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「まあ、実際楽しかったよ」
楽しかったのは事実だし、別にムキになって否定するようなことでもない。
素直に認めてそう言えば、イエリオが静かに態勢を横に寝ころぶ状態からうつぶせに変える。表情は見えないが、長い髪の隙間から見える頬が、赤く染まっていた。
「……け、結婚してほしい……」
絞り出すようなイエリオの声。わたしに話しかけているというよりは、ただ思っていることをそのまま吐き出したような、独り言のような一言。
「な、何を言い出すんですか、急に」
砕けたイエリオの話し方とは逆に、変に敬語になってしまった。
今その流れだったか? 全然違うじゃん、さっきまで魔物が魔法を使えるか否かの色気ない話してたじゃん。何なら首を落とすとか、そんな物騒な話ばっかだったじゃん!
「急、でもないです。……言ったでしょう、貴女と出会えて恋を知ったと。死ぬかもしれないと思ったとき、それでも、貴女に看取られるのなら悪くないと、少し思ってしまったんです」
ゆったりと、イエリオが起き上がる。顔を赤くし、照れくさそうに目線をそらすその姿に、わたしは目が離せなくなっていた。
「マレーゼさん、私と、結婚してください」
イエリオはわたしの手を取り、そう、言った。らしくもなく、手が震えていて、それがイエリオの手の震えなのか、わたしの手の震えなのか、それとも二人とも震えているのか、分からない。
それでも、触れている部分が、酷く熱いことだけは分かる。
「貴女は、私たちとは随分違う価値観の元、生きてきたでしょう? 前文明は、同時に複数を愛するのではなく、誰か一人を愛するのが普通だと知っています」
さっきまで恥ずかしそうにそらしていたイエリオの目が、わたしを射貫くようにまっすぐと見ていた。ずっと、彼から目をそらせないでいるのは、わたしだ。
「それでも私を、貴女の隣にいる男にしてほしいのです。どうか、最期まで」
わたしからしたら急な話に、どう返したらいいのか分からない。
イエリオが好きか、と聞かれれば、そりゃあ、肯定の返事の一つや二つ、全然できる。でも、それが恋愛的な意味かと問われれば、わたしはどう、返事をするのだろう。自分でも分からない。
フィジャとの関係もハッキリと言えないままだし、それに、ヴィルフさんだって、イナリさんだっている。
わたしと彼らの価値観が、決定的に違うから、と、保留を選択するのは、おかしなことではない。
でも、彼の――彼らの、真摯な言葉を適当に返してしまうのは、不誠実に他ならない。
フィジャのときも、イエリオのときも、雰囲気に流されて好きだと言えてしまったら、どれだけ楽だっただろうか。でも、それは――それだけは、絶対に駄目だと思うのだ。
「……わたし、わたしは、まだ、イエリオたちに恋愛感情を抱いているのか、同時に抱けるのか、分からないの。だから、わたしがイエリオを『家族』だと思って大事にしようと思っても――それが貴方と同じ気持ちだとは、ハッキリ言えないわ。でも――」
わたしはぎゅっと、イエリオと繋がれたその手を握る。
「――イエリオが、遠い未来、わたしに最期を看取って欲しいと言うなら、それを叶えたいと思うくらいには、貴方を大事だと思うようになったのよ」
諦めの早いわたしにも、意識して努力しなくたって大事にしているものがあると、思い出させてくれた人。
そんな彼と、ずっと楽しい話をして、時には喧嘩して、仲直りして――そして、穏やかに逝く彼を見送るのも、悪くないと、思えてしまう自分がいた。




