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二回目の壁喰いが壁を壊した一件では、死人がおらず、怪我人そのものもほとんどいなかったという。逃げるときに転んで怪我をしたとか、そんな人たちばかり。
と言うのも、一回目のときとは違い、二回目のときはあくまで陽動。混乱に乗じてわたしをさらうのが目的だったから、上から壁喰いを放ったのだという。
一回目のときは、わたしをこの時代に希望〈キリグラ〉で呼び出した人間を殺すのが目的だったから、下の方から壁を壊し、魔物を中に入れたらしい。街の人間が全員死ねばいずれわたしを呼びだした人間も死ぬだろうという恐ろしい理論だったそうだ。
なんでこんなことを知っているかと言えば――ひとえに、オカルさん本人から聞いたからである。たった今。
二回目の壁喰い事件から一か月。オカルさんは研究員のまま、研究所に勤めていた。誰にも、何にも、知られないまま。
「いや、何でですか……」
イエリオの仕事を手伝うために顔を出したら、廊下で彼とすれ違って今に至るわけだが、どうして彼がここにいるのかと尋ねたら、使われていないという資料置き場に連れていかれ、そう説明を受けたのだ。
わたしたち以外には誰もいない資料置き場で、「上の人間の判断っすよぉ」とオカルさんの声が響く。
「イヌの売買って、結構いい値段になるんすよねえ。もうすっかり市場ができちゃって、研究所の懐も潤って。そんな中、そのイヌの研究の責任者であり中心人物でもある自分を手放せないんすよお偉方は。ディンベル邸だって、途中で調査が取りやめになったじゃないっすか。あれも、自分の研究室が見つかるかもしれないって言ったら即座に凍結っすから」
「現実なんてこんなもん、悪役が悪役として裁かれるのが絶対なんて、おとぎ話の中だけっすよ」と言うオカルさん。
「マレーゼさん的には、納得いかないっすか?」
「わたしは……」
オカルさんに急に話題を振られ、返答に困ってしまった。
納得いかない、悪は裁かれるべき、と言うのが正しいのだろうが、正直、わたしはそんなこと、言えなかった。
二回目のときはともかく、一回目は死人や怪我人が出た。だから、その人たちのことを思えば、こうしてオカルさんが普段と変わらない生活をしていることに違和感はある。
でも、そうやって被害を受けた人は、わたしの顔見知りですらない、存在も知らない人なわけで。だからこそ、糾弾するだけの理由と情熱がない、というのが正しいのかもしれない。当然、悪いことだとは思うのだが。
ただ――。
「そんな調子で、こんなことわたしに聞くなんて、オカルさん自身が一番納得いっていないんじゃないですか?」
わたしの言葉に、オカルさんは黙ったまま。
さっきからずっと、わたしの方を見ないで、床に視線を落としているから、その表情は分からない。




