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10. 一生に一度だけ

 目が覚めたとき、私は自分がどこにいるのか分からなかった。


 あれ?診療室の天井だ。カルに魔力を分けてもらって、そのまま寝ちゃったんだっけ?


 そして、少し考えて、やっと競技場で起きたことを思い出した。あのとき、急に目の前が真っ暗になって、何かを吐いた気がする。

 それ以上のことは覚えていない。カルは無事に、競技を終えたのだろうか。


「ああ、気がついたね。気分はどう?」


 鬼畜医だ。そうか、私はあの後で倒れて、ここに運ばれたんだな。


 起き上がろうとして、体が動かないのに気がついた。腕には点滴がささっている。


「先生、あの、カルは大丈夫ですか?」

「君って子は。こんなときでもカルロスの心配か。まったく、どうかしているよ。闘竜士に身代わりの護符を施すなんて、バカもいいところだ」

「え、じゃあ、これはそのせいで?カルは……、カルは無事なんですか?」


 起き上がろうとジタバタすると、鬼畜医は私の背中の下に腕をいれて、そっと抱き起こしてくれた。

 いくつもの枕で支えてもらってから周りを見ると、もう夜中になっているようだった。


「カルロスは無事だよ。無傷だ。さっきまで君についていたんだが、一旦、王宮に報告に戻ったよ」

「よかった。無事なんですね」


 ホッとすると同時に、目から安堵の涙が流れた。カルは無事だった。それならいい。


 鬼畜医は、私が泣き止むまで待ってから、蜂蜜を入れたミルクを持ってきてくれた。


「本当に無茶なことをするね。もう少し遅かったら、確実に死んでたぞ。即効性の毒だ。身代わりになったせいで、解毒が遅れたんだよ」

「ご迷惑かけてすみません。でも、毒を盛られた生徒は助かったんですよね?それなら、よかった」

「君は……、カルロスにじゃなく、あの会場全体に守りを施したのか?自殺行為だ!無茶苦茶だ!」

「いえ、あの……。だって、カルは、不正行為とか嫌いなので。彼だけに護符をつけるのは、プライドを傷つけるかなって」

「ばかなことを!あいつのプライドなんて、君の命に比べたら紙みたいに軽いもんだ。そんなことのために君が死んだら、カルロスもすぐに後を追ったぞ」

「そんなこと。カルは私がいなくても……」

「本気でそう思っているなら、あいつが気の毒だな」


 鬼畜医はそう言ったけれど、それはヒロインのことを知らないから。あと一年もしないうちに、カルは私には見向きもしなくなる。

 むしろ、私がいないほうが、婚約破棄なんてしなくて済む。すぐにヒロインと幸せになれる。


 私が黙ってしまったのを見て、鬼畜医もそれ以上は何も言わなかった。


「先生!シアが気がついたって、本当ですかっ」


 そのとき、診療室のドアが開かれて、カルが飛び込んできた。闘竜の競技服のままで、服には血がついていた。


「カル、血がっ!怪我しているの?大丈夫なの?」


 そう言った私に、カルはいきなり抱きついた。体が微かに震えている。泣いているの?


「どうしたの?どこか痛いの?ちょっと待って、今、癒やすから」

「聖女さん、力を使っちゃダメだよ。その血は君のだ。彼は無傷だよ」


 私の血?これは私の血なの?あのとき吐いたのは、血だったんだ。


 私はその事実にゾッとした。もしも、襲われたのがカルだったら。闘竜中にカルが血を吐いていたら。そんなことになっていたら、カルはきっと竜に殺されていた。


「先生。少しカルと、二人にしてくれませんか」

「ああ、そうだね。でも、少しだけだよ。君はまだ絶対安静なんだから」


 そう言うと、カルにコーヒーを淹れてから、鬼畜医は診療室を出て行った。


「カル、あの、心配かけてごめんね。もう大丈夫だから」


 カルはしばらく私を抱きしめたままで、身動きすることもなかった。

 それでも、やがて絞り出すような声でこう言った。


「シア、お願いがあるんだ」

「うん。なあに?」


 カルは腕を解いて、両手で私の肩をつかんだ。泣いてはいなかったけれど、目は真っ赤だった。

 そうして、私の目を覗き込むようにして、こう言った。


「結婚しよう。もう一日だって待てない。今すぐ学園を辞めて、王宮で一緒に暮らそう」

「え、ちょっと待って、なんで急に?」

「急じゃない。婚約からもうすぐ五年だ。俺は十分待ったし、もうこれ以上は離れていたくない」

「結婚は……卒業してからでしょう。もう一年もないんだし、急がなくても。カルの気だって、それまでに変わるかもしれないし」


 卒業パーティーで、婚約破棄ということになるかもしれない。それまでは、カルを学園から連れ出しちゃいけない。

 そうじゃないと、カルはヒロインとの幸せを掴むチャンスがなくなってしまう。


「誰の気が変わるって?変わるわけないだろう!なんで分からないんだよ。俺の身代わりになって、お前が危険に晒されるなんて。もう、こんな思いはごめんなんだ! お前が心配なんだよ」

「ちょっと待って!狙われたのは、カルなの?」

「ああ、そうだ。俺が死んだら、誰がお前を守るんだ。こんな危険な場所には置いておけない」

「どういうこと?危険なのはカルで、私じゃないでしょう?」

「お前が目的じゃなかったら、俺を殺す理由なんてないだろ。危険なのはお前なんだよ」

「それって、カルが狙われたのは、私のせいってこと?私のせいでカルが……」

「いや、違う! そうじゃないんだ。僕が狙われたのは、お前のせいじゃない!」

「じゃあ、なんで私が心配なの?身代わりの護符を施したのは私よ。今回のことは私の責任でしょ?なのに、私を学園に置いておけないと思うのは、どうしてなの?今回のことに、何か私が関わっているからじゃないの?」


 カルは、そこで黙ってしまった。そうか、私を、大聖女を婚約者にしていることで、カルは何かの困難に巻き込まれているんだ。もしかしたら、この力のせいで?


「カル、私のせいで危険な目に合ってるなら、ちゃんと教えて。私こそ、カルが心配なの。ねえ、やっぱり私、正神殿に行ったほうがいいと思うの。婚約も解消すれば、もうカルに迷惑がかかることも……」

「なんだよ、それ。何が迷惑なんだよ!俺を迷惑に思っているのはお前だろ。俺をかばってこんな目に合って。そりゃ、逃げたくもなるだろうよ」

「違うよ! そういう意味じゃないの。これはカルのせいなんかじゃない。カルが心配で、私が勝手にしたことなの!」

「なんで俺が心配だったんだよ。負けると思ってたのか?」

「そうじゃないよ。勝つと思ってたよ。でも、心配だったの。カルに何かあったら、私……」

「俺に何かあったら、お前はどうなるって言うんだよ?」

「だから、その……、そんなこと、考えられなかったって言うか」

「それは、俺を死なせたくないって思ったからだろ?お前は、俺が好きなんだろ?なら、なんで結婚してくれないんだよ。それとも、俺が嫌いなのか」

「そんなわけない!カルが嫌いなんて。そんなこと思ったこともないよ」

「じゃあ、なんで結婚できないんだ!他に好きな男がいるのか?」

「違うよ!他の人を好きになるかもしれないのは、カルのほうなんだよ」

「なんの話だよ。俺が誰を好きになるって言うんだ!俺に気持ち、分かってないのか?」


 どう言えばいいんだろう。カルはもうすぐヒロインを好きになる。


 サラちゃんがカルを選ぶかどうかは分からないけれど、カルの幸せに私が邪魔になる。

 優しいカルに、婚約破棄なんてことをさせたくない。だから、先に婚約を解消しておきたいのに。


 スペインはカトリックの国。離婚は認められない。この世界も、もちろんその倫理感が生きている。

 今、結婚なんてしてしまったら、カルはヒロインと結ばれなくなる。一生、私に縛られてしまう。


 婚姻無効を申し立てるとしても、還俗した聖女との結婚を反故にしたら、カルは神殿から破門されてしまうだろう。

 そんなことになったら、この国どころか、神殿勢力圏から追放されることになる。


「頼むよ。一生に一度だけの願いだ。二度とこんな我儘は言わない。今すぐ、俺と結婚してくれ」

「結婚は、今すぐにはできない。卒業まで待って。それで、カルの気が変わらなければ」

「だから、なんで俺の気が変わると思っているんだよ。理由を聞かせてくれよ!」


 カルは私を両肩を激しく揺さぶって、そう訴えかけてくる。


 どうしたらいい?どう言ったら、分かってもらえるの?


「カルロス、そこまでだ!聖女さんは安静が必要だ。乱暴をするようなものは、出ていってもらう」


 私たちの口論が診療室の外にも聞こえたんだろう。鬼畜医が戻ってきた。


「先生、違うんです。ちょっと、意見の食い違いがあって。カルは乱暴なことなんて……」


 私が慌ててそう言うと、鬼畜医は珍しく真剣な顔をした。


「暴力というのは、精神的なものも含むんだ。カルロスは君に結婚を強要している。これは立派な暴力なんだよ。彼は頭を冷やすべきだ。さあ、出ていけっ!」


 カルは私の肩を掴んでいた手を離すと、そのまま何も言わずに診療室を出ていってしまった。


 ああ、これで終わりだ。これで私たちは、もう婚約者じゃなくなるんだ。


「君は、本当にバカだな。泣くくらいなら、なぜ素直にプロポーズを受けないんだ。後悔するぞ」


 そう言われて、私はやっと自分が泣いていることに気がついた。


 カルが好きだから、愛しているから、彼の恋の邪魔をしたくない。でも、それはちっとも楽しいことなんかじゃない。


 鬼畜医は何も言わずに、嗚咽を漏らして泣き続ける私のそばにいてくれた。

 この人は本当は鬼畜じゃないのかもしれないと、そのとき私はそう思った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 甘くてシリアスなシーンなのに、「鬼畜医」呼びに笑ってしまう(笑) [気になる点] 鬼畜医のルックスって、どんな感じでしたっけ? [一言] >「結婚しよう。もう一日だって待てない。今すぐ…
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