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身体強化〈ストフォール〉を使っているはずなのに、イエリオの体が重いような気がする。身長差でバランスが取りにくいだけでなく、イエリオを落とさないようにしないと、という緊張と、周囲への警戒が、彼の体を重く感じさせているのだろう。
不幸中の幸い、と言うのもおかしな話だが、周囲にはスパネットしかいない。結構な数ではあるが、グリエバルや熊っぽかった魔物など、こちらを攻撃してきそうな魔物は今のところ見当たらない。
「イエリオ、この角はどっちに――イエリオ?」
体感時間では十分以上経ったのだが、未だ支部にはたどり着かない。道を知らないわたしは、イエリオに聞くしかないのだが――そのイエリオから、返事がない。
「嘘、ねえ、イエリオ、イエリオ!」
息はしている。目も、うっすらと開いているし、眼球は動いている。でも、周りを伺う余裕も、言葉を発するだけの体力も、ないようだった。
まだ意識はあるけど、いつ気絶してもおかしくないような様子だ。気絶したら、そしたら――。
その先が恐ろしくなり、心臓が早鐘を打つ。口の中も、からりと水分が飛んでいく。
――焦るな。
まだ、大丈夫。やれることはある。とにかく落ち着かないと。
まだ着かないとは言え、これだけ歩いてきたのだ。さっきよりは確実に近付いているはず。
わたしは一度、しゃがみ込む。イエリオを落とさないために。
身体強化〈ストフォール〉は、体の機能を強化する魔法だ。わたしは基本的に筋力を強化させることに重きを置いて使うが、やりようによっては聴力や嗅覚、味覚など五感を強化することも出来る。
こんな状況下で、避難先が静かなわけがない。聴力を強化して、どうにか場所を特定できないかと耳に意識を向け、筋力強化の身体強化〈ストフォール〉を解除し、聴力強化を意識した身体強化〈ストフォール〉をかけなおしたとき――。
「イエリオ! マレーゼ!」
「――い、つっ……!」
思わず耳をふさぎたくなるような大声が、わたしの耳を突き刺した。普通に聞いても結構、大きいな、と思うような大声である。身体強化〈ストフォール〉で能力を上げたわたしの耳にはかなりのダメージだった。
反射的に身体強化〈ストフォール〉を消してしまう。耳が痛い。
キィン、と耳鳴りがして、全ての音が遠くに聞こえる。
ただ、体は動くので、声のした方を見れば、そこにはイナリさんがいた。
「……助けてください」
その姿を目に写すと、緊張の糸が切れたのか、目の前が滲むのが分かった。涙が頬を伝う感触がする。
「イエリオ、怪我しちゃって、でも、道分かんないし、どうしようって……っ」
「……立てる? 流石に二人は抱えられない」
わたしの腕の中からイエリオの重みがなくなる。イナリさんがわたしの代わりに彼を抱き上げてくれたのだ。
「避難所になってる支部はすぐそこだから。医者もいる。きっと間に合うから」
歩き出すイナリさんの背中を追う。
「避難するならここの支部だと思ってたのに、僕も避難したらまだいないから、気になって来たんだ。……来てよかった」
「ごめ、ごめんなさい……。わたし、イエリオを守り切れなくて、わたし、まほ……ごめんなさい」
魔法を使えるのに、と危うく言いそうになって、謝罪の言葉に変えた。
「イエリオが死んだみたいな言い方はやめて。間に合うって言ってるだろ。……あんたも怪我、見てもらってきなよ」
そんなことを話しているうちに、避難所になっている支部と思われる場所に着いた。
本当に、もう少しだったんだ。
安堵すると、余計にまた泣けてきて、わたしは顔をぐしゃぐしゃにしたまま、医療チームの元へ向かうイナリさんの後をついていった。
 




