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「好きって言われる資格がないって……なにそれ、獣人じゃないから? そんなの――」
そんなの、の先を、イナリは言わなかった。その先を言うと自分に返ってくるのか、それとも――わたしの表情を見たからか。
自分でも、随分と情けない顔をしている自覚がある。鏡を見なくたって、そんなの分かる。
「……わたし――わたしね、皆に『好き』って言われるの、すごく……嬉しいの」
イナリは何も口を挟まない。でも、その表情は「それの何が問題なわけ?」という顔をしていた。そんな表情をして、すぐに彼は目を伏せた。……今、互いに相手を否定しても、それは全て自分に返ってくる。
「それってね、すごく――変なんだよ。いろんな人に、友達として、とか、人間性が、とか、そういう好きを貰うのは素敵なことだと思う。でも、恋愛感情の好きをいろんな人から貰って、嬉しいって思って――それを返したいと思うのは、変だって、思っちゃうんだよ……」
正直に話せば、もう、わたしは皆を『家族』以上に見始めているように思うのだ。ふとした瞬間、「好きだなあ」と思って、ハッと我に返る。そして、その後、なんとも言えない罪悪感に心が沈む。
シーバイズでも、前世の世界でも、そんなの、ただの浮気だった。許されることじゃないし、結婚していれば慰謝料が発生するレベルの『悪いこと』。
この国では、一夫多妻、一妻多夫という、複数交際が珍しくないことで、それどころか、複数人に愛され複数人を愛すことを『素敵なこと』と言われるくらいだ。
だからこそ、ふとしたときにシーバイズや前世を思い出して、冷や水を浴びた気分になって――そのギャップと、受け入れられない自分に嫌悪感を抱く。
文化の壁が、余りにも厚くて高い。それを超えるのも壊すのも、怖い自分がいて。
「本当なら、複数人に告白されたって困るだけなのにね」
本当なら。でも、今、わたしは困っていない。困っていないことに、悩んでいるくらいだ。
だから、わたしは、好きって言われる資格がないのだ。
あやふやなまま言葉を返したくない、とか、考えておく、とか。言い様はいろいろあるけど、結局のところは怖いだけなのだ。
「――僕に告白されるのは、困らないの」
ようやく、イナリが口を開く。思わず、「うん」と答えてしまえば、イナリは「ふうん……」と気のない返事をした。そっちから聞いたくせに。
「……じゃあ、やっぱり、なかったことにしよ」
イナリは少し考えた素振りを見せた後、そう、言った。
「え、あ……」
すぐに肯定の言葉を返せない自分が、やっぱり気持ち悪かった。
何とも言えない感情を消化しきれないでいると、「なにその顔」とイナリが言う。言ってから、数秒、少し慌てたような様子を見せた。
「……ごめん、言葉を間違えた。『一旦』なかったことにしよう、って言いたかったんだよ」
「……一旦?」
どういうことか。さっきの言葉と何が違うのだろうか。
「僕はまだ、君に好きだって言う自信がないし、君は言われる自信がない。――なら、その自信が付けばいい。自分が納得するような」
そう言うイナリには、さっきまでの弱弱しい雰囲気はなかった。
「――あと、なんていうか……や、やり直したいし」
イナリが目を泳がせ、わたしから視線をそらす。頬を少し、赤くしながら。
思わず首を傾げると、盛大に溜息を吐かれた。
「だ、だって……格好つかないだろ、あんな、勢い任せの告白。僕、めちゃくちゃ情けなかったし」
「そんなこと気にするの?」
「するに決まってるだろ!」
わたしは正直全然気にしない。むしろ、ああやってポロっと出してしまった、というほうが、本当っぽくて嬉し――いや、何でもない。
思わず頬が緩んでしまっていたのか、キッとイナリに睨まれた。
「もっといい男になって、ちゃんとした告白するから! そうやって余裕ぶって笑っていられるのも、今のうちだから」
「……うん」
そう言いながらも、わたしは、イナリが十分いい男なのになあ、と思った。




