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エターナル・ブラック・アイズ  作者: segakiyui
10.離れた心

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30/36

3

「これで、みんな、終わりにしよう、瑞穂。哲も捕まった、もうみんな終わりだ、僕には何にも残らない」

 長部は笑みを広げた。何かとてつもない秘密をそっと話すように、声を低めてささやきかける。

「瑞穂が哲の奥さんを連れてきたんだろう? 僕は昨夜ずっと見てたんだよ、誰にもわかりっこないはずのことなのに、どうして奥さんはいきなり家に戻ってきたのか、不思議だった。でも、あそこに瑞穂がいたよね?」

 長部の唇がゆがんでねじれた。

「だから、今朝一番に哲に会いにいって、確かめたんだ。昨夜何があったのか。それから、哲の後輩のふりして、奥さんに聞いてみた、いったいどうして、急に帰ろうって思ったんですかって」

 長部はじっと瑞穂を見た。真っ暗な底無しの穴を思わせる、そしていつか紙に描かれた円を思わせる、虚ろな遠いまなざしだ。

「僕はあの奥さんの優柔不断なとこ、よく知ってるんだ。万が一ばれても、どうにもできないって哲も思ってた。けど、昨夜のあの人は違ってたって哲は言ってた。まるで、何か、新しい力が入ったみたいだったって。とても防げないほど、強くて大きな力が、あの奥さんの中に入ってたって、哲、びっくりしてたよ、瑞穂」

 声を低め、威力のある強い呪文を唱えるように、微妙なリズムと節をつけて、長部は続けた。

「それを、聞いて、僕には、すぐにわかった、そんなこと、できるのは、瑞穂、だけだ」

 ひきつって、けれどもどこか酔ったようなうっとりした笑みを長部は浮かべた。

「そんなふうに、人を動かせるのは、僕の瑞穂、だけだって」

「だめ……忍」

 瑞穂は首を振ろうとした。声がかすれる。

 けれど、このままではまた、瑞穂は再び防げるはずの破局を見守るだけの役割しか果たせないことにになってしまう。

「ううん、いいんだ、これで、瑞穂はずっと僕のものになる」

 長部はあでやかにほほ笑んだ。すっきりとした迷いのない笑みだった。

「それに哲も帰る所がなくなれば、僕の所に来る。哲だって、奥さんがいなくなったのに、今更世間体なんて言い出すから悪いんだよ。そうか、そういう意味でも、僕は瑞穂に感謝していいんだ」

 長部はタンクを置いて、身を屈めた。

 そっと大事なものを扱うように、まるで深い祈りをささげるように、瑞穂の顔を両手で包み、唇にもう一度、今度は丁寧な優しいキスをする。

「愛してる、瑞穂。ほうらね、今度はちゃんと言えたよね?」

 無邪気な微笑が長部の顔に広がった。

 何かをとうとう越えてしまったような、何かがとうとう離れてしまったような、取り返しのつかないところへ踏み込んでしまったようなものを感じさせるほほ笑みだ。

「忍…!」

「天国で、待っていて。いつか必ず、瑞穂と出会うよ、僕はそう確信している」

 長部は片目をつぶって立ち上がり、タンクの中身をあたりに一面にまき出した。見る間に、部屋がむせ返るような灯油の臭いであふれ、瑞穂はせき込み、うめいた。

「警察は不思議がるだろうなあ、どうして瑞穂がこんなところにいるんだろうって。哲にどんな関係があったんだろうって」

 長部は笑う、楽しげに、うれしげに。

「僕しか知らない、僕しか知らないんだ。瑞穂がここにいる理由は僕しか知らない。僕だけが知っている、瑞穂のれーぞんでーとるは僕のものだ」

 長部は鼻歌混じりに灯油をまきながら、歌うように踊るように別の部屋へ移動していく。

 ざぶ、ざぶ、と続いていた音がふいにやみ、やがて、玄関の方でゆっくりとカギが閉まる音がした。

 それから、微かな、けれども、次第に大きくなってくる、何かがこすれるような音が始まった。

 じわじわとした熱気が長部の去っていった方向から広がってくる。

 長部が火をつけたのだ。

 もうまもなく、まかれた灯油を走って、炎が瑞穂にも迫ってくるだろう。

 それはあの炎の夢を思わせる。家族を焼いた炎に、瑞穂もまた身動きとれないままで焼かれていく、いつも襲ってくる悪夢が、今ここで現実化していく。

 だが、その危機の中、なぜか長部の声が瑞穂の耳に響いてきた。

 『気配』が反応し、泉が波紋を起こしてるのを瑞穂は感じ取った。

(れーぞんでーとる)

 それは、存在理由、と訳される。

(でも、誰だって、他の誰かのために生きているわけじゃない)

 絶え間なく痛み続ける頭と見る見る体を包む熱感の中、瑞穂はもうろうとする意識で考えた。

 長部は瑞穂が母親と同じだと言った。自分と父親を捨てていった母親、長部が必死に努力し評価してもらおうとしたのに一顧だにしなかった母親と同じだと。

 そういえば、付き合っている時、長部の母親は長部が幼いときに家を出たと聞いたことがある。

 理由はわからないんだよ、とそのときも長部は笑っていた。ただ、ふいにいなくなったんだ、と。

(今ごろになって)

 瑞穂は眉をしかめた。

 今ごろになって、長部の細かなあれこれを思い出す。

 それらすべて、『気配』の目からみれば、そして今考えてみれば、この状況の可能性は含まれていたのだ。

 なのに、瑞穂は自分の能力におびえてきちんと向かいあおうとしなかった。長部の中にある巨大な暗い虚ろさから、それが示す未来から、逃げ回ることしかしなかった。

 そして、そこには、瑞穂があの家族を失った惨劇から立ち直れなかったことが原因になっている。

(どうして? 何がいけなかったの?)

 その問い、幼い長部がいなくなった母親に、そして残った父親に尋ねただろう問いは、瑞穂が家族を失った火災に対して周囲に投げたものと同じだ。

 瑞穂はその問いに、自分の弱さを責める物語を作り上げた。

 だが、長部は、努力しても喜んでくれない女達への怒りという物語を紡ぎ上げた。晃久が自分の能力を受け入れがたい両親への怒りと悲しみを受け入れ認めるかわりに、人間というものの薄汚さに視線を転じて見ないふりをしたように、長部は自分を理不尽に捨てていった母親への怒りを、自分を利用しむさぼる女達におびえ振り回される自分に、そして女達すべてに押し付けたのだ。


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