獅子竜―リズィ―
「俺、ゾウって初めて見ました」
今回師匠と共に鷲竜の背に乗り、南アメリカのサバンナに来ていた。
「嘘?! 一回も無いの?」
と先を歩く師匠が驚き、こちらを振り返る。
「テレビでは見たことありますけど、実物は無いです」
「動物園とか行ったことなかったの?」
「そうですね……爺ちゃん、人が集まるところ嫌いでしたから」
師匠と出会う前のことを思い出しながら説明すると、師匠はふーん、と腕を組みながら考える素振りをして。
「じゃあ、ついでだし今日は弟子くんのサファリツアーもやろうか」
「ガルル」
「ごめんごめん、ガルちゃんもはじめてだね」
「ガル!」
俺の頭に上で満足そうに鼻を鳴らしているガル、バッグから取り出した双眼鏡を俺の首にかける師匠、そして……師匠曰く「今日はボディガード役もよろしく」ということで共に歩く鷲竜の四人パーティでサバンナを歩くのだった。
「そういえば、今日会いに行く竜ってそんなに危ないんですか?」
竜にボディガードを頼んで調査に行くというのは今回が初めてだ。
いや、別に今までの竜が大人しかったわけでは無く、実際に何回かは襲われて危ない目にあってるんだけど。
今回はそれ以上にヤバい相手なのだろうか?
「いや? 獅子竜自体はむしろかなり温厚な子なんだけど……」
「だけど?」
「竜以外の普通に生息している動物達の方が危ないからね。ココ」
「あー……」
凄く当然の回答だった。
今更だけど、体長数メートルの竜達に慣れたせいで普通の動物への危機感がなくなっていた気がする。
「あ、弟子くん弟子くん! 見てみて、キリンの親子!」
師匠が指差す先には網目模様の首の長いあのキリンが荒野にポツンと生えた一本の木の枝葉を二匹で貪っていた。
「下手に近づいたり、見つからないように気をつけてね。蹴られたら死ぬから」
「……はい」
うん、マジでちょっと最近、動物舐めてたかも。
「……がるぅ」
そんなこんなでガゼルの群れやハゲワシ、シマウマなどなどの野生での生活を生で見るという貴重な経験をしつつ、サバンナの道なき道を歩いていると、ガルが何かに気づいたように周囲に気を張り始めた。
「ぐぇ」
次に俺達の後をついて歩いていた鷲竜がフラリと俺達から離れる。
そして、茂みの中に隠れてよく見えなかった血肉のまだこびりついた骨を見つけ出した。
「うっ……」
原型はほとんど留めておらずかろうじて肋骨だとわかる程度なおかげで直視できた。
「バッファローの骨かな……うん、近いね。茂みに隠れているライオンの尻尾を踏まないように気をつけてね」
ガルと鷲竜、二匹の竜が警戒心を露わにしている。
そして、二匹の視線の先。ざっと1.5m、俺の肩くらいの高さの茂み。その中にそれはいた。
「あれが獅子竜ですか?」
「ううん。獅子竜はもっと大きい。アレは普通のライオンだけど……まずいね。メスだ」
相手に不要な敵意を持たれないように師匠が小声で俺に耳打ちする。
ライオンはメスが狩りをするというのは俺でも知っている。まさか俺達、狙われてる……?
「その子の近くから離れちゃダメだよ。流石に竜に喧嘩を売ってくることはないはずだから」
俺は口を開かずにコクリと頷いて返す。
茂みの獅子はまっすぐに俺と師匠、そして俺達の後ろにいる鷲竜を見つめている。
「とりあえずこの食べ残しから離れて……」
「ミャァア!」
「っ?!」
子猫の悲鳴のような声。その場にいた五組の瞳、その全てが声の方に向けられ、誰よりも早く茂みのライオンが俺たちを無視して駆け出した。
「後を追おう!」
「はい」
「グワァ」
俺はガルを落とさないように頭の上から下ろして抱き抱え、走り出した師匠の後を追いかける。
数メートル離れた平地、そこで二匹のライオンが組み合っていた。
一匹は先程のメスライオン。そしてもう一方はメスライオンよりも一回りガッチリとした体のオス。
「ライオン同士の喧嘩……でも、なんで?」
「アレ見て」
師匠が指差す先、取っ組み合う二匹から少し離れた場所にイエネコサイズの小さな仔ライオンが体を丸めてその争いを見ていた。
「多分、あのオスが子供を襲おうとしたんだ。別の縄張りから来たんだろうね」
「でも、このままじゃ」
体格は明らかにオスが有利だ。
今はまだ均衡が保たれているが、それも時間の問題だろう。
「……ガル!」
俺の腕の中のガルが明後日の方を向いた、と思った次の瞬間、侵入者たるオスライオンは数メートルを吹き飛ばされて地面に転がっていた。
「グゥウウゥゥ」
両者の間に割り入って現れたのは体高2メートル巨大ライオン……いや
「あれが、獅子竜……」
焦茶色の豊かな立髪が首回りから背筋にまで伸び。その強靭な腕は大木の幹のように太い。獣竜は元となった動物によく似ているが獅子竜は今まで見た中で最も似ている。それこそぱっと見は巨大なライオンにしか見えない、強いてその違いをあげるなら尻尾だろうか。
ライオンの一定の細さのしなやかな尻尾とは違い、恐竜のように根本が太く先細りする尻尾。
「グルルルゥ」
獅子竜は唸り声をあげて、自身の腕で殴り飛ばしたオスを睨むと、その圧倒的な力の差を理解したオスライオンはまさに尻尾を巻いて逃げるというように走り去って行った。
ここは獅子竜の縄張りってことか……いや、っていうか、あの親子もっとヤバいことに。
「ナァオ」
「あっ!」
だが、そんな俺の心配をよそに小さな仔獅子は獅子竜の尻尾を猫じゃらしに見立てて飛びついた。
「……あれ?」
だが恐ろしい想像とは裏腹に、獅子竜は少し困ったように自身の尻尾で遊ぶ子供を一瞥して、横たわるメスライオンに一歩近づき、鼻先で支えて立ち上がらせた。その一連の動作に先程のオスライオンに向けていたような敵意はない。
「ガル……?」
「グェ」
俺と同じように二匹の竜も拍子抜けしたような声をあげるのだった。
そして、俺たちは獅子竜とライオンの親子を少し距離を取りつつ後を追い、十分後に数十匹のライオンの群れのいる川辺にたどり着いた。
「壮観、ですね」
「だね。私、動物好きだからテンション上がっちゃう」
俺達は茂みに身を隠し、双眼鏡で獅子竜を中心にしたライオンの群を観察する。
群れの構成は殆どがメスか小さな子供でオスは数匹しかおらず、おそらくその小柄な体躯から予想するにたてがみも生えそろったばかりの若い個体だろう。
「獅子竜とライオンの間に出来た子供……では無いですよね」
「うん。違うよ。あの子達は群れのリーダーが変わって、居場所がなくなっちゃった子達」
前のリーダーの子供は新しいリーダーに取っては邪魔な存在。そういった子を群れの仲間として受け入れるオスは稀なんだという。
「獅子竜本人はそういう子達を他の群れから守って、守られてるメス達は狩った餌を獅子竜に献上する。竜の共生の貴重なケースだね」
「『共生』ですか」
その言葉を当てはめた瞬間、双眼鏡の先で繰り広げられる仔ライオン達が獅子竜の体を山に見立てて登り遊ぶ姿が、一気に特別なものではなく当たり前な生物の営みの一つの形に見えてきた。
「あのオス達も成長したら独り立ちするんですかね」
「そうだね。自分の群れを作るために旅立つんじゃ無いかな」
「もし、そんな子達が他の群れのリーダーを倒して、群れを乗っ取ったりした時って……どうするんですかね」
「そうだね……獅子竜みたいなライオンになったらちょっと心が暖かくなるよね」
「……ですね」
野生を冷酷と考えるのは人間だけで、そこには別に悪意とか優しさが介入しているわけでは無い。
だけど、うん。勝手に妄想するのもまた、人間だけなんだからどこからも文句は出ないだろう。
仔ライオンが獅子竜の立髪に噛み付いて、毛を引っこ抜いた時、獅子竜の大岩のような体がびくりと震えた。
「痛かったんだ……」