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重い沈黙の中、お医者さんが看護師に呼ばれ退室していく。でも、わたしも、と出ていく気にはなれなかった。
どんなに重い空気の中でも、フィジャを一人にしたくないと、勝手ながら思ってしまったのだ。
「――こんなボクでも、折角、誰かを笑顔に出来ると思ったのに……! 料理ができないボクなんて、無意味だ……!」
怪我をしていないほうの腕で顔を覆い、絞り出すように言うフィジャの言葉が、まぎれもない、彼自身の本音なのだろう。
――マレーゼさんは……一つの能力で認められた人間が、その能力を失ってしまったら、どう思いますか?
ふと、イエリオさんがそんなことを言っていたのを思い出す。
あれは、フィジャのことだったのだろうか。彼だって、フィジャの腕が動かなくなり、料理人としての道が閉ざされる未来なんてきっと想像もしていなかっただろうが、フィジャが自分の価値を料理にしか見出していなかったのは、知っていたのだろう。
あの時、わたしはなんて答えただろうか。
諦める? 相手の出方しだいでは見切る?
何を馬鹿なことを。
肩を震わせ、泣くのを我慢しているフィジャに、そんなことをしようとは、かけらも思わなかった。
むしろ――。
「フィジャ。わたしが何とかしてみせるわ」
わたしはフィジャほど、泣いて、縋りついて、絶対に手放したくないものなんて、ない。どうせいつかは死ぬのだからと、死んだら何も残らないから諦めた方が楽だと、そういう人間だ。
でも、フィジャが大切にしているのなら、わたしだって、それを大切にしたいと思ってしまうのだ。
無条件に幸せを願い、相手が大切にしているものを自分も大切にしたいと思う――それが、理想の家族だと、わたしは思うから。
彼を家族として、幸せにするのであれば、わたしはこんなところで諦めてなんかいられない。
「そんなこと……っ、無理だよぉ」
「無理じゃないわ。だってわたし、魔法全盛期の過去からやってきた、魔法使いだもの」
ぶっちゃけ、勝算は微妙なところだ。でも、フィジャを安心させるために大丈夫だと、言い切った。大丈夫にするから、問題ない。
「それと、フィジャが料理をできなくても、無意味なんてことはないわ。勉強を教えてくれて、一緒にご飯を食べに行って、皆に贈る花を選んで。わたし、こっちに来てから、ずっと楽しいことばかりよ。……その時に、一緒にいてくれたのは、フィジャでしょう?」
わたしは立ち上がる。
「絶対なんとかするから大丈夫。……イエリオさんたちに、声をかけてくるから」
イエリオさんの研究所には電話が設置されているので、病院から電話できる。何かあったら、と、番号は教えて貰っている。
イナリさんの働いている店は知らないが……まあ、イエリオさんに聞けば教えてくれるだろう。
「ちゃんと休んでてね」
そう言って、わたしはフィジャの頭を軽く撫で、病室を後にした。
さて、ああは言ったものの、どうしたものか。一番の近道は、わたしが医療の知識を頭に詰め込むことか。勉強効率を上げる魔法が存在しないのが痛いところだが……。
師匠だったら、あっさりこの場で治してしまうだろうな。魔法使い、と久々に自称して、彼のことを思い出していた。脳内の師匠が腹を抱えて笑っている。あの人は、わたしが魔法使いを自称するといつだって馬鹿笑いするのだ。
――師匠?
わたしは、ぱち、と彼のことを思い出したことによって、現状を打開する、新たな一手を思いついていた。
「その手があったか……!」
わたしはイエリオさんに電話を掛けるべく、電話を設置されている場所へと走った。
すぐに看護師にめちゃくちゃ怒られたのは、余談である。




