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ごう、と、見たこともない炎に、わたしの思考は完全に停止する。なんだあれ。えっ、火事? でもそんな前兆は全然なかった。確かに悲鳴は上がったけど、爆発音もなしに、あんなにすぐ火の手がまわるものなの?
目の前の炎に釘付けになって、原因を探ろうとするわたしに対して、イナリとシャシカさんの方が動きが早い。
「マレーゼ! 逃げるよ!」
イナリの言葉に、そうか、逃げるのが先か、と、ようやく気が付く。そして、わたしが走り出すより先に、シャシカさんに抱え上げられた。
「え、シャシカさん、怪我は――」
「怪我してるアタシがアンタを運んだ方がいいだろ! 何かあったら万全なイナリが戦った方がいい」
それにアンタを担いで走るくらいどうってことない、とシャシカさんは言う。
何かって、なんだ。やっぱりこれは放火か何かなのか。――流石に、スパネットが街にあふれたときと同じではないと、思いたい。
少し走って、炎から距離を取ると、ようやく悲鳴のようなものが辺りから聞こえ始めた。皆、炎に気が付いたんだろう。
「――、熱ッ」
状況を把握する為に一度止まると、シャシカさんが小さく声を漏らした。
「――花が!」
わたしは思わず悲鳴を上げる。シャシカさんの髪を飾っていた花が燃えていた。逃げるのが遅れて花に引火したのかと思ったが、どうにも違う。
シャシカさんは手早く花を髪から抜き取り、地面に落とす。彼女が花を踏みつけて火を消す前に、すっかり燃え尽きて、花は灰になってしまった。
叫び声がごく近くで、あちこちから聞こえてくるので、辺りを見回すと、いろんなところで、花が燃えていた。――花、だけが。
「え、なに、もしかしてそう言う品種……?」
理解の追い付かない状況に、わたしはイナリに聞いてしまう。
「そんなわけないでしょ。大体、そんな品種が存在してたところで、祭りなんて人が集まる場所で売られるわけない」
それもそうだ。そんな危険なものがこんな道端で売られるなんておかしな話だ。
でも、こんなにも発火現象が起きるのはもちろん、花だけが燃えているというのも不思議な話だ。
「よく分からないけど……もし、花だけが燃えるというなら、ちょっとまずいね」
シャシカさんが、身につけていた生花を取りながら言う。
わたしも、服につけていた花を取る。取ってしまうのは残念だが、この花もいつ燃えるか分からない。本当に花だけが綺麗に燃える、というのは変な話だが、今目の前で起こっていることを考えるなら、花は取った方がいいだろう。
「あ、――っつ!」
が、少し遅かった。外して持っていた花がチリッと燃える。思わず手を離した。――近くで花が燃えて、違和感を覚える。
……今一瞬、魔力の気配がしなかった?
魔法使いという人間は、魔法が使われた気配を感じ取ることが出来る。勿論、誰がどんなふうに、なんの魔法を使ったのか、なんて、そこまで特定出来るのは極々一部の一流だけの話なので、わたしには到底無理だが、わたしだって魔法使いなので、使われたか使われてないかくらいは分かる。
ましてや、わたしが持っていた花が燃える、という、超至近距離だったのだから。
誰かが魔法を――もしかして、魔法を使える魔物? 本当にスパネットの一件のような状況なの?
わたしは不安になって、それらしいものがないか、辺りを見回す。
「――え、あ、め、メルフ?」
すぐ近くの花屋によろよろと飛ぶ精霊を見つけた。随分と見覚えのあるその精霊に、わたしは思わず名前を呼んでしまった。




