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凪の日と雨

 天井をコツコツと叩く雨音。


 気持ちばかりの傘の下で見張りが目を光らせていた。飛び関船は空を飛んでいる。進んでいるだけで雨は横から当たっていることだろう。濡れた体は、冷たい空と相まって酷く寒いはずだ。


 曇天は天井となり、地上のあらゆる場所を涙で濡らしていた。草原には霧が立ち込めている。空と地、両方の雲に挟まれていた。空は小さく狭まり、雲の回廊を進む。


「日本の空軍の手が届く場所まで飛べば、賊もついては来られないでしょう。それまでの辛抱ではありますが……」

「一番近い空軍は、黒部空軍です。飛び安宅を保有する大きな規模で、空白域の見回りも担っています。接触できればあるいは」

「保つかどうかが問題だな。それに、侍は言うほど全員が侍でもない」


 一藤左衛門は、武家に過度な期待は抱かなかった。今、いない輩である。将棋は手持ちの駒でしかさせないものだ。


「我々はいまだ、敵の力を何も知らない。飛び船が果たして一隻であるのかさえも」

「えぇ。ですが、やれるだけやってみましょう。簡単に負けてはやりません」

「頼む。交代は手筈通り。抜からないような」

「応」


 昼間の筈だが暗い船室で、一藤左衛門は水夫長と今後について話を重ねた。賊を振り切るには、やはり大陸藩主の領地に逃げ込めば良い。問題はどの藩だが………高い通行税を分捕られることもある……当初の目的地を目指した。つまり航路はそのままだ。風も順風で知られた道でもある。だが、この風の道が、一藤左衛門を悩ませた。


 無数の浮き島が、大離陸で漂う空の風はいまだ解き明かすこと不可能な程、複雑怪奇なのだ。場所だけでなく高度が変わっても、風は真逆となりえた。海流が立体的になっているようなものだ。


 賊は、この風を知り尽くしている可能性が高い。先回りも容易いことであろう。となれば、既に目的地を知られている可能性が高い。風を知っていれば、荷運びの航路を割り出すことは簡単だ。


「偽装航路を入れるか?」

「既に手遅れかと。我々は完全な奇襲を受けて、風を悟られております。時間稼ぎにはなりましょうが、果たしてそれもどこまで効果があるか」

「悪戯に変針すると、帰って賊に捕捉される可能性も増します」


 最短で風に乗る決断を下した。


 これで、賊との接触は不可避となった。一藤左衛門の地図を睨む目には、いくつか書き込まれた浮き島の群れがある。それぞれに名前と、周回する軌道が引かれていた。危険な空だ。


 大陸は、大陸だ。海が無く、延々と陸地が広がっている。大離陸で浮かび上がった土地も膨大だ。話では、山脈そのものが飛んだというにわかには信じがたい噂もあった。


 大地そのものが風に乗って、複雑な空を自在に漂っている。飛び船は、浮き島を利用した船だが、作っている船体や乗っているのは人だ。浮き島と衝突したとき、浮き島は無事でも、それ以外はことごとく引き裂かれることだろう。


「暴れ鯨の群れ、か」


 面倒な空が、面倒な時間に通過するかもしれない。一藤左衛門は不安を隠した。だが、面に出ないだけで、内心では厄介な存在に頭を悩ませた。


 暴れ鯨の群れ。


 この名前がつけられた浮き島の群れは、とても広大だ。先端から最後まで長く伸びている。十日、快速の日が奇跡に奇跡を重ねて飛び船を押しても、その横断は不可能だ。あちこちで浮き島は衝突を繰り返して不規則に軌道を変えた。俊敏に操帆できる船ならばともかく、船団の通行などとても無理な空の障害だ。


 高い空であれば問題はない。だが、酷く寒い。凍えるほどの空は、凍死者を数多く出す。余程のことがなければ、暴れ鯨の群れを飛び越えはしない。最も安全な航路は迂回だ。度胸のある船長ならば、直接突破することも不可能ではない。いざとなれば、飛び船の、浮き島部分を当てれば、多少は衝撃を耐えられる可能性もある。


 一藤左衛門は、飛び関船の独行ゆえに素早く突破できるからこそ高い金で、最短の暴れ鯨の群れの突破を請け負った。必要な時間が圧倒的に短くて済む。だが状況が変わり、この暴れ鯨の群れの手前か、あるいは通過中に戦闘となる恐れがあれば……。


 危険だ。


「むぅ」


 一藤左衛門にしては珍しい、歯切れが悪く唸る。船足を落とし、帆の張りを半分とすれば、それはすなわち小回りが効くというものではない。風を受けていなければ、飛び船は曲がれない。舵が無いのだ。代わりに、大きな団扇のようなものを張り出し、風の抵抗で強引に捻じ曲げることができる。できるが難しいものだ。


 あらゆることは難しい。


 一藤左衛門は開き直る。


「行こうか、暴れ鯨の群れへ。頭から突っ込むしかあるまい」


 道は決まった。風が満ちているかはわからないが、道はそこにあるのだ。良い、それで良いのだ。


 雨が降っていた。


 コツコツと天井を打った。


 湿りを帯びた風が、吹き込んだ。


 悩みが飛び関船に渦巻いていないと言えば嘘となる。だが水夫らは悩みを胸にしまい、任せられた仕事に十全の備えを付けるだけだ。


 それは、一藤左衛門も変わりない。


「何か遊ぶか?」


 一藤左衛門は、同じ船室を共有する小僧に訊いた。小僧は、何かを言われたとはわかっているが、やはり言葉の意味をできないでいた。一藤左衛門が次の言葉を言わないので、小僧もすぐに自分の作業に戻った。山のような木屑は、小刀で小僧が作った物の残り滓だ。


 飛び関船には、余分な木材や工具が多く積み込まれていた。空を飛んでいる途中、必ず破損する船体をその都度、補修する為だ。船大工が乗っているのと同じだ。


 小僧が彫って遊んでいる木とは、そのようなものだ。


 足元には、無数の、木彫りの動物が転がった。


 器用なものだな、と一藤左衛門は感じた。犬、あるいは牛……馬か?らしいものを手にして、しげしげと見つめた後、倒れていたいくつかの動物とともに立たせた。


 飛び関船の揺れで、細い足の彼らは、また、コテンと倒れてしまった。


 小僧は、小刀を使って一藤左衛門を刺すような真似の予兆はない。


 貝殻に蝋燭を立て、火を点けた。


 言葉の通じない小僧であるが、これを死なせないと決めたのであれば、そう努めるのみだ。幸いなことにも、通じないなりに小僧も協力的だ。何もしないことが協力的であるかはともかく、指を噛み千切られるようなことは無くなった。


「……」


 干し肉を噛む。塩漬けは、水分を抜かれて固く、塩辛いことこの上ないよ思うほど辛いが肉の味がジワジワと唾液に混じった。歯で磨り潰すように噛み、胃袋へと落とす。そこで初めて、熊の肉だと一藤左衛門は気がついた。野性味が強い、獣の肉だ。


 一藤左衛門にも妻子がいた。


 正確には、いたことがあった。


 子は、一番小さいのでも、小僧よりは幾らか歳が上だろうか。そんなことを考えていた。いつしか蝋燭は消え、夜が浸る。


 雨は、降り続けていた。


「間違いないか!?」


 明くる朝。


 見張りが船影を発見と叫んだ。あいにくの雲で視界は悪く、いまだ雨が降り続けて目はすぐに切られたが。確かにいたのだそうだ。


 先の襲撃と同じ、先見だろう。であれば……近い。


 雨は激しさを増し、火薬の運用が著しく難しい。だが密閉した狭間からなら、大鉄砲を放てそうだ。外の矢倉には、傘を差した弓手が配置についた。とんだ外れクジだ。


「お互いに種子島は使えない状況、ここで仕掛けてくるか」


 余程の自信があると見える。警戒を厳と強めたが、もしかしたら、疲弊を狙っている可能性もあった。だがもし、雨の中での乱闘になれば、表に備えた兵がいなければたちまち制される。空での戦いとは一瞬だ。


 一藤左衛門は、空に目を向けた。忌々しい雲が低くかかっている。黒みのある灰色の天井から、飛び馬でも降って来られると迎えることは至難だ。


「嫌な雲だ」

「仕掛けてまいりますかな?」

「俺ならば」

「であれば前回の小手先ではなく、強行してくるでしょう。備えを崩すには、押すしかありません」


 水夫らとの話し合いの中で、小僧の影が走った。


 まったく、と息を吐いた一藤左衛門だが、不思議と肩の力が抜けた。戦いが始まるのであれば、船底に押し込めておく必要があるだろう。戦いは何があるのかわからないものだ。


「小僧には困ったものだな」


 ははは、と忍べない笑いが満ちた。


「いつまでも小僧と呼ぶのはいかがなものでしょうか?名前を付けられては」

「小僧は、小僧であろう」

「しかしそれでは、犬に犬と呼ぶようなもの」

「俺はそう呼んでいるぞ」

「はぁ……」

「なんだ?」

「いえ、一藤左衛門殿はそれでよろしいかと」


 名前か、と一藤左衛門は考えた。小僧に直接吐かせてもよいが、外人の言葉の名前など言い難くて仕方がない。小僧で充分だ。そう考える一藤左衛門は、小僧の名前をハナから新しくする予定など微塵などなかった。


 さて、どうするか。


 いつまでも一藤左衛門が外を見ている道理もない。「寝る」と残して奥へと引っ込んだ。休めるときには目一杯体力を満たし、これを無意味に使わない。一度、戦が始まれば否応無しに事は目まぐるしくなるのだ。


 一藤左衛門は尻の穴がむずついた。戦が近づいて、落ち着きが浮いた。ピリピリとした目を感じた。戦は近いことを、一藤左衛門は確信した。今か、これからかはわからないが、不可避であることは確かなのだ。


 小僧は、言うまでもなく異民族の子供だ。日本人ではない。方言が何を言っているのか理解できないのとは違う、まったく違う言語を使うのが小僧の部族で言葉だ。


 さっさと蹴落として、賊にくれてやればよいのだ。そうすれば、一藤左衛門の飛び関船は無駄な血も火薬も使わずにすむ。そうあるべきであろう。だが、一藤左衛門は小僧を連れて行くと決断した。


 ひとえに、酷く単純な理由だ。


 一藤左衛門の維持である。


 仮に、猫が肉をねだれば、これに肉をくれてやることはあるだろう。だが、である。盗人が金を業突く張り、寄越せと言えば、一藤左衛門はたちまち怒りに顔を燃やし、これをことごとく斬り殺す。一藤左衛門とは、そのような男だ。


 一藤左衛門の背中を、小僧がひょこひょこと付いて回る。一々、一藤左衛門がこれに怒鳴ることなどありえない。寧ろ、他の水夫の邪魔をしないぶん好都合だ。犬猫のようであった。であればこそ、目くじらを立てる必要があるだろうか?少なくとも、であるからこそ、一藤左衛門は大きく気にかけることはなかった。


 無視をしているのではなく、仕方がないだろう、言葉が通じないのであれば、とおおらかだ。獣に道理は説かない。


「ん」


 小僧が何か、懐から取り出した。


「ナマコか?」


 悪意ない。一藤左衛門に悪意はないのだ。だが、小僧が木材の破片で掘ったそれは、飛び関船なのだ。一藤左衛門の持つ飛び船だった。


「よく出来たナマコだ」


 だが、一藤左衛門は気がつかない。それをナマコとして受け取った。擦れ違いだが、一藤左衛門が喜んでいるということしかわからない小僧には、それだけで満足したようだ。また、新しいものを彫り始めた。小刀裁きは、最初から優れたものが小僧にはある。もしかしたら、装飾などを彫っていたのだろうか。


 一藤左衛門は、あまり手先が器用ではない。だからこそか、小僧の器用さは素直に感激した。


 小僧は、一藤左衛門の知っている動物から、知らない動物まで彫った。


 広いな、と一藤左衛門は退屈することなく、小僧のやることを見守る。知らないことがなんと多いことだろうか。


 巨大な一本角を伸ばした魚、鼻が腕のように長い巨獣、首の長い犬。子供をさらう怪鳥。どれもが一藤左衛門の知らない数々であった。


 かつて一藤左衛門は、小僧を宝とうそぶいて水夫を口説いた。あの瞬間では、口からのでまかせである。だが今は、そうではない、かもしれないと感じていた。


 小僧の前で、一藤左衛門は一眠り。削る音を唄に、イビキをかかないことを祈りながら寝た。


 目覚めは、思ったよりも早かった。


「敵襲ー!」


 脳が急速に目覚める。近くの刀に手を伸ばしたが……無い!なんだと、と焦る一藤左衛門。だが、


「……感謝する」


 探し物は、小僧が渡してくれた。戦だ。すぐに小僧に背中を見せ、外へ出ようとした一藤左衛門だが、ふと、振り返り、


「安心せよ」


 小僧の髪をひと撫でだけ、皺だらけで血管の浮いた、岩のような掌ですくった。


 ガラでもない。一藤左衛門はしかし、嫌悪に悩むことなく、凶暴に敵を迎えられそうな気持ちへと昂ぶる。


「恐れ多くも天下の空を飛ぶ侍と、初めて呼ばれしこの一藤左衛門に挑むとは誠にあっぱれなり!謹んでその首を塩漬けにし、蛮勇とそしり晒してくれようぞ!」


 雨が降った。


 滑る足が、阻む。だが登る雫の中で臆する心無し。槍を弓を手に手に、それらと対峙する心に殺されるだろうとは考えず。死ぬだろうとはどこかに留め置いても、今日殺されるとは考えず。


「おおおぉぉぉッ!」


 雄叫びが雨を弾く。一藤左衛門に答え、飛び関船の全てが応と答えた。


 人を殺す叫びであった。

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