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世界翁竜―シクォイア・チェロキー―



 その竜は一度も声を上げることなく、静かにゆっくりとその全身を土塊に変えて、湖に沈んでいく。ゆっくりと、時間をかけて。

 リスもキツネもヘラジカも、今だけは動かずに湖畔からそれを見つめていた。

 きっと何と無くわかっているのだろう。

 これが自分たちを守り、育んで来たその竜の最期だということを。

 いつも騒がしい師匠も、今は黙ってそれを見届けている。

 だから、俺も見送りの作法がわからないなりに、それを真似た。



 師匠が海と見間違えるような広大なこの湖に連れてきたのは一週間も前のことになる。


「ハイこれ」


 そう言って師匠は俺に虫網を手渡した。よく見るとポールはステンレス製で頑強そうだが、まさかこれで竜を捕まえろというのか?


「とりあえず、この出島にいる動物。目についた端から捕まえていくよ!」

「…………はぁ?」


 師匠はいつもいきなりだが、今回は流石に目的のアテがつかなかった。


「動物を捕まえて、どうするんですか?」

「説明は……今晩の夕食の時にしてあげる」


 師匠は焦らすのが好きだった。



「はぁ……はぁ……」


 キュキュキュ!

 と虫網の中でリスが暴れる。


「別にとって食わないから」


 と自分で言いながらなぜ動物を捕まえているのか俺自身わかっていないので補足した。


「……多分」


 リスが暴れるのが激しくなった。


「がるる!」


 空を見上げるとガルが火花で威嚇しながら鳥を追いかけ回していた。師匠曰く、鳥はガル担当らしい。やはりよくわからない。


「おー、お疲れー。とりあえずその子はこのケージに入れといて」


 師匠はキャンプ周りに無造作に置かれたそれを指す。

 その周りには大小様々な金属ケージがあり、既にキツネや野うさぎなどが入ったものもある。師匠が捕まえた動物達だろう。第三者に見られたら密猟者か何かと誤解されかねない光景だった。


「がるるる!」

「お、ガルちゃんおかえり。それじゃ日も暮れてきたから夕飯にしようか」


 師匠はバックパックからレトルトカレーのパックを取り出す。


「……よかった」

「弟子くんはなんか安心した顔だね?」


 師匠が不思議そうに言ってくるが、全てあなたの遊び心のせいです。とは俺にはまだ言えない。



 焚き木で暖を取りながら師匠に問いかける。


「で、そろそろ教えてくださいよ。今日の目的」

「ふっふっふ……弟子くん。今日一日、あの出島を走り回ってて気づいたことないかな?」


 気づいたこと……。


「そういえば似たような木が多かったです」

「うん、惜しい。他には?」

「…………わかりません」

「弟子くんもまだまだだなぁ」


 師匠はカレーを乗せたスプーンを咥えて満足そうに目を細める。


「じゃあ正解。実はね、あの出島は竜なの」

「……え?!」


 つまり、俺は今日一日ずっと竜の背中の上を走っていたのか。

 それに気づけないともなれば確かに師匠がダメダメというのも仕方ない気がする。


「亀の竜……とかですか?」

「ううん。違うよ…………あ、そうだ。これ、読める?」


 と思い出したように師匠が焚き火用の火掻き棒で地面に文字を書いた。


「世界翁」と


「……せかい、じじい?」

「ヒントは当て字です」

「よかいじ……せかいお……せかいや……」


 そこでふっと脳裏に先程出島で数多く見かけた木のことを思い出す。


「もしかして……セコイヤ。ですか?」

「え? うそ?! これだけで当てちゃうの?!」


 どうやら、正解だったらしい。


「私が教えられた時は三日かかったのにぃ…………」

「小学校の時にグラウンドに生えてたのを思い出したんです」


 確かに大きな木だったからアレが竜になればそれは立派な竜になるだろう……だがまさか出島と間違えるほどの巨体とはうまく想像できない


「セコイヤから生まれた竜。世界爺竜シクォイア・チェロキー。それがあの子の名前だよ」

「シクォイア……チェロキー」


 噛みそうになる名前をゆっくりと繰り返す。

 そこで次の疑問が浮かび上がった。


「その世界翁竜はなんで湖に沈んでるんですか?」

「さあ、あの子の趣味。としか言いようがないね」


 と師匠は肩をすくめる。


「なにせ、私達竜研究者が発見した時にはもう自分の背中に森を作っていたって話だから多分3000年はくだらないんじゃないかな」

「さんぜ……」


 桁が違う。


「だけど……うん、彼はもう寿命が近いから、その前に動物達を退避させてあげないといけないの」

「……え?」


 竜の寿命、今まで深く考えたことがなかった。


「弟子くんは初めてだよね? 竜の最期を見届けるのは」

「はい……そもそも竜が死ぬってのもまだちょっと実感が沸きません」

「まあ、そうだね。竜は基本的に数百年単位で生きる長命な存在だし、命を脅かすような外敵もいないからね。でも、竜も死ぬんだよ」

「がる?」


 俺は焚き火に尻尾の先を突っ込んで火のついた薪を突いているガルを見下ろす。


「ま、そう言うわけだからさ、しばらく泊まり込みで頑張るけど、お手伝いお願いできるかな? 弟子くん」

「……わかりました」


 作業は半月ほどかかった。途中で何度か現地の竜を知る人が手伝ってくれたり、あるいは初めて会う異国の竜研究者の一団が訪れたりした。

 彼らもまた森に棲む動物達と同じように、あの竜に世話になった人間達なのだと師匠は言った。


「竜研究者に彼と一度も関わらなかった人はいない。なんて言われてるんだ。樹竜の研究の面でも与えた影響は数えきれない」


 その結果、大方は調べ尽くされて今はもっぱら新人研究者の研修として関わるのが主なのだとか。


 そして、その日が来た。

 生き物のいなくなった島を師匠と共に歩いている時に地面が3秒ほど激しく揺れた。


「弟子くん、キャンプに戻ろうか」


 師匠が静かにそう言って、俺は無言でそれに従った。



 俺たちがキャンプに戻って湖越しに出島を……いや、世界爺竜の背中を眺めていると、長く続いていた潜水から浮上して酸素を求めるようにその竜が顔を出した。

 苔が一面緑色に髭面と隙間の目立つ牙不揃いな牙。瞼が持ち上げられて現れたぎょろりと丸い眼球。


「ァァァァ」



 その巨体にはあまり似合わない小さな咆哮の後、それはゆっくりと始まった。

 ポロポロと脱皮するように表面から竜の体が崩れていく。

 ぼろりと牙が抜け落ちて湖が飛沫を上げる。


「還元化。竜はその生命を終える時に自身の肉体を近隣の環境に沿った物質へと変換するんだ」

「変換?」

「火山に住む火竜なら炭に、海に住む魚竜は塩や水と言った具合にね。だから竜の亡骸は跡形も残らずに自然に還る。それが、竜の最期」


 世界爺竜はその肉体を土塊に変えていき、湖に沈んでいく。背中に生えていた木々も土台を失い倒れる。

 そんな、光景を俺達は見送った。ずっとずっと、太陽が沈むまで。



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