93
翌日。わたしはフィジャの勤めるお店へと、一人でやってきていた。
この国では連絡機器はあまり発展していないらしく、一人に一台スマホ、どころか、一家に一台固定電話、すらないようだ。
公衆電話と公営施設に置かれているものしかないらしい。なので、フィジャの家にも、逆にお店側にも電話は存在しておらず、こうして出向かなければならないのだ。
店が始まってからだとお客さんとかち合った場合迷惑になるかな、と思って開店前に来たのだが、早く来過ぎたのかもしれない。ホールには誰もいなかった。
結局あの後、ろくに眠れなくて、体は寝ているけれど頭は半分起きている、みたいな浅い眠りについたくらいだ。それだって、ふっと意識が覚醒すれば、寝ぼけた頭で現実が分からず、フィジャの青い顔を思い出しては、胸が苦しくなって。
そんなことをしているうちにイエリオさんとイナリさんが仕事へ出ていく時間となり、わたしも、もう眠れそうになかったので、店に来てしまったのだが……普通に早すぎたな。
誰かホールにこないかな、と店の前をうろうろして、時折店の中を覗く様子は完全に不審者のようだが、仕方ない。
そんな風にしてしばらく待っていると、犬獣人のお姉さんがやってきた。あの、あからさまにフィジャに好意を持っていた彼女である。
ちょっと相手が悪いな……と思ったけれど、まあ店長を呼んでもらえればいいか。
どう声をかけようか迷っていると、お姉さんの方が先に気が付いたようで、ウワッと嫌そうな顔をされた。けれど、ちゃんと店の扉を開け、やってきてくれる。
「……何かご用ですか」
ぶすーっとしていて、とても機嫌が悪そうである。いやまあ、好きだった相手をかっさらっていった女に、にこやかに対応できる人って、この世にいるのか、という話なので、仕方ないと言えばしかたないのだが。
ましてやわたしは今、客じゃないので、彼女を責められない。……気まずくはあるけれど。
「ええと……店長さんに用事がありまして。いらっしゃいますか?」
彼女は溜息を一つつくと、「パパー!」と奥の方へ声を掛けながら向かっていく。
そう言えば、この国では独り立ちしたあとはあまり親元に戻らない、と聞いたことがあるが、彼女は未成年なんだろうか。となると、フィジャより年下……?
そんなことを考えていると、店長さんがやってくる。
「おはようございます。私にご用とのことですが、どうかしましたか?」
「あ、えーっと……」
ちら、と店長さんの後方を見る。そこには犬獣人のお姉さんが立っていて。彼女は聞かない方がいいかもなーと思ったけれど、彼女は彼女で立ち去るつもりはないらしい。
わたしは言葉を頭の中で丁寧に選びつつ、口を開いた。
「その、しばらくフィジャを休ませていただきたくて」
「はあっ!? なんで!?」
わたしの言葉にいち早く反応したのは、やはりお姉さん。「こら、メル!」と店長さんに嗜められても、彼女は不機嫌さを隠そうとも、立ち去ろうともしない。
「ええと、腕を怪我してしまって、今入院中なんです」
だからかわりに伝えに来ました、というと、今度は店長さんが「ええっ!」と大きな声を上げて驚いていた。
「怪我の容体は? そんなに酷いんです?」
「え、ええ……まあ。命は大丈夫ですが」
わたしがちらちらとお姉さん――メルさんの方を見ながら、言葉を濁したからか、逆によっぽど酷いことが伝わってしまったらしい。
さっきまでの怒り顔が一転して、泣きそうなものに変わる。
「――そういうことなので、しばらく休みをいただきたくて、代わりに来ました。復帰に関しては、また、ご連絡にきますので」
「分かりました。お大事に、と伝えてください。……ほら、メル、行くぞ」
メルさんは、最後まで、わたしをうらめしそうな目で睨みつけていた。その視線が、ちくちくとわたしの胸に刺さる。
この怪我は、やっぱり、わたしのせいなのだから。




