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かさかさと、廊下に何かが這う音が響く。でも、それはそこまで早い速度には聞こえなくて、わたしはあの生物を見つけてしまったが、向こうからはわたしが見えなかったのかもしれない。
目が悪いと仮定するなら、きっと耳か嗅覚のどちらかが優れているだろう。今、ここでイエリオに話しかけても大丈夫なのか分からなくて、わたしは押し黙る。
イエリオも同じようなことを考えているのか、何も話さない。
しばらくして、足音は過ぎ去った――ように思う。扉を開けて廊下を確認する勇気はなかった。
「……魔物を、見たんですか」
イエリオさんが、声をひそめて言った。わたしは返事を少し待つ。別に返答に困っているから、というわけじゃなくて、今の声が外に漏れていないか、確認するためである。
でも、特に足音がこちらに近付く様子はない。それを確認してから、わたしも声量を押さえることを意識しながら、「多分」と答えた。
「どんな見た目でした?」
「どんな、って……」
大きさは大型犬より一回り大きいくらいの、アリの様な虫っぽい生き物だった、と言って通じるだろうか。この時代、犬もいないしアリもいないようだし。犬の獣人はいるけれど。
いや、でも、アリにしては脚が多かったような……一瞬だったから本数をしっかり数えられなかったけど、六本よりは多かったような。
……六本より多い?
ふと、わたしの中で一匹の虫が頭をよぎる。言わずもがな、アティカである。体つきはアリに似ているが、脚がクモのように八本ある、この世界独特の虫。
でも、アティカって、指で潰せてしまいそうなサイズの虫なのだ。大きくても、手の親指以上の大きさにはならない。どう頑張って成長したところであんな大きさにはならないはず。
……千年経って生態も変わったんだろうか?
考えても分からない。上手く伝える自信はなかったものの、わたしはそのままイエリオに話した。
アティカという、千年前にいた虫に似ていたこと。アティカはトバラルの綿が主食なこと。千年後だし、気候が合わないだろうしで、この国にはいないと思ってアティカのことを話さなかったこと。
全て聞いたイエリオは、考え込むように「ムシ、ですか……」とつぶやく。虫、の発音がちょっと変で。やっぱり、この時代には虫という概念がないようだ。
「もしかしたら、今マレーゼさんが見た魔物は、その……アティカ、でしたっけ? そのムシが元なった魔物なのかもしれません」
「魔物に元、とかあるの……?」
シーバイズ時代には魔物はいなかった。魔法はあって、精霊はいたけれど。
もしかしたら、千年前、世界と文明が一度滅んだ際に魔物が出たのかな、なんて思ったこともあったが、どうやら違うらしい。
「ええ。魔物の誕生にはいろいろと説がありますが……、今、一番有力な説は、超大災害で世界が滅んだ後、世界を戻そうとした魔法使いが、魔法で動物を獣人にした際、失敗した獣人のなりそこないが魔物、というものなんです」




