民が住んでいたらしい。
その住居跡を利用したタブラオを、洞窟タブラオという。トンネルを白塗りしたような形になっていて、舞台は奥にある。
前世で私が入ったところは、壁に赤銅の料理鍋がたくさんぶら下がっていた。伝統工芸品なんだそうだ。
この世界でも、中は同じような作りだった。きっと、このゲーム作家は、本当にスペイン好きなんだ。
「素敵!カル、なんでこんなところを知ってるの?」
「ああ、うん。シアは踊りが好きだから、こういうの興味ありそうだなと。人にいろいろ聞いて、ここの伝統舞踊が一番よさそうだったから」
え、なんでそんなこと知ってるの?私、踊り好きって言ったっけ?カルは踊らない人だから、パートナーの私も踊ったことないのに。
んー?最近、どっかでダンスの話したよね。どこだったかな。
そんなことを考えているうちに、小皿料理が運ばれてきた。スペイン料理でいうタパス。
前菜みたいなものだけど、オイルがたっぷりの郷土料理は量は食べられないし、私にはこのくらいがちょうどいい。
カルにとってはおつまみみたいなものなんだろう。食べるというよりも、ワインのお供になっている。
私もお酒を飲みたいと言ってみたけれど、未成年だからと却下。ひどい。
それでも、ショーが始まってしまえば、もうそんなことは気にならなかった。
やっぱり、この踊りはフラメンコに似ている!すごくカッコいい!
魂を揺さぶるような歌声と、哀愁を感じさせるギターの音色。踊り手の軽やかなステップと、表情豊かな舞い。時間が経つのも忘れて見入ってしまう。
夢中で鑑賞しているうちに、ショーはフィナーレを迎えた。観客の盛大な拍手の中、踊り手の女性がこちらに近づいてきた。
「やあ、あんたが噂のシアかい?どうだい、ちょっと踊ってみなよ」
「え、あの。え?」
何を言われているか分からないうちに、私は舞台に引っ張っていかれた。そして、どうしようと思っているうちに、踊り慣れた曲がギターで奏でられた。
これ!私の一番好きな曲!え、なんで? どうしてこれが……。
そして、次の瞬間、私は言葉を失ってしまった。カルがそばに来て、私の手を取ったから。
「シア、俺と踊ってくれる?」
「ええっ!カル、踊れるの?」
そう言ったそばから、カルのリードでダンスが始まった。
フラメンコというよりも、アルゼンチンタンゴをイメージするのがいいのかもしれない。
かなりステップの難易度が高いのに、カルのリードがいいで、すごく動きやすい!
夢中で踊り終わって気がつくと、私たちは観客や踊り手たちから、割れんばかりの拍手と喝采を浴びていた。
「カル!すごいわ。こんなに踊れるなんて知らなかった!」
「俺だって、シアがセミプロなんて知らなかった。すっげー、楽しいな」
「うんっ!最高!」
一応、舞台の上で挨拶をしてから、テーブルに戻ろうとすると、常連さんらしいおじさんたちが真っ赤な顔をして、カルの背中をバンバン叩いてきた。
「にいちゃん、やったな。特訓した甲斐があったじゃないか!」
「彼女にいいとこ見せられたなあ?やー、見てるこっちが、手に汗握ったわ」
「嬢ちゃん、あんた、いい恋人がいて幸せもんだぞ。この短期間でこれだけ踊れりゃ、上出来だ!筋がいいとしか、言いようがねえよ」
「それにしても、別嬪さんだねえ。踊りも最高だ。この店に就職したらどうだい?」
はい?特訓って何?いいとこ見せるって、短期間って。
カルのほうを見ると、気まずそうに目を逸らされた。
ああ、そうか。最近の外出、あれはここに来てたんだ。まさか、踊りの練習のために?
「あの、カルの練習に……付き合ってくださったんですか」
「おお、そうよ。ここ数週間ほど、スパルタでな。好きな女と踊りたいからって頼まれちゃ、断るなんてできないだろ」
「ショーの間は店を手伝うって条件で、毎日深夜まで練習よ。よくやったもんだ」
「このイケメンにいちゃんが、あれだけ必死になるんだ。どんだけ惚れてんのかと思ったが、そら、こんな女なら惚れるわな。嬢ちゃんの踊りは最高だったよ」
常連さんたちは酔っ払っているのか、今にも泣き出しそうな顔をしながら、満面の笑みを浮かべている。
カルが、そんなことをしてたなんて……。私のために?
「シア、もう出よう。この後にも予定あるから。どうも、ごちそうさまでした」
私に顔が見えないようにしながら、カルは周囲の人に挨拶した。すると、なぜかドッと周囲が沸いた。
「そりゃそうだな。にいちゃん、今夜はバッチリ決めないとな」
「だなあ、ごちそうさんはこっちのセリフだ」
「頑張れよ!女は口説いて口説いて、口説き落とす!これだけだ!」
ヒューヒューと口笛つきでからかわれながら、私たちはなんとかレストランの出口にたどり着いた。
そこには、さっきの踊り手の女性がいた。
「いい踊りだったよ。また踊りたくなったら、いつでもおいで。大歓迎だ。まあ、このにいちゃんが許さないだろうけどね」
「あの、カルが、お世話になりました。今日も素敵な踊りをありがとうございます」
「なーに、今日の主役はあんたらに持ってかれたさ。仲良くな」
カルは無言で頭を下げて、私の手を引いていく。私は振り返りながら、見送ってくれるみなさんにお辞儀をした。
まだ、夢を見ているみたいだ。カルとダンスが踊れるなんて。それも、こんなに人が温い、こんなに素敵な場所で。
カルは店を出ると、山側に向かう通りを黙って登っていく。私の手を引いたままで。
そして、猛特訓をバラされたことに、ブツブツと文句を言っていた。
「くっそ、あいつら、口が軽すぎるだろ。台無しじゃないか」
「あの、カル、すごく楽しかったし、嬉しかったよ。ありがとう」
本当に本当に、私は楽しかったし、嬉しかった。
だから、どうしてもそれを伝えたかった。どう言えば伝わるんだろう。なんて言えば、分かってもらえるんだろう。
カルが好き。すごく好き。あなたを愛している。そう伝えられたら、どんなにいいだろう。
でもダメ。それはいずれ、カルの重荷になってしまうから。
五分ほど登ると急に視界が開けて、展望台がある広場になっていた。
タブラオがある旧市街を挟んだ向こうの丘に、ライトアップされた宮殿が浮かび上がっている。
うわっ!まんまアルハンブラ宮殿じゃないっ!ゲーム作家、どんだけスペイン好きなんだ?
そう思いながらも、その幻想的な風景に、私は惹きつけられた。森林の緑と夜空の紺、その狭間で黄金に照らされた建造物。前世で見たときよりも、ずっとずっと美しい光景だった。
そう思うのは、きっとカルが一緒だから。
「きれい!すごく素敵。ロマンチック!」
「気に入った?あれは離宮なんだけど、夜は中もきれいなんだ。後で見に行こうか」
「え、いいの?私が、入っても」
「当たり前だろ、俺がいいって言ってんだから」
「やだ、すっごい偉そう!」
私がそう言って笑うと、カルは目を細めてから、私の頬を両手で包んだ。
そして、あっと思う間もなく、唇が重なった。
事故チューじゃない、人命救助でもない。でも、エロいキスでもなくて、ただただ優しくて、愛されていると実感させるようなキス。
「婚約五年目の記念日だ。今年もシアと一緒に過ごせてよかった」
カルのその言葉を聞いて、私は涙が滲んだ。
来年の今日は、もう一緒じゃないかもしれない。カルの隣にいるのは、私じゃないかもしれない。
もし、このままカルと一緒にいられるなら、何もかも捨ててもいい。カル以外は何もいらない。
私はそのとき、本気でそう思っていた。
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