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悲鳴やざわめきが一斉に広がっていく。その中で、「あれ、ちょっと量間違えたかな」と、慌てる様子もなくつぶやいたオカルさんの声が、妙にはっきりと聞こえた。
一瞬にしてあたりが煙に包まれる。目の前が上手く見えない上に、煙たくて咳き込んでしまう。その隙に、ぐ、と思い切り後ろに引っ張られた。
「ぅ、わっ!」
情けない声が出る。何かを掴もうと手を伸ばすが、空ぶる。本格的にヤバい。
「自分の研究を、自分のものにするために。こっちはまだ少し時間がかかりそうなんすよ」
わたしの耳元で聞こえてくるのはオカルさんの声。声の距離と背後の気配からして、わたしを背後に引っ張ったのはオカルさんに違いない。
「マレーゼ!」
わたしを呼ぶ、イナリの声がする。わたしは思わずそちらの方に逃げようと、手を伸ばし、身体をよじり――。
「それ、本当にあってるっすか?」
オカルさんに言われ、わたしの体はびくりと止まる。わたしの脳裏には、先ほど、巨大化したバードンの姿がよぎった。
あれはイナリの声を模倣する。煙が充満し、視界が悪い今、もしかしたらイナリではなく、バードンがわたしを呼んだのかもしれない。
でも――迷ったのは、ほんの数秒。
「――ッ、あってる! わたしはウィルフが倒し切ったって信じる! 身体強化〈ストフォール〉、っ!?」
「え、うわっ!」
わたしの腕をつかむオカルさんの腕を引っぺがし、彼を床に放り投げる。
そこまでは良かった。
問題は、すぐに身体強化〈ストフォール〉の魔法が解けてしまったことだ。
魔力がほとんど残ってない。
それを自覚した瞬間、強い眠気に襲われる。おかしい。なんでこんなに魔力が残ってないの? 煙に何か仕組まれた? でも、こんな急激に魔力が奪われるなんて、聞いたことが――。
「い、てて……」
オカルさんの声を聞いて、ふと、気が付いてしまった。
――魔物の弱体化。
魔物も、獣人も、元は同じ動物。人にする魔法が成功したか否かで、人になるか、魔物になるかが別れる。
犬のような見た目をしたペロディアが、弱体化して、一体、何になった?
つまりは、魔物にかけられた、魔法そのものを弱くすることで、なされるのではないだろうか。皮膚が硬くなるのはなぜか分からないが、少なくとも、シャルベンで触ったイヌは硬くなく、ふわふわの毛玉だった。『壁喰い』の見た目になるまで弱体化を強めることで出る効果なのかもしれない。
失敗した魔法の魔力の名残を吸い出せば、そりゃあ、弱くもなる。元の動物に戻るのだから。熊や狼など、元より強い動物だって、少なくとも、魔物よりは強くない。
つまり――この煙は……!
「ああ、効いてきたんすね。普通に魔法使ってたんで、失敗したかと」
「こんなことしたら、皆も――」
「大丈夫、獣人は魔法が成功してるんで、この程度の濃度じゃ魔物と違って戻らないっすよ。これが効くのは魔物と、今、この瞬間使われる魔法だけ。勢いで魔力も吸っちゃうみたいっすけど、好都合っすよね?」
そう言うオカルさんの手が、再び、わたしに伸びてくるのが、曇った視界の中でも、はっきりと見えた。




