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わたしが家に入り扉を閉めると、イナリは玄関上がって数歩のところでうずくまってしまった。
「イナリ!? 大丈夫?」
すぐにでも駆け寄りたいが、多少、玄関で泥を落とした方がいいか、と一瞬迷う。その隙に、イナリが涙声のまま、声を上げた。
「そんなに――そんなに、僕は冒険者の方が、いいと思う?」
うずくまったままのイナリの表情は見えない。でも、声音から、同意してほしくない、という感情が見えるようだった。
「……そんな気持ちで戻っても、すぐ死んじゃいそうだから、わたしは戻ってほしくないかな」
わたしは冒険者の真似事だけど、冒険者の仕事を貰って、ウィルフさんと東の森へ行ったから多少は分かる。本当はやりたくないのに、とか、そういう感情で冒険者に戻ったら、すぐに命を落とすんじゃないだろうか。
危険な仕事だから、命を落とすことがあるのも、仕方ないと言えば仕方ない。でも、やりたくない上にその必要もないなら、無駄に命を張らなくてもいいと思う。
「わたしは、冒険者としてのイナリを知らないから、どっちがいい、とは言えないけど、今のイナリが格好悪いとは思わないよ」
真面目に仕事に向き合う姿が格好悪いわけがない。あれだけ寝食を削って頑張れる仕事があるというのは、すごいことだ。
……睡眠や食事を犠牲にし続けるのも、それはそれでちょっと駄目だとは思うけど。でも、それほどまでのことに出会えるというのは幸せなことなんじゃないだろうか。
わたしは割と、魔法以外のことは諦めが早い人間だったから、そこまで頑張ることは他になかった。
「……本当に? 冒険者に戻った方が、環境的にはいい、ってなっても?」
「イナリは冒険者に戻りたいの?」
そう言うと、少しだけ、イナリは顔を上げた。じと、とこちらを見ている。見ている、というよりは、睨んでいる、だろうか。涙目なので、あんまり迫力はないけど。
「そんなわけ、ないでしょ」
じゃあ、どうしてそんなことをいうのか。
思わず聞いてしまった。
「……冒険者は、完全に実力社会なんだよ。実力さえあれば評価される。――そこに、見た目は関係ない。……言い方は悪いけど、ウィルフでさえ、特級になった」
まあ、たしかに。かつてフィジャが言ったことを参考にするなら、ウィルフはこの獣人文化で差別されるレベルの見た目らしい。でも、特級冒険者という、冒険者の中では一番上にまでたどり着けたということは、そういった差別は、強さの前ではないに等しい、ということなのだろう。
――だから、容姿が悪いからセンスが悪いだろうって、接客を断られることもない、ってことか。
……でも。
「でも、それが分かった上で、イナリは服飾の道に進んだんじゃないですか?」
わたしがそう言うと、イナリは、完全に顔を上げてこちらを見た。




