9.出会った日の私とあなた~はじめまして~
私の悪夢のバリエーションを増やした人殺し計画会議が終わり、私は少年エルになるべく、より別人感を出すため髪を黒く染められた。横目に見える黒髪は地髪よりフィット感があった。
そして目覚めた部屋とは異なる部屋を与えられた。
祖父の城は街から一日かかる山の中腹、急峻な崖の上に建っており崖下には蛇行する急流と攻めるに難しく護るに易い天然の要害だ。数百年前に建てられ何度も戦争で使用された古城と祖父が新しく建てた本丸で構成されている。私が目覚めた部屋は新しい本丸にあり、少年になった私が与えられた部屋は古城部分にある。より狭くて、陰鬱で、水回りが壊滅的にいけてない部屋だ。トイレはどこですかと案内してくれたショーンに聞いたら無言でベッドの下から尿瓶を取り出してきた。病院ドラマでしか見たことがない、陶器製のアレである。お風呂も勿論ないので、本丸にある厨から別棟の私の部屋まで中庭を通ってお湯を貰ってきて端切れを濡らし絞って体を拭く、清拭布というやつだ。元風呂好きな日本人としてはとてもとても辛かった。加えて、毒殺の懸念があるため食事は毒味役を介してから運ばれてくるようになった。結果、温かい食べ物や香辛料、ハーブの類も口にすることができなくなった。ほぼ塩のみという素材の味が問われる料理だ。食は自然とだんだん細くなった。だが文句を言うこともできなかったのは、祖父が恐ろしかったからだ。マーサとマリーが無事役目を果たしたことは計画から一週間後にショーンから実にあっさりと報告があった。祖父とその周囲において誰の命も等しく軽い気がしてきた。
祖父は両親を救えたのに敢えて助けなかったのではないかという疑念がどうしても頭から消えないのだ。マーサから大おじの息子への手紙を取り替えることが可能なら、会合の時の両親の通るルートを記した手紙を替えれたのでは、祖父は無能な息子夫婦を隣領を利用して始末したのではと。いっそのこと祖父に逆らってしまったら、殺されたら、もしかすると元の日本に戻れるのではとも考えた。なぜ前世の最期、夜の海に散歩になんていってしまったのだろう、頑張って入った大学、共に机を並べた友達、仲のよいサークルの同期、先輩、入りたかった研究室、漠然と考えていた就職先、蛇口を捻れば出てきたお湯、お母さんのご飯美味しかったな。戻りたいな、死ぬのは怖いな、ぐるぐるぐるぐる、陰鬱な部屋で考え続けてある日
「温かいご飯をお腹いっぱい食べれないからネガ
ティブになるんだ」
という結論に達した。吹っ切れたとも違う、一時棚上げだ。お湯や食事を取りに行った際に話すようになった厨の下働きから、近くを流れる川でトラウトが釣れるという情報を聞き、釣り具と塩とマッチを借りた。自分で採った魚をその場で焼いて食べるなら毒は盛れまい。
で、シャツと膝丈のズボン、麦わら帽子をショーンに調達してもらい、その格好で晴れた日は毎日、昼前に山を降り川で釣り糸を垂らすことにした。生白かった足や手はすぐに六月の日差しに焼けて健康的に赤くなり、木々の根でボコボコした山道を歩くことでうっすら筋肉も付いてきている。何より、釣りたて、焼きたてのトラウトの塩焼きが元日本人にはたまらなく美味しかった。
その日もスポットと勝手に名づけて呼んでいた淵の際にある岩に腰掛け、栗虫を付けた針を上流に放ち流しては引き上げ、流しては引き上げを繰り返し、大物二匹を釣り上げることに成功していた。
もう一匹釣ったら終わりにしようと、釣り餌を替え、放ろうと体を上流に向け竿を上げると、近くの大岩に見知らぬ少年がすっくと立っているのが見えた。プラチナブロンドの髪が初夏の日差しを反射して大変眩しい。彫りの深い整った風貌に細くて長い手足、肌が白くてまるでアラバスター製のギリシャ彫刻のような、と非現実的なものへの驚きでじっと声もなく観察していると、おもむろにトラウザーズを下ろし腰に手をあて、どぼぼと川へと放尿を始めた。
「うああ」
川の流れは絶えずして、は解るが解るのと感情は又別で、釣りをしようという気は一気に消失した。
向こうも私の呻き声に気付いたのか、おもむろにこちらを向いてきた。
「お前、誰だ?何をしている?」
鋭い誰何の声に、周りの藪が、ガサガサ音をたて
「殿下、何ごとですか?ご無事ですか?不審者
か」
と口々に問うてきた。囲まれた。
いいから、『殿下』、とりあえずしまってくれ。顔を上げられないじゃないか。