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(中身のステージが変わった)
瑞穂の中で『気配』が反応した。
『グリーン・アイズ』は今の今まで世界を破壊したいというような凶暴な悪意をたたえていた。けれども、この瞬間、それらの奥に、最初にカーテンの向こうから声をかけてきた、深い泉の気配がよみがえったのだ。
それはレベルの問題だ、と瑞穂にはわかっていた。
人の中には幾層もの心のレベルが同時に動いている。瑞穂の『気配』が反応するのは、その一番深いところにいるものが揺れた時だ。
それが瑞穂を呼ぶ、と言ってもいいのかもしれない。
(『旅』が、始まる)
『気配』が宣言するのがわかって、瑞穂はふる、と微かな体の震えを感じ取った。
なぜなのかはわからないが、『グリーン・アイズ』は見かけのように瑞穂をからかいに来たのではない。何か深いところのものが、瑞穂と、いや、瑞穂の『気配』と話したがっているのだ。
そして、そのような『話し合い』は瑞穂にとっても、深い何かが呼び起こされる予兆となる。
それを瑞穂は『魂への旅』と呼んでいる。
「まあ、いいや」
『グリーン・アイズ』は黙った瑞穂をまだ凝視していたが、唐突にふいと目を逸らせた。
「とにかく、あなたは『未来』が見えるらしいから、占ってもらおうか、僕のことを」
「あなたを?」
瑞穂は意外な申し出に瞬きした。
「それとも、心が読める相手なんて怖くて占えない?」
『グリーン・アイズ』は皮肉っぽい笑みを返してきた。
「いいえ、そう、占うわ」
瑞穂は覚悟を決めた。
(心が壊れる前に動こうって決めたんだ)
それが、こんな形で出てくるとは思わなかったが、『気配』が選んでくれたのだから、おそらくは意味があることなのだ。
(きっと、忍を占ったことも)
それが『グリーン・アイズ』を引き寄せたのだから、ひょっとすると、忍のことはきっかけだったのかもしれない。
「じゃあ」
瑞穂は紙とサインペンを差し出した。
「ここに、あなたの占ってほしいことを絵でかいてみて下さい」
「絵? なるほどね、心象風景が出やすいものね」
『グリーン・アイズ』はうなずいてサインペンを取り上げたが、ちらっと上目づかいに瑞穂を見た。パールがかって見える鮮やかな緑の目の奥で、ちらちらと陰険そうな色が動き、『グリーン・アイズ』はにこっと笑って何もかかずにサインペンを置いた。
「はい、どうぞ」
「え?」
「かいたよ。これが僕の占ってほしいことだ」
瑞穂はあきれて『グリーン・アイズ』を見た。
「さっきみたいに鮮やかにやってよね。それとも、知らない相手にはできないかな?」
『グリーン・アイズ』は挑発するようにくすくす笑う。
(どういうつもりなんだろう)
「ほら、早く」
せきたてられて、瑞穂は困惑したまま、相手を凝視した。
『グリーン・アイズ』はとても機嫌がよさそうだ。ほほ笑んだ顔には、まるで小学生のような得意そうな表情が見て取れる。
(小学生)
そのことばを感じたとたん、瑞穂の中の『気配』が動き出したのがわかって、瑞穂は深呼吸した。
(これは『魂への旅』だ。だから、今見えているこの表情に現れたのは、きっと私に話しかけてきているのが、小学生の『グリーン・アイズ』だということなんだ)
瑞穂の中で連想がゆっくりと水に描かれた波紋のように広がっていく。
それをきちんと確認し感じ取りながら、瑞穂の心は『気配』に従って深く暗い心の層までゆっくりと降りて行く。
(導き手は小学生……そして、この小学生は人間が嫌いで、世界を憎んでいる。そういう小学生は大人を試す。だから、描けと命じられたから、一切描かないことで自分を表現している)
波紋は広がる、何重にも、何層にも、心のすみずみに。
そして、その波紋は遠くで何かにぶつかって、その存在を乱れた波で教えてくれる。
(『グリーン・アイズ』は未来を知りたがっている。世界を破壊したがっている小学生が未来を知りたがるのはどうしてだ?)
心の奥底で、瑞穂が意識せぬ力が広がり、問いは波紋を読み解いていく。
瑞穂はじっと何もかかれていない白い紙と、じろじろと自分を見ている『グリーン・アイズ』を見つめて、ゆっくりと尋ねた。
「これは、あなた?」
周囲の空気が動きを止めた。
『グリーン・アイズ』の笑っていた顔が凍りつき、緑の目が大きくむき出される。驚きと恐怖と、そして真実に近づいたときに人が共通して見せる虚空を見つめるような表情。
そうすると、顔はもっと幼いものになった。
(ああ、もっと前からのことなんだ)
瑞穂の中で、中空につり下がるように引っ掛かっていた何かがすとんと、おさまるところへおさまった、そんな感じが動いた。
「どういうことさ」
さっきの長部とまったく同じ対応をしているのに、『グリーン・アイズ』は気がついていないようだった。血の気が引いて、真っ白になってしまった顔を瑞穂に向けて、固い声で尋ねた。
「あなたの中には、何にもないの?」
『グリーン・アイズ』の顔がみるみる真っ赤になった。