8.めざめた日の私と爺~転生先は修羅の国~
前世話が続きます。15Gか18Gかカテゴリに迷っています。
「それで一つ頼まれてほしいのだがお前の娘にこ
れを被らして帰ってくれるか。」
鬘を手にしたマーサのことを私は祖父に顔を固定されたままだったので見ることは出来なかった。
ただ、支度もあるだろうもう下がってもよいぞという祖父の声に、はい喜んで!とばかりに「御前失礼します!」という弾んだ女の声が聞こえた。
バタンという淑女が立てるにしては大きな音を立てて扉が締まり、バタバタバタバタと足音が小さくなっていく。
「囮にするのですか。捨て駒?
両親は事故で行方不明では」
つい思い付いたことが口から出てしまった。
祖父はまじまじと私を見て、ついで目を輝かせた。
「なんと、この幼さでそこに気付いたか。
ガウィン、ショーン、我が孫娘は有望なのでは
ないか」
「いささか爺バカが過ぎるのでは、また子供を育
て損ねますぞ」
とガウィンが突っ込んだ。
人を育てるのは本当に難しいものだ、特に血縁はと疲れ顔で祖父はため息をつき、全部説明してもこの子なら分かる気がする。あれを持って来い。とショーンに命じた。
「まずはお前の両親だが、殺された」
ショーンが瓶と巻紙を部屋の奥から持ってくる。サーベルをガウィンに渡し、空いた手にショーンから受け取った大きめの液の入った、ピクルスの瓶に似たものを、どん、と祖父がティーテーブルに乗せる。見てみろと言われて5歳児には少し重く手に余るそれを持ち上げ、瓶の中をのぞき込んだ。
白くて丸いものが4つ、ふるんふるんと液の中を漂っている。と、一つがくるんとこちらを見……。
取り落としそうになったそれを祖父が両手で私の手ごと掴んで支えた。
「め、め、め、目玉?!本物?」
そうだな、お前の両親の目玉だ、宣う。
「隣領からここに送り付けてきおった。落とし物
を拾ったそうだ。」
昔から水の分配は紛争に繋がりやすくてな、テス川上流にある我が領と隣領は、流す水量で度々話し合いをしてきた。
ショーンが巻紙をティーテーブルに広げた。地図だ。
我が領は幸い、二つの大河の源流となる川を複数持っているが小さな隣領にはテス川だけだ。
ショーンがこれが我が領と隣領を流れるテス川です、と横から指し示す。
隣領の主力産業は農業であるからな、水が充分に得られるかは死活問題になる。息子らは哀れに思ってな、度々話し合いで我が領の農民を説得し、隣領に譲ってきた。
「人を哀れむと相手の嫉妬と憎しみを生むことも
ある」
話は変わるが、マーサとマリーについてどこまで知っている?と唐突に聞かれた。
「子爵の愛人だった方で子爵が高齢で亡くなられ
たあとマリーとともに薔薇のお屋敷に来たと聞
いています。私と同い年の子供を亡くし私の乳
母になった、と聞いています。」
「大枠は合っている。愛人をしていた子爵は俺の
弟でな、死産した子供の親は俺の甥だ。マリー
の目の空色は我らが一族の特徴だ。」
頭を、んあーという声が過り、思考停止に陥る。浮かんだ親子丼という下品すぎる言葉は前世の記憶か。
「息子が若い身空で老人の面倒をみて、
独りで子育てとはと哀れんで、屋敷に呼んだ。
マーサは息子の愛人を狙っておったようだが、
あれはお前の母親以外機微に疎い人間でな。」
マーサは父が落ちないと見るや次に屋敷に出入りしていた甥を誘惑、子が出来たがその子が死産してしまい、悲しんでいたため私の乳母に抜擢されたらしい。俺が中央の仕事で長く目を離した結果がこれだ、と苦々しげに瓶を指で弾きつつ祖父は続けた。
マーサは乳母といっても、私が3歳のときからで勿論乳を与えられたことなく名ばかりだ。しかしマリーの目の色とか空色だったか、思い出せず悩む。他の造作がマーサ過ぎてイメージがさっぱりだ。
男性がいないと生きていけない人間がいることは知っているが、子供を育てる乳母や保母として採用するには最適な登用か?と生きていたら父に尋ねたいところだ。慣れというのは怖いものでふわふわ浮かんでいる眼球をついジト目で見てしまう。
「お前の命は狙われている。
俺の子供はこいつだけだからな。」
と眼球を指さす。
「お前と俺が死んだら、甥に相続権がいく。
甥は我が領を相続したら今の妻と離縁し
隣領の娘を嫁に貰うつもりらしい。
まあ乗っ取りだわな。
甥はマーサにも離縁したら結婚してやると
甘いことを言って
今回の話し合いでの息子の行動経路を
流してもらっていた。
そして甥とマーサと隣領は繋がっている。」
書状は我が領の手のものによりこちらに全部筒抜けだ。後ろめたさはなくなったかと私をのぞき込んで祖父は嗤った。
「これから害虫駆除を行うつもりだが
その前にお前に問おう」
上げた三本の指を目の前で揺らされる。
「結婚して領地を離れるか」
「修道院に入るか」
「それとも領地を継ぐものになるか」
どれか選べ。
けっこん、5歳児が結婚?とずっと先の話と思っていた言葉が飛び出して混乱する。
「結婚を選んだ場合、相手は」
「そうだな、結婚には相手がいるな。」
悩み中といった体で祖父が顎をとんとんと指で叩く。すぐに応じてくれる相手に条件など付けられんからなぁ、と悪い顔で独りごちる。
「隠居されている先王の王弟殿は閣下の同級
生ですし、事情をお話しすれば」
とガウィンが余計なことを言う。良い案だな、みたいな雰囲気はなんなのか。爺に孫娘を売り飛ばすとか外聞とかどうなんだ。命あっての物種、ヘエソウデスカ。
「修道院はどこの?」
「攫われたり利用されない場所でないとな」
「ゾフィー派のメゾ修道院は山がちな我が領の中
でも険しい山のなかにあって人力のゴンドラが
唯一の交通手段という絶好の立地です。
いかがでしょう。」
絶好の立地について絶対に意見があいそうにない。それはともかくとして結局継ぐ選択以外選ばせる気はないんじゃないのか。
「けっこ」
「その意気やよし!俺の跡を継いでくれるか。
お前は今から遠い親族の少年エルだ!
マリーから貰った命だ。いたわれよ」
「ま、マリーは?」
「侯爵家の娘が使いそうな馬車に乗って帰っても
らおう。
マーサはもう屋敷の女主人気取りだろうし遠慮
はせんだろう。」
微妙にズレた答えが返ってくる。
「この城から薔薇のお屋敷までのルートです。」
ご覧くださいとショーンが示す。北にあるこの城からお屋敷までここを、と道を指でなぞる。「ずいぶん隣領との境界近くを通るのですね。」
感想を述べるとにっこり微笑まれる。
「ええ、そこが多分襲撃ポイントです。
お嬢様はすぐ前に倒れられた病弱な子供で山道
を強行するなどできませんから、
道の勾配がなるべく少ない道を行けば、
おのずとこの道を選ぶことに。」
という筋書きです。と言って地図をまたくるくると筒状にして手に打ちつける。
「ルートと自分たちが乗っていることをマーサは事前に手紙で子爵に送るでしょうが、その手紙をすり替えます。」とガウィン。
「マーサと私が乗っていたと思わせる?」
「そうだな。死体を検分されてばれるのは避けた
いな。」
襲撃後すぐ馬車に火をかけさせましょう。そうだな、焼死体は躰が縮むから少し体が大きいマーサの娘と分からなくなるだろう。逃げ出せないよう、ここの宿で睡眠薬入りの飲み物を渡しましょう。
朗らかにたのしそうに、よく出来ましたと頭を撫でられつつ、眼球が浮かぶガラス瓶の横でひとが死ぬ計画が詰められていく。
「マリーは捨て駒ではない。お前を生かす道を作
る、生き駒になるのだ。感謝しなさい。」
ああああ、ここは修羅の国なのだ。