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わたしは馬鹿みたいに、ぱちくりと、何度も瞬きをした。
体勢的に、喉が晒されていて、無防備。わたしが体勢を立て直すよりも早く、シャシカさんがわたしの喉にナイフを刺す方が早いだろう。
でも、彼女は、わたしを無表情で見下ろすだけで、何もしてこなかった。
「……えーっと……」
わたしはゆっくりと体重移動をし、体をひねる。それでも、彼女は動かない。
怪我のせいでナイフが握れないとか……と思って彼女の手先を見た。指はちゃんとある……と、思う、多分。彼女の利き手はギプスがつけられていて、指先まで包帯がぐるぐると巻かれている。指がちゃんと出ていないので、数えようがないが、多分……あるよね? なんかちょっと欠けてるようにも見えるけど、小指と薬指が中指と人差し指に比べて短いから、ぐるぐるに巻いていると欠けているように見えるだけ、だよね……?
彼女の利き手の指がどうなっているのかは分からないが、少なくとも、こうして気配もなく寄ってこれたのだ。動きが鈍っているわけではないだろう。少なくとも、わたしは気が付かなかったので、忍び寄って殺すことも出来るはず。
わたしとシャシカさんの間に、妙な空気が流れる。
わたしも状況が飲み込めなくて、逃げた方がいいのかこのまま動かない方がいいのか分からなくて、席を立つことが出来ないし、シャシカさんはシャシカさんで動かないし何も言わない。
「……怪我、大丈夫?」
「アンタ、馬鹿なの?」
なんて言ったらいいのか分からないので、とりあえず怪我の心配をしておいた。いや、本当に、心底心配、というわけでもないけど、でも、気になるのは嘘じゃないし、人として、とりあえず心配しておけばいいかな、という打算からだったのだが、馬鹿にするように鼻で笑われた。馬鹿にするように、というよりは本当に馬鹿にしているんだろうな、これ。
「――アンタのせいだから」
この怪我が? ……もしかして、警護団の人たちにやられた、とか? そこまで真剣に仕事に取り組んでいた様子はないけど、フィジャの一件と違って、シャシカさんは冒険者だから、鉄拳制裁が加わったんだろうか。
いや、でも、それはわたしのせいじゃなくて自業自得では……と言いたかったが、黙っておく。そう言うのがためらわれるほどに、彼女はボロボロだった。よく杖とかの支えもなしに、立っているものである。
敵意のようなものは感じるが、殺意は感じられない。逃げなくても死にはしないかもしれない。
正直、この距離にいて、走って逃げたところで彼女から逃げ切る自身がない。わたしは座っているし、そもそもそこまで脚が早くない。逃げようと腰を上げたところで捕まるのが目に見えている。
妙な空気の中、どう逃げるか考えていると、「マレーゼ!」とわたしを呼ぶ声がする。
振返って確認するまでもないが、声を駆けられたので、反射的にそちらを向いてしまった。
予想通り、そこにはイナリがいた。




