馬竜―ステラエクゥス―
俺と師匠の住んでいる場所は、一言で言うなら、牧場だ。
いや、実際に牛や豚を飼っているわけではなく、生活空間以上の広大な土地があるという意味で牧場のような物だ。
まあ、一応その土地に住んでいる生物はいるにはいるのだが、
「えっと……鷲竜が4匹、鶏竜が五……羽?」
俺は師匠から受け取ったチェックシートのに書かれた数と目の前の竜の数が一致することを確認して行く。
「そういや、竜ってなんて数えるんだ?」
鷲竜はもう完全に見た目がグリフォンだ。匹と呼ぶのに違和感はない。問題は鶏竜だ。
「……ダチョウとかそっちの見た目だよな」
「ココココッ」
羽毛の生えた長い尾はあるし、嘴に牙もある。だが、そのシルエットは完全に鳥だ。
「さて。この区画はオッケーっと」
「がるる」
「次はどっち?」
「がる!」
そして俺はチェックシートをノートに挟み、ガルが促す方に足を伸ばす。
これは俺が初めて師匠に任された一人での仕事だった。
『ウチの敷地内で竜を保護しているのは知っているでしょう? その数の確認をしてきて欲しいの』
そう言いながら、師匠は今度の学会で発表するらしい論文の用紙にへのへのもへじを書いていた。
『私しばらく動けないからさー、お願い!』
前に師匠が言っていた。この敷地内には人間と生活圏が被ってしまった竜や、長い時間の経過で変化した環境に適応できなくなった竜を一時的に保護しているのだと。
保護と言っても、住みやすい環境を提供してほとんど放置しているだけなのだが、それでも学会のお偉いさんへの定期報告の義務は必須らしい
『ま、気軽に行っといで。夕飯までには終わると思うから』
ちなみに、これを言われたのは目が覚めた朝七時の話。そして俺と師匠の夕飯時は大体十九時である。
「結構、歩き疲れてきた……」
「がる」
「お前は俺の頭に乗ってるだろ」
鉱体竜の住む山を登ったり、蟲竜達が住む森を抜けたり、魚竜の泳ぐ湖で顔を覗かせるのをじっと待ったりとやって、ノートのチェックシートはようやく7割ほど埋まり、空はもう日が沈み赤から藍に。
ショルダーバッグから水筒を取り出して水分補給をしようとするが水滴が2、3滴舌を濡らしただけだった。
「えっと、残りは…………ガル?」
「がるぅ」
ガルが気を取られている方に視線を向けると綺麗な満月、そして、その下に月明かりを浴びる綺麗な一匹の竜がいた。
すらりと細い胴からほっそりとしながらもしなやかな強さを感じる前脚と強靭な腿が特徴的な後脚。長い首筋に黄金色のたてがみ。芦毛色の鱗。
月光を浴びて君臨するその3m越えのしなやかな体躯。
竜を見て、凄いとかカッコいいと思う事は何度もあったけど、なんていうか、こいつはそう……口に出すのは仰々しいけれど、美しいんだ。
「がる」
そんな風に見惚れている俺の髪をガルが引っ張る
それは『警戒しろ』の合図。
「何か気に触る事したのかな」
馬竜は細い足先で牧草を踏みしめてこちらに悠然と近づいてくる。
その動作はとても軽やかで淀みがない。走って逃げてどうにかなる相手では無いのは確かだろう。
「ガル、刺激しないようにお願いね」
「がる」
そういうと頭の上でぐるりとトグロを巻いて動かなくなった。
「俺に丸投げかよ……」
そうこう言っている間に馬竜と俺の距離はどんどん近づき、その度に視線を合わせようとすると首が上を向いていく。
そして、ついに馬竜の体が空の月を覆い隠すほどに近づいた。
「…………」
馬竜はスッと首を下ろし
俺の顔の前に鼻先を近づけた。
「あの……俺は師匠に頼まれて……」
「ブルルルゥッ!」
言い訳を言い切る前に熱い唾液混じりの吐息を顔にかけられた。
「……ヤバいかな」
俺の呟きが聞こえたのかどうかはわからない。だが、馬竜は俺に近づけた口をガバッと開き、俺の服の背中を噛んでもち上げた
「えっ? うわぁ!」
驚きの声をあげている間に、ボスっと馬竜の背中に乗せられていた。
状況がさっぱりわからない。
「ブルッ!」
再度鼻先を鳴らして黄金のたてがみを揺らす馬竜……まさか、掴まれと言っているのだろうか。
恐る恐る、目の前にある首筋に抱きつき、軽く黄金の毛を掴む。
「ブフゥ」
すると、さっきより少し優しい声が返ってきた。
どうやら正解だったらしい。
「これってもしかして……」
この状況、俺の状態、そしてこいつは……馬の竜だ。
「ヒヒィーン!」
いななきと共に馬竜の前脚が持ち上がり、その落下の勢いで大地を力強く蹴った。
「やっぱりぃ!」
恐るべき加速、思い出すのはこの前、師匠に乗せられたアウトバーンを走るオープンカー。
しかし、こちらはタイヤじゃ無い。常に地震の中にいるような揺れに振り落とされないように必死に縋り付く。
ちなみに頭の上のガルも必死に俺の髪を咥えて耐えているので凄く痛い。
時間の感覚すら狂う速さが急に止まった
「や、やっと、止まった……ガル、いる?」
「がゅ……」
流石にコイツもこの暴走は堪えたらしい。
しかし、どこに連れて来られたのだろうか? と思って周囲を見渡す。
「あれって……」
場所は森、そして頭上を見上げる馬竜の視線の先にいたのは黒い蜘蛛竜。
落ちないようにバランスをとりながらバッグから師匠に渡されたリストを取り出す。
やはり、「蜘蛛竜(前にあったのと違って黒いやつ)」という記述があった。
「……もしかして」
馬竜は首を捻って背中に乗った俺をひと睨みする。
なんとなくだが、早く書け。と言われている気がした。
俺がリストにチェックを入れて再びバッグの中に収めると、馬竜はまた恐ろしいスピードで走り出し、しばらくして、また、俺がその人出会っていなかった竜の近くで足を止めた。
「あ、あの! 何で手伝ってくれるんだ?」
と聞いてみたが、馬竜は何も答えてくれず、最終的には師匠と俺の生活する一軒家の前に連れて来られた。
「あ、ありがとう……ございます」
何とか口には出したが正直言って、疲労感は間違いなくこの背中に乗っている短い時間の方が濃密だった。
「あの、できれば降ろして欲しいんですが……」
馬竜の背中から地面まで軽く3メートル以上はある。とびおりれば間違いなく怪我をする。
なので、丁寧にお願いしてみたが、馬竜は一向に俺を地上に下ろしてくれる気配はなく、それどころかその場で力強くいななきをあげた。
「ヒヒィイーン」
もうこいつが何をしたいのか分からない……
と思っていると扉がガチャリと開き中から師匠が現れた。
「自分から来るなんて珍しいね。でも悪いけど今は忙しくて遊んであげる時間は……」
「ブルッフフ!」
そして馬竜はそんな師匠の顔の前で唇を震わせて荒い息を吹きかけていた。俺にやったのと同じように。
「え? うわぁ!?」
そして今更のように俺の服を軽く咥えて師匠の目に前に降ろしたのだった。
「あれ?弟子くん?」
「た、ただいま……です」
困惑する俺たちを他所に満足したように蹄を鳴らして馬竜はその場を去っていった。
「ねぇ、弟子くん……私、なんであの子に怒られたのかな?」
「……さあ?」
と言うかあれは怒っているというアピールだったのか…………じゃあ俺も怒られたのか?
その日の夕食の時、師匠に馬竜に作業を手伝ってもらった事を話してみたが馬竜の怒りの原因がさっぱりわからなかったのだが、答えはその翌日にあっさりと分かった。
「師匠、玄関前に馬竜がいるんですが」
「いるね……」
論文を書き終えた師匠と共に敷地内の竜の観察に行く時の事
家の前で待っていたらしい馬竜は、師匠と俺を交互に見て、満足したように去っていった。
「もしかしてだけど……昨日弟子くんを一人にしたのを怒ってた……?」
「それってつまり……迷子を送り届けた感覚だったって事ですか?」
いや、竜の寿命からしたら俺なんて赤ん坊かもしれないけれど。
「かもね」
「なんか複雑な気分です……」
ちなみに、実験と称してその日、日が沈んだ後に師匠が俺を一人で取り残して帰ると本当に馬竜が俺の所に来て、家まで送り届けてくれた。
ただし、師匠は今度は息だけでなくヨダレまでかけられていた。