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「……本当にピスケリオなら何か言ってよ。このままぶんまわすよ」
本当にするつもりはなかったけど、脅しのようなわたしの言葉を聞いて、魚が身をよじる。わたしの手から逃れた魚は、空中をただよう。まるで、水中で泳いでいるかのように。
「さ、魚が浮いている……。マレーゼさん、この魚を知っているんですか?」
「魚っていうか……精霊だよ」
喋ってくれはしなかったけど、間違いない。ピスケリオだ。空中を泳ぐ魚の魔物がいればまた話は変わってくるが、とり肉のように魚料理を提供している店は一杯ある。フィジャだって料理をしてくれた。人魚や魚人のような獣人を見たことがないし、そうなると、魚もまた、鳥と同じように、そのまま魔法がかけられずに残ったようだから、魚の魔物も存在しないと思う。
イエリオの反応からしても、魚の魔物はいなさそうだ。
「精霊……」
精霊、という言葉を聞いて、イエリオの顔がこわばる。メルフの話を、イナリから聞いているんだろう。しろまるに対する反応とは全然違う。
「あー、確かにピスケリオは一時期師匠が使役してたけど……わりとすぐにクビにしちゃったから、わたしを取り返しにきたわけじゃないと思うよ」
来る者拒まず、去る者追わず、な性格で、わりと人間関係は適当だった師匠が、自分から、出て行けと怒った数少ない相手が、ピスケリオである。
ピスケリオは、なんというか……本当に、面倒くさがりなのだ。
精霊だから魔法は完璧に、十全に使えるし、能力は他の精霊と比べても遜色がない。むしろ、優れている部類だと思う。
でも、それを駄目にするくらいの面倒くさがり。さっき地面に落ちていたのだって、空中をただよっているのが面倒くさくなったからだろう。
そんなピスケリオが、仮に今も師匠に使役される精霊だったとしてもわたしを探す、という命令を素直に聞くとは思えないし、師匠たちが本気でわたしを探しているというのなら、そんな大事なことをピスケリオに頼るわけがない。
「ピスケリオ、こんなところでどうしたの?」
「ここに住んでるからここにいるだけですわ」
中性的だけど、メルフとは違って女性的な声。ピスケリオの声だ。声だけ聞けば、優雅なご令嬢だが、実体はぐうたらな魚である。きらきら光る鱗は宝石のように綺麗だけど。
「さ、魚が喋ってます……」
「いや、魚に見えるけど魚じゃないからね」
驚くイエリオにわたしは訂正を入れる。
それにしても、ここに住んでる、とは。
「いつから住んでるの?」
「キリスに追い出されてからですわ」
……えっ、千年以上ここにいるの?
なんというか、引っ越すのも面倒だったからなんだろうけど……飽きないのだろうか。それとも、精霊はわたしたち人間の時間間隔と違うから、千年くらい、どうってことないんだろうか……。




