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離昇急げ

 走り帰った飛び関船では、激しい撃ち合いになっていた。森から出てきた、鳥銃を構える一団との鉛の応酬だ。飛び関船の分厚い木材に、人体の骨をも粉砕する大きな鉛玉がぶつかる。


 大筒がある分、やや一藤左衛門側が有利か?


「一藤左衛門殿、敵が来ておりますぞ、お早く」


 戦の中でも妙にのんびりとした声が、大鉄砲のバネを落とした。大筒よりは小さな爆発が、森の細木を倒す。


 するすると降りてきた縄を掴んだ水夫が、続々と引き上げられた。小僧も……。


「小僧!」


 生意気に小僧は胸を張って、矢面に仁王立ちで迎えた。一藤左衛門は、短筒を威嚇に撃つ。樹を盾にしていた兵が、派手に音をたてめりこむ鉛玉に驚き、撃たずに姿を隠した。


 間髪いれず、小僧にも拳骨が落ちた。一藤左衛門の、わりと本気の拳骨だ。小僧は伸びた。五月蝿い小僧が静かになったことで、これを縄に括り付け、引き上げさせた。


 気がつけば、一藤左衛門が最後だ。


「ッ」


 脇腹の肉が貪れた。


 鳥銃の鉛玉が、掠った。


「できれば急いでほしいのだがな」

「一藤左衛門の旦那、お早く」


 どくどくと流れる肉から脈を感じながら、縄を掴む腕の力は強い。


 だがそれでも、一藤左衛門は生きて飛び関船の中へと帰還を果たした。一藤左衛門自身、死んだと思った。何せ、背中に無数の鉛玉や矢を受けた。一つ、二つの命ではまず足りない。それを、無防備で生き抜いた。


 寧ろ驚愕というもの。


 惚けている暇はない。


「まだ飛べないのか」

「錨をあげれば、飛ぶには飛べましょう。水上船ではないのです。穴が空いていても水は入らない」

「では何が問題なのだ」

「点検をして気がついたのですが、使っている浮き岩に亀裂があるのです。下手に衝撃を与えるとバラバラにーー」

「かまわん。飛べ」

「ーー御意」


 激しい戦の中で、縫い目の増えた帆が張られた。風をその一身に受けて、飛び関船の腹をズルズルと引き摺る。


 錨が地上の引っ掛かりを失った瞬間、飛び関船の重さは限りなく無に等しくなった。


「飛ぶぞ」


 遠のく地上では、鳥銃の口を下げた兵らが、飛び関船に巻き上げられた砂煙に消えていく姿があった。


「あー」


 情けない貰い傷だ。


 一藤左衛門は、脇を貪る傷を手当てさせた。傷口を縫う針と糸を抱えた坊主が、脇の傷を縫い物した。


「イテッ」


 我慢できない痛さではない。気にするものではなく、動けないことのほうが退屈なくらいだ。だが、一藤左衛門は何故か、過剰に痛がった。今にも殺されそうな、大根役者だ。


 何故か。


 小僧が、帆柱から心配そうに見ていた。


 傷を縫われている、一藤左衛門の姿をだ。


 見た目だけは、一藤左衛門の脇から流れた血はそれなりであり、今にも死にそうな致命の傷に、まあ、見えなくもない。


 死ぬかもしれない。


 死体がゴロゴロとする中でも、小僧が死を気にするのは、それが自分の先を安否しているからだろう。


 一藤左衛門は、自分の考えが的を射ていると考えた。


 だから、少しばかり驚かしてやろう。多少は、お灸を据えてやれば大人しくもなる。……だろう、と。


 大人気ない悪戯心というものだ。


「小僧……」


 一藤左衛門は、まるで遺言でも語るように呼んだ。言葉は通じないが、手招きの仕草は理解された。小僧が、びくり、肩を震わせて、慌てた足で駆け寄る。


 なんだ、少しはしおらしくもなれるのではないか。


 一藤左衛門は、内心でほくそ笑んだ。不思議と、いや、言葉にはできないなにかを感じ取った。


「俺ぁ、もう駄目だ」


 腕を震わせながら、小僧の手を掴む一藤左衛門。小僧は、しっかりと握り返した。痛いほどだ。


「お前とは、言葉が通じない。なにを言っているのか、お前にはわからないだろう。お前がなにを言っているのかさえも、俺にはわからない。だがーー」


 一藤左衛門は、寂しい風に微笑んだ。


「お前の、心はわかる。全てではないが……」


 手当ては終わった。傷口は完全に縫われて塞がっている。血も止まっているかから、内側から腐る心配はないだろう。もし腐り始めたら、糸を切って、傷口を開いて、腐った瘡蓋を削ぐ。化膿するなよ、一藤左衛門は本気で願った。


 傷を縫った者は、一藤左衛門の芸になんともいえない顔だが、ただ、神妙そうに首を横に振って、去った。


 小僧は、ハッとした表情で掴んでいる手に、更に力を込めた。怪力だ。さすがの一藤左衛門も、冷や汗が流れた。腕が折れそうだ。


「言葉を教えてやりたかった。そうすれば、今の全てを伝えられたというのに」


 ただ、演技というのは、上手い役者がやるものであって、一藤左衛門は大根であった。あっさりバレた上、傷口を蹴られかけた。反射で殴り返して小僧がのびたが。


 流石に気まずいので、小僧を適当に転がし、看病していた。


「はぁ……」


 ジクジクと、脇の傷が痛んだ。耐えられない痛みではないが、不快な痛みだ。一藤左衛門は、痛みが大嫌いだ。


 痛み。


 一藤左衛門は、それから逃げたかった。地上にいては、きっと、無理な願いだ。


(走って生きても、転けて擦りむいて、死んでしまう)


 浮き島が多く漂う。


 上下への錨の打ち込みには苦労しないだろう。備え付けの大筒も使える状態だ。


 暴れ鯨から出るのは、もう少し日にちが必要だ。


 しつこい奴だ。


 例のガレオン船が、浮き島の影から姿を現した。蛇並みの執念深さだ。


 浮き島から落ちるように離陸した飛び関船だが、そのまま全て終わったとはいかない。鳥銃の戦列を引き裂き飛んだ先に待っていたのは、浮き島に堕ちた原因を作った、手強いあのガレオン船だ。


 待ち構えていた。


「小僧!船倉でキンタマ隠していろ」


 黒部の空軍が気がつくまでは、まだ時間がかかるだろう。それまでは独力で生き抜かなければならない。


 生きる意志無くして生きられない。


 戦いは避けられない。


 ならば戦え。


 一藤左衛門は、傷があろうがなかろうが、戦えるだけの力を絞らせた。九割死んでいるとしても。一割は戦えるのだ。


 一藤左衛門の背中を、小僧がついて回った。


 隠れるつもりは、ないらしい。


「……」


 そうか。


 ただ、一藤左衛門はそう思った。


 時代遅れだが、鎧の一つでも着せるべきだろうか。一藤左衛門は考え直した。鉛が貫いたあと、かえって危険なことが少なくはない。それに、陸での戦いほど、足は安定しない。


 兜だけを、小僧に被せた。緒を締めて、小僧は顎の不自由に嫌そうな顔だ。吹き返しも立派な兜である。散弾の破片から、小僧を守ってくれることだろう。


 多少、小僧が小さすぎ、すわりが悪いが。


「まだ少し、時間があるか」


 にじり寄るように近づいてくるガレオン船に、今から慌てたところで仕方があるまい、と、浮き足立つ水夫らに喝が飛んだ。ジタバタ無様を晒すな、と。


 酷い言い様ではある。


 その飛びガレオン船に、多くの仲間らが殺されているのだ。強敵だ。殺されることが充分に可能性、大いにある。


「舵輪を貸せ」


 船足は、ガレオン船のが優速だ。お互いの火力は既に一度戦って、知っている。もう一度、あれを再現したとき、浮き岩が砕ける可能性が高いのは飛び関船のほうだ。


 砕ければ最後だ。


 人間に空を飛ぶ翼はない。


 一藤左衛門は悩んだ。


 果たして、この選択で生き残れるものだろうか?


 わからない。


 わからないが、決断しなければいけない。


 実行させなければいけない。


 一藤左衛門は、船長なのだ。


「大回頭に備えろ、派手に固めていくぞ、移乗準備だ地獄の鬼ども!」


 おぉ!


 飛び関船は、飛ぶ限界だ。ならば、代わりの飛び船に取り付いてしまえばいい。たったそれだけの、単純な答えだ。


 一藤左衛門は、少し前の水上船にも見慣れなかった舵輪を回した。水上船と比して長大な舵が梃子と滑車の力で流れる空気を押しのける。


「怖いか、小僧!」


 傾く船体の中で踏ん張りながら、一藤左衛門は訊く。答えなんてものは聞いていない。


「これが生きると言うことだ!」


 大回頭を終えた、二隻の飛び船が鼻を擦るように互いを追いかけ回し、やがては横一列と並んだ。


 内側に、一藤左衛門の飛び隻船だ。


 左手に、大きく帆を軋ませる飛びガレオン船が並んで飛んでいた。


 見慣れた連中が砲の側で目を開いている。先の砲戦で知った顔ばかりだ。だからと情けや容赦はなかった。


「少し揺れるぞ」


 一藤左衛門は舵輪を回した。飛びガレオン船へと向かい、飛び関船が体当たりをかまそうと揺れた。


 ガレオン船の船長も、察していたのだろう。


 打ち合いの問答もそこそこに、飛びガレオン船が寄せてきた。敵もやる気だ。一藤左衛門はワクワクした。目一杯、回した。やがてそれ以上回らない場所までくると、元の人間に舵輪を返した。


 腰の得物を引き抜く。


 近くガレオン船に、斧や鯨包丁、熊手や鉤縄を手にした水夫らが手ぐすねを引いた。だがそれは、飛びガレオン船の強者も同じだ。


 そういえば。


 ふと、一藤左衛門は空を見た。


 今日は、飛び馬がいないのだな。


 邪魔者がいない。


 飛び関船と、飛びガレオン船。


 一騎打ちだ。


「……」


 犬歯を剥き出しに、兵であるのかさえも怪しい、水夫の一人に至るまでが、牙を剥き出しに闘志を見せた。鉤縄を掛けようと振った男が、鉄釘や破片を詰めた大筒の斉射にバラバラに飛び散った。飛び関船からも焙烙玉を投げ込んで、火を噴いた鉄の破片が飛び散り、ズタズタに引き裂く。


 大量の血を吸い込んだ縄や、鉤が、飛び船を固く繋いだ。鉄にさえも食い込み爪だ。もはや、どちらかが雌雄を決するまで、これが外されることはない。


 城と城のぶつかり合いだ。


 もはやお互いに、逃げる気などなかった。雁字搦めと固定された縄や熊手を斧で叩き切る人間は、どちらにも一人もいない。


 あの時のように。


 雲や雨はなかった。


 広い空だ。


 果ての果てが、そこには見えていた。


 戦叫びがーー轟いた。


 昼間の花火は、どこか滑稽だ。


 打ち上げられた、白い煙の花を見上げた一藤左衛門は、そんな風にボンヤリしていた。


 二隻の飛び船は、無残な瓦礫と並んだ。


 空から沈んだ二隻だ。


 飛びガレオン船の乗り手は、全員が方々に帰った。捕虜はとっていない。


「黒田家の旗印!安宅が浮いているぞー!」


 黒田藩の、飛び安宅船だ。関船よりもさらに大きな城を構えた姿は、船には見えない。方々に大筒を備え、乗り込む兵の数も多いだろう。


 一藤左衛門は、安宅船に詳しいわけではない。だがそれでも、巨大で、重く、強い、これくらいは知っている。


「小早を降ろしたな」


 安宅船から、小さな小舟、小早船が降ろされた。使者か何かだ。手で帆を操りながら、風の階段を飛び降りている。飛び船が下降するのは、昇るよりも難しい。


「小僧、顔を拭いておけ」


 生き残った者は、全身に返り血を浴びている。死んでいる人間も同様だ。不恰好に兜を締めている小僧も、そうだった。一藤左衛門は、小僧の顎に食い込む緒を外した。


 息苦しさから解放されて、小僧は大きく息を吸った。


「あ〜、なんだ、疲れた」


 どかり、一藤左衛門はその場で腰を落とした。これから黒田の使者を迎える。礼儀知らずだ。


 問題はないだろう。


 戦が終わってから、のこのこと現れたのだ。


 それを土足で乗り込んできた自覚もなく、上から物を言われる筋合いはない。


……という、恐れ知らずな考えが、一藤左衛門だ。


 得物を振れる力は残していた。


 使者が不快の関を切れば、斬り合いになるのは明白だ。


「それがーー『海図』か?」


 乗り込んで来たのは、ただの使者ではない。黒田藩藩主、黒田国康だ。藩主直々にボロ船に出るとはな、と一藤左衛門は鼻を鳴らした。


 大陸藩主の黒田国康と、一藤左衛門は仲がよろしくない。一藤左衛門が朝鮮の役において、国康の鼻と腕と胸の半分の骨を折ったせいだ。


 些細な衝突だ。


「海図? 何の話だ」

「そこの餓鬼だ」

「小僧のことか? コイツは、うちの船に引っ張り込んだ騎馬民族の誰かだよ。海図が何なのか皆目見当もつかないが、海もみたこともないだろう」

「……シラを切れる。本気でできると思っているのか」

「朝鮮で殺さなかった貸しを返してくれるのは今だぞ?」

「……」


 護衛の額に青筋が浮かび、同時に、顔面を蒼白に変えた。


 斬る。


 国康のその意思だけで幻を作り、一藤左衛門の左肩の骨を断ち、胸に骨をことごとく断つ。幻の刃は、今この瞬間も、一藤左衛門を殺したがった。


 だが、抜かれることはなかった。


「後悔するかもな」


 国康はそう言い、「後悔はずっとある」と一藤左衛門は答えた。


 約束の積荷は、引き算無しで全て黒田藩に届けた。手形と交換に、金を受け取った。仕事の終わりだ。


 帰りの積荷と仕事も受けた。


 空荷で飛んでもしようがない。


 だが、その前に。


「水夫らを調達しないとな」


 まずは、一人は決まっている。


 失われた海図だか何だか知らないが、幾度の戦いを生き抜いてきた歴戦の小僧だ。


 一藤左衛門は、小僧の頭をわしゃわしゃ撫で回した。油断した小僧が跳びのき、衣がはだける。


 その乳は少し、膨らんでいた。


「……言葉をお互い、覚えようか」


 勉学に励むことが増えそうだ。


 だがまずは、バラバラの船を直すことだ。大工集が寄って集って、関船とガレオン船から、合いの子を作った。


 帆に風が孕む。


 船出だ。


 見送るつもりはなかった。

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