泥のない世界
前後の楼閣から矢が放たれる。
矢は、雨をその鏃で、その羽根で弾き進み、綿入りの絹を纏う兵の腹を貫いた。鋼の鏃はハラワタを散々に切り刻み、背骨を粉砕し背中へと突き抜けた。吹き出た臓腑と血が染み込む暇もなく雨が流す。
「思ったよりも遥かに手強かったか!」
「飛び馬が雲から降ってきて、あっという間にです。空の戦に手馴れています。空の騎馬突撃をこうも上手く扱うのを見るのは初めてです」
「俺もだ。……大鉄砲、中央に陣取った連中を叩き返せ!」
矢に変わって、弾込めを終えた大鉄砲が狭間に立つ。火縄には火が点っており、合図一斉、バネが打ち付けた。
前後の楼閣とは、砦と同じである。乗り込んだ賊徒どもは城攻めで火を浴びるのと同じように挟まれ、倒れていった。
「飛び馬が帰ってきた!狙いは後楼閣!」
「乗り込んでくるぞ、槍持て!浮き岩の体当たりにまともに立つな、一撃は向こうに掛けさせて足を止めるんだ」
「置き盾を狭間から下げろ!」
物見の格子から、雨を飛ぶ馬が見えた。馬程に軽ければ、本格的な帆が無くとも、簡単な風受けで風に乗れた。浮き島そのものが元より飛んでいるのだ。簡単な張り出しが風を受けること、それと重心を変えることで自在に飛ぶ。大筒などで重く武装する飛び船とはまったく違う存在だ。
飛ぶだけならば、馬はいらない。飛び鎧もある。だが、馬という質量が自在に使えれば、それは単純に鎧が浮かぶだけとは段違いの、まさに空飛ぶ騎馬武者と変貌する!
飛び馬の騎手が、手綱と風受けを同時に操りながら迫る。
人馬一体の大質量は、例え甲冑を纏う武士であろうとも、これを酷く容易く、枯れた葉を折るように轢殺していくことであろう。
それが……眼前で巨大と化す!
「来たぞ!」
光沢する馬体は雨を弾き白く燐光縁取っていた。落下の速度が乗り、それは丘を下る馬よりも速い。浮き岩を抱いた馬が、迫る。
「ッ!」
当たる寸前に、飛び馬は跳ね上がった。浮き岩を晒し、飛び関船の鉄板で補強された壁を突いて破って見せた。鉄が割れ、次いでメキメキと分厚い木板が割れた。
楼閣へと侵入した飛び馬は、素早く浮き岩を外され、ただの馬、されど人馬一体の物の怪じみた怪力で暴れ狂った。
武装した水夫らは次々と、この人馬の勢いに気圧され圧倒された。人馬が槍と足と馬体を繰り出せば、近寄ることもままならず、腰を抜かすものまで出る始末。
嘶きが木霊した。
日本語ではない言葉が叫ばれた。
「馬だ、馬を射よ!」
一藤左衛門が叫んだ。種子島に弾込めの余裕はない。ならば矢継ぎの速い弓を構えさせるが、人馬が追いかけ回し、思うようにはいかない。外では、二騎目の騎馬が迫った。
その時だ。
水夫の一人が遂に痺れを切らせ、この野郎、と掛矢を投げつけた。城門破壊の工兵も時に使う大型の槌はくるり回って飛翔し、馬の頭を正面からカチ割った。頭蓋が砕け目玉が陥没、鼻や耳から血を噴いた馬は、どう、と倒れた。転がり落ちた騎手は、しぶとく這って逃げ続けたが遂に追い詰められ、鯨包丁で串刺しだ。
「ぎゃっ!」
「うっ!?」
やっとで騎馬を仕留めたと思えば、楼閣の大破口から矢が送られてきた。置き盾が前に出るが、矢継ぎが早く、次々と射かけてきた。薄い鉄板は棒火矢や焙烙玉の火炎はよく防ぐが、対鉄に細く整えられた鏃にはしばしば貫かれた。
一本、二本、程度でどうこうなるものではない。だが、敵の弓取りは優秀かつ矢も潤沢なようで、数十の矢が突き刺さり、鉄よりも合わせた木材が耐えきれずヒビ割れを起こした。
脆くなった置き盾を貫通し、盾を支えた水夫の腕を引き裂く。
「鉄砲衆、まだか!?」
「いけます!」
ついぞ、待ち焦がれた種子島の弾込めが終わった。飛び関船からもよく弓を射かけてはいるものの、雨と飛び馬という条件では、ひらりひらり蝶のように狙いが遊んで定まらない。
「一同、合わせよ」
数十の種子島が、同時に火を噴いた。大鉄砲と比較すれば明らかな見窄らしさ。だが、その斉射は雷のように腹を揺さぶり、肝を潰すだけの衝撃を効かせた。
轟々降りしきる雨の中でそれは、光り、まさしく雷が落ちたと思われたのかどうかは定かではないが、肝を押し潰された二騎は、混乱する暴れ馬を制すること難しいようだ。先程までの色を失い、雲の中へと逃げ込んだ。
「えぇい、穴を防げ」
死体となった馬と盾で、崩された穴を応急した。戦いはまだ続いた。続いている。流れ矢かいずれにしろ、馬の死体に刺さった。
狙いは帆と帆柱か。一藤左衛門は、飛び関船の足が狙われていると見抜いた。
飛び馬連中は、前後楼閣に引いた一藤左衛門らをできうる限り牽制しつつ、中央に立てられた帆柱と帆を破壊しようと試みた。幸いまだ、楼閣からの斉射が功を挙げていて、帆柱取り付かせる前に撃破してはいた。飛び馬から降りて、斧などで叩かなければ帆柱は切れない。
帆は別だ。
一刀で切り裂き細切れというほど、帆は切り易いものではないがそれでも、擦れ違いざまにいくつも引き裂かれた。
「こんなものか?」
死闘である。しかし、一藤左衛門は首を傾げた。種子島が、弓がこれでもかと射かけ、お礼にと言わんばかりに雨に矢が加わる。落ちる飛び馬からの矢は桁違いの破壊力だ。帆柱と帆を守る戦いは、楼閣からでは苦戦した。いくつも斧が叩き込まれた傷が増えた。
だが、それだけだ。
窮地でなければ決死でもない。いずれは飛び馬側が根負けするだけだ。
種子島の玉を喰らい、ハラハラ落ちていく飛び馬がいた。
「このまま暴れ鯨の群れへ突入する。舵取り、全幅を置いているが、この船を落としてくれるな。任せる」
「応」
舵は気負うわけでもなく、ただ、応えた。負傷者は奥で手当てを、戦える人間はもう一度武器を手に。
影が揺らいだ。
雨雲ではない。
巨大な浮き島が、外で犇めいている。
暴れ鯨の群れだ。
ガタガタと風が吹き荒れ、浮き島は簡単に動いた。数多くの飛び船を引き潰し、破壊し、大地へ叩きつけた怪物。これから一藤左衛門と彼の飛び関船が突っ込む空とは、そのような空だ。
「右舷に船影!浮き島じゃないぞ!!」
一藤左衛門も目を寄せた。何か、雲から落ちてきた。何かも何もない。飛び船だ!ずらりと並べられた大砲の数々は、日本の安宅船や明の戎克船とは明らかに違う構造から作られていた。
文明が違う。
一藤左衛門の前に現れた船は、大陸を挟んで反対の文明が起こした、ガレオン船の巨影だ。
「何故、こんな場所に!?」
ガレオン船の砲門が開かれた。炎が一列となって舷を包み、暫くして一藤左衛門を衝撃した。鉄板を砕こうと襲う大重量鉄球の衝撃だ。楼閣を右から左へ貫き、飛び散る木片が一藤左衛門の頰を裂いた。
「大筒をやはり集中させている。朝鮮の板屋船に似ている。だが衝撃はより強い。鉄玉により重みがあるのか」
種子島と大鉄砲が楼閣から並ぼうとしていた矢先、ガレオン船の砲門から立て続く発砲だ。いや、違う。大筒ではない。マスケットとかいう種子島だろう。大筒の間隙に小隊に撃たせたのだ。
関船とガレオン船の舷が見る見る近づいた。楼閣の此方が彼方に見えているように、彼方も此方を見ているだろう。
ガレオン船を操るのは南蛮人だけではない。
ガレオン船との近接した殴り合いは、お互いが装甲していること、またこれを貫く力が大筒や大鉄砲に無いことで、火薬を使った鐘叩きに終始した。
しかし、それでもである。
それは、飛び関船と飛びガレオン船という巨大な浮遊する乗り物という、人間と比して遥かに、遥かに巨大な存在から見ればの話である。人間は小さい、小さすぎ、脆い。
楼閣を容易く打ち破った鉄球が、床板で跳ねた。当初の力のほとんどを失った、だが人間に対しては破壊的すぎる力が、兵の頭を消しとばす。ぼっ、何かが高速で過ぎ去ったとき、男の首から上はどこかへ捥ぎ取られた。探している暇は、無かった。
「何も出来ずに皮と肉が削がれていく」
わけも分からず死んでいく者もいた。人間を狙った道具とは思えないような破壊が、四肢や胴体をバラバラに変えた。破片に切り刻まれ、鉛玉に頭を粉砕され、骨を砕かれた。
飛びガレオン船との打ち合いは、大筒の本数から飛び関船の方が不利だ。だが、決定的ではない。
ガレオン船が後方に回り込んで、砲列の斉射で串刺しを計ろうとしている。
「舵、会頭させろ!奴を後ろへ回すな、尻から頭まで大筒が跳ねるぞ!」
帆柱と帆の数の違いから、少し遅れた。ガレオン船が斉射。一発、後部楼閣下の船体を貫通する。分厚い木材を破壊し、薄い内側の壁を次々と破壊して頭から鉄球が飛び出した。
内部の状況は、楼閣からではわからない。だが、相当な損害と、それに巻き込まれた人間には不運が起こされているだろう。
「小僧が気掛かりだが……」
今は気に掛けている余裕はなかった。ガレオン船が反転して、逆の舷で放とうと追いかけてくる。暴れ鯨の群れに突入する直前だ。減速した瞬間、後方から斉射を喰らう。
「大鉄砲を後ろの楼閣へ集中だ。前の楼閣に伝令を急がせろ」
飛び馬は、ガレオン船からの砲撃と合わせて避退した。弾込めの間隙を被ってくるが、その時はガレオン船に合図の旗が昇る。今は……昇ってはいない。逆に言えば間を空けずに次の斉射だ。
通風の関係で、風を受ける後方の厚みは薄い。たちまち破壊される弱点だ。できる限り、真後ろからやられることは回避したい。
束の間の静寂。
だが安らぎには程遠い。崩れた楼閣の中からは、飛びガレオン船が反転して再び後方へ突こうとしている姿が見えた。押し下げられた大筒の代わりに、大型マスケットが火を噴いた。時折、鉛玉が届いた。こちらも大鉄砲で牽制するが、気休めだ。
「暴れ鯨の腹に入れば、中は乱流の巣だ。切り上げに強い戎克船仕込みの帆ならばまだしも、ガレオン船の帆ではついてはこれまい。つまり!暴れ鯨に入れるかにかかっているぞ!」
浮き島の巨大すぎる影が、飛びガレオン船、飛び関船を纏めて覆った。浮き島に生えた草が、頻繁に向きを変える。中は嵐並みに風が乱れていた。
風の起こりと流れは、都度、浮き島の兆候を読むしかない。
「やれるな」
「追われながらは初めてですがね」
楼閣はボロ切れ同然だ。死傷者も少なくない。だが見張りが立ち、声を伝える為に舵まで列を作る。真っ先に風を見つけて、舵取りをする為だ。
「頼むぞ」
一藤左衛門のその言葉は、文字通り『全員』に掛けた言葉だ。
飛びガレオン船が緩やかな弧を描き終わり、迫る。近づいてくる。無傷のマストが、大風を孕んで乗っていた。
暴れ鯨の群れまでは、まだ少し。
飛びガレオン船の斉射の方が早そうだ。
そうなった。
ガレオン船の舷に硝煙が張った。黒い鉄球が目の見えた。それはゆっくりと飛んでいるように見えて、途轍もない力を孕んだ死だ。無数の死が群れとなって、飛び関船の後部に喰らいつく。
「ッ!」
今までとは比べ物にならない破壊だ。鉄板さえも砕け散り、飛び関船の人間を等しく襲うという裏切り。楼閣全体が軋むのみならず、空を飛ぶ源である、飛び関船の心臓(浮き岩)そのものも大きく砕かれ、罅が走る!
「ーー移乗を許すな、余力を見せつけるのだ!全ての種子島でもなんでも盛大に放てい!!」
後部楼閣に集中させた大鉄砲、種子島、抱え大筒の全てが同時に火を噴いた。それは楼閣全体が燃えたように見えるだけの炎だ。棒火矢の多くは飛びガレオン船に届きもしなかったが、空中に花火を多く咲かせ、破片を振り撒いた。
飛びガレオン船は、躊躇いを見せた。
隙だ。
「いまだ後ろを振り向くことなく、暴れ鯨へ飛び込もう!」
風の壁が迫っていた。打たれに打たれた飛び関船だ。果たして、この荒れた、暴れた風の中を生きて通れるのか?もしかしたら誰もの心にあった不安であるのかもだ。
だが、誰一人として疑いを顔に出す者などいなかった。重傷で、もう死んでもおかしくない人間でもだ。
浮き島が迫る。
どこからではない。どこからもだ。浮き島に生えた草が倒れて寝ている。強い風が吹いた。船体が軋む。罅割れた浮き島の心臓が、バラバラに割れてしまいそうだ。隙間風というには荒れすぎた風が、今にも崩れそうな楼閣を引っ掻いた。
飛翔鉄船が、難所、暴れ鯨へと入る……。




