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お久しぶりです、とオカルさんに声をかけたが、こちらを見てから反応するまでにかなり時間を要していた。本当に寝不足なんだな……。
現状を理解するのに時間を要しているなら、あんまりぺらぺら話しかけない方がいいかな、と思い、彼の方から何か言ってくれるのを少し待っていたが――泣かれてしまった。
「た、助けて欲しいっす……」
べしょべしょと泣くオカルさん。寝不足で涙腺が弱くなっているのか、メンタルがやられてしまっているのか。
まさか泣くとは思っていなくてぎょっとした。
「ど、どうしたんですか!?」
この国の男は涙腺が弱いんだろうか。いい歳した男の泣く姿なんてそうそう見るようなものでもないと思うんだけど。
おろおろとしながらも、店の端に寄り、人通りの邪魔にならないような場所で事情を聞く。
いわく。
数日前、コテルニアの布の改良が始まったのはいいが、採集してきたトバラルの綿を管理していた倉庫が何者かに荒らされたらしい。
その手口を見るに、どうやら魔物が城壁内に入り込んでいる恐れがあるそうで。
先日のディンベル邸への調査に向かう際、ファンリュルが出現するなど、普段とは違う行動を取る魔物が確認されている以上、なにかあるのかもしれない、と現在研究所の敷地内を完全閉鎖して、冒険者と民間警護団が調べているとか。
で、外に出るのは食品の買い出しに少し出るくらいしか許されていないようで。
数日の泊まり込みは覚悟していたものの、まさかここまで長期にわたって研究所に缶詰になるとは思っていなかったうえ、もしかしたらファンリュルのような凶悪な魔物が出てくるのかも、と思ったらストレスで寝付けなくなったらしい。
「しかも、周りはピリピリした空気だし、研究所にいても休んだ気がしないし、それならいっそ仕事するか、という連中がちらほらいるおかげでこっちは気軽に休憩できないんすよ~」
口調こそ、軽く愚痴るような声音だったが、内容は切実だった。
その、それならいっそ仕事するか、という側なんだろうなあ、イエリオは。
「そりゃあ自分も研究員なんで、研究が嫌いってわけじゃないっすけど……。でもプライベートはプライベートで絶対確保したいタイプなんで、正直今はしんどいっす」
「大変ですねえ……。とはいえ、わたしに何を求めてるんです……?」
確かにまあ、トラバルの綿を狙う生き物に心あたりがないわけじゃない。
シーバイズ時代には、前世で見る動植物半分、前世には存在していなかった動植物半分、という感じで人間以外の生物がいたわけだが、後者のこの世界独特の生き物としてアティカという虫がいる。前世で言えばアリとクモの中間みたいな見た目をしていて、サイズは人間の爪くらいだろうか。
主な餌がトバラルの綿なのだ。だから結構しっかり保管していないとトバラルをアティカに食われた、ということはままある。
ただ、この時代にはどうにも魔物と獣人、ほんの少しの人間以外は生息していない様だったし、流石に千年も経ってアティカがいるとは思わなかったのだ。しかもアティカは寒い時期が主な活動期間なので、このフィンネルに生息しているとも考えなかった。
だからアティカのことをイエリオに伝えていなかったのだが――とはいえ、アティカに食われたとしても『荒らされた』なんて表現にはならないだろう。小さくはないけど所詮虫、さほど大きい生き物じゃない。
そう考えるとやっぱり違うのかも。
なら、わたしにはそのトバラルの綿が荒らされた原因を追及するのも解決するのも難しい話で。
そう思っていたのだが――。
「イエリオのことっすよ!」
……なんだか嫌な予感がするぞ。




