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「どうしてって聞いたのはわたしが先なんですけど――いやなんでもないです」
ぎらりと睨まれてしまっては、おとなしくするしかない。ナイフを持って脅されたわけじゃないけど、この睨みの鋭さはそれに匹敵すると思う。無意識に両手を軽く上げてしまう。降参のポーズだ。
「結婚するからですよ。新居が出来るまで居候させて貰ってるんです」
「結婚!?」
素っ頓狂な声を上げたシャシカさん。目を丸くして驚いている。
「そ、そんな素振り全然なかったのに……! こんなことなら一日中、ずっと見張っているんだったわ! 休日に部屋に来るだけじゃなくて」
悔しそうに親指の爪を噛みながら、シャシカさんは何か恐ろしいことをぶつぶつと言っていた。
いつも、大体、一日中。
そんなワードが並べられれば、流石に分かる。
――この人、イナリのストーカーだな!?
十回目の失恋、とか言っていたけど、それ本当にイナリだけのせい? この人が何か手を回したりしてない?
わたしの脳内をよぎったのは、フィジャの勤める店先のお嬢さんだ。多分、あの人もフィジャに気があるようだった。でも、方向性で言ったらこっちのほうがだいぶ物騒。
わたしこの人に殺されたりしないかな、とビクビクしながら様子を伺う。正直、今、絶好のタイミングだよね。シャシカさんがわたしを殺すとしたら。
どうやって逃げよう、と顔をひきつらせる。
「今からでも取りやめできないわけ?」
「いや、それはちょっと……わたしがイナリさんの相手で不服なのは分かるんですけど……」
遠回しに、反応を見ながら言ってみる。すると、「別に相手は誰だっていいわよ」という意外な言葉が返って来る。
「アタシ、別に男としてイナリさんのことが好きなわけじゃないからね。あの人が誰を好きになろうがそこはどうでもいいわ」
結婚してほしいと言われたらやぶさかではないけど、ブスとブスの子供なんて可哀そうなだけじゃないか。シャシカさんはあっけらかんと言ってのけた。
えぇ……。すごい言い様だな。
じゃあ一体この人、どんなモチベーションでストーカーしてるんだよ。
「アタシは『人』としてあの人を尊敬してるんだ。――だから結婚なんてされたら困る」
だから、の意味が分からない。尊敬している人が結婚するなら喜ぶべきことなんじゃないんだろうか?
わたしは敬愛している人が結婚したら喜ぶ方だ。師匠が結婚する、といったら全力で祝える。まあ、あの人が結婚できるとは思わないけど……それ以前に彼女できるのか?
それとも、尊敬する人にはいつまでも孤高でいてほしい、とか思うタイプなんだろうか、彼女は。
それはそれで自分勝手だな、と思ったのだが――彼女は、わたしの想像を遥かに超える自己中だった。
「結婚なんてしたら、余計に安泰な生活を求めるじゃないか! あの人は冒険者でいてこそ輝くんだ。――服売りなんか辞めて、さっさと冒険者に復帰してほしいものだね」
「――ハァ?」
カーンッと戦いのコングがなったのか、それともプチっと何かが切れたのか。どっちかとは言い難かったが、ただ、わたしの中でカッと怒りが燃え上がったのは事実である。




