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やば、と思った瞬間には、既にわたしはウィルフに持ち上げられて小脇に抱えられ、逃げていた。
「素手は無理だ」
「そ、そんな、強い、の?」
「武器があれば負けねえ。一旦家に戻る。あいつがいるなら、家の住所も割れてるだろうからつけられても大差ない」
舌を噛みそうになりながら、ウィルフに運ばれる。ウィルフは淡々と、必要な情報だけを教えてくれた。バードンという魔物の登場に焦っていたようだけれど、今はすでに冷静なウィルフに戻っている。
ウィルフ曰く、バードンとは、いろんな生き物の声を模倣する魔物。非常に知能が高く、狩る作戦を立てるのが大変ではあるが、純粋な戦闘力ならウィルフのが上だという。
群れのリーダーが危険にさらされると、群れの下っ端がああやって巨大化して、リーダーを守りつつ、相手を押しのけて遠ざけようとするのだとか。さっき巨大化したバードンにとっては、ティカーさんか群れのリーダーだと認識していたのだろう。
「そっちは」
「え?」
「狙われてる理由に心当たりはあんのかよ。ただのナンパだと思ったら……」
「……師匠絡みかと……」
師匠の話はざっくりと、皆には伝えてある。イエリオやわたしが誘拐までされたのだ。解決したとはいえ、黙っているのは違うと思って。
「全然解決してねえじゃねえか」
「し、師匠との直接の解決はしたって。ただ、まあ……師匠の後始末が悪かったというか……」
千年経っても弟子に尻ぬぐいさせるとかやめて欲しい。全然解決してないじゃん、というのはわたしが言いたいくらいである。
「師匠の元にわたしを引き渡して、代わりに何かお願いを聞いてもらうつもりだったみたいで……」
そんなことを言っているうちに、我が家へとたどり着く。フィジャがあわただしく店じまいをしている以外には、特に損害はない。『壁喰い』がいるところから家までは結構な距離があるし、まだここまで被害が及んでいない。
まだ店の扉の鍵がしまっていなかったようで、ウィルフはためらいなく扉を開ける。チリン、と鳴るドアベルが、なんだかすごく場違いな音のような気がした。
「今日はもう臨時休業で――、あ、ウィルフ!」
「イナリは?」
「まだ来てないよぉ。直で避難したとは思えないけど……」
前回避難した場所とは別ではあるが、また別の冒険者ギルド支所が近くにある。立地的にはイナリの職場からそこに向かうには、この家を経由するので、一旦様子を見に着そうだとは思うけど……。
「……イナリが来たら、お前らを引き渡す。そうしたら避難しろ」
「今すぐじゃなくて?」
まだ被害がないとはいえ、すぐに避難した方がいいと思うんだけど。追われているのもあるし、人が多い場所に行った方がよくないだろうか。イナリとすれ違いになる可能性もあるけど、書置きをしておけば大丈夫だろうし……。
「あいつ以外だったらそうしたかもしれねえけど、フィジャじゃ相手にならねえ。仮に合わないまま支所にたどり着けたところで、あいつは冒険者に顔が利くから、上手いこと言いくるめられて連れ出される可能性がある」
……そう言われちゃったら、イナリを待つしかない。