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「おはよ」
『エターナル・アイズ』でのハードな一日目を過ごした翌日、マンションの玄関のガラス戸を開けて外に出た瑞穂は、駐車場を囲むように続く植え込みの影から姿を現した相手にぎょっとした。
「『グリーン・ア………じゃなくって、高樹くん」
じろっとにらまれて、寸前急いでことばを入れ替える。
晃久の髪は染め直したのか濃いめのブラウンに戻っている。加えて、黒い縁の地味な眼鏡までかけていて、そうしてみると、これがまた、典型的な純和風の美少年で通るうえに、何だか誠実そうに見えるから不思議なものだ。
ところが、このいい人ふうの相手は朝からとんでもなく機嫌がよくなかったらしい。
「鈍感なうえに物覚えも悪いんだね」
冷ややかな声で切り返されて瑞穂は苦笑いした。
「どうしたの?」
「一緒に行こうと思ってさ」
それは当然だろうという口調で、晃久は瑞穂と肩を並べた。
「一緒にって、あの」
「同じ高校に通っている。ついでにクラスは隣だ。あんたの名前もわかってる。鷹栖瑞穂だろ。他にもいろいろとわかってるけど、今は言わない」
(やれやれ)
瑞穂は思わずそっとため息をついた。
見かけは確かに高校生だが、精神年齢はひょっとすると中学より下かも知れないとつい思ってしまい、ひやっとする。
(でも、きっと、何を考えても筒抜けなんだろうな)
そして、それは、瑞穂だけではなく、晃久の回りに居る者全てがそうなのだ。友達、通り過ぎる誰か、全く関係のない誰か。そして、おそらくは家族さえも。
「大丈夫だよ」
朝日の逆光で表情のよく見えない晃久がつぶやくように言った。
「外ではオープンにしてない。そんなことしてたら…」
声がふっと低くなる。
「壊れてる」
「…うん」
(きついよね、それ)
瑞穂は彼が口にしなかったことばを自分の胸の中でつぶやいた。
厳しい顔になった晃久から目を逸らせて、朝日がはねてまばゆく輝く町並みを眺める。その光景は、昨夜のとおるを襲った悲劇も、瑞穂が襲われた恐怖も、何かの錯覚だったように白々としている。
(でも、そうじゃない)
現実は確実に人を変え、世界を揺り動かしていく、どんなに見えないふりをしようと。
「どうして、あそこに住んでるの」
「うん? ああ、あのね」
心を読めばわかることだろうに、晃久は前を向いて歩きながら尋ねてきた。
「家族が死んだ、その保険金でね、買ったの」
中古ではあるけれど管理はよくて、マンションから続く通りは広くてバスも走っている。そして、瑞穂の通う柴崎高校は徒歩で十数分かかるか、かからない距離にある。
それもあって、家族全員を失った後残された保険金で、瑞穂はこの小さな分譲マンションを買ったのだ。
「…ごめん」
晃久は一瞬ひるんだ。
「ううん、いいよ」
「じゃあ、いろいろとややこしかっただろ?」
心を読む方がこういった失敗はしないに違いない。けれど、それではつらい話をさせなくてすむかわりに、お互いにわかりあったという気持ちもうまれない。
(それを『グリーン・アイズ』は知っている)
わかるまでにずいぶんつらいことがあっただろうな、と瑞穂は考えた。
「おじさんがいてね、面倒をみてくれた。今は外国に移住しちゃったけれど」
「ふうん」
「だから、身内はもう、ここにはいないの」
「そうか」
会話が途切れた。周囲のざわめきがゆっくりと二人の沈黙の中に入り込んでくる。
「どうして、急に一緒に行こうって?」
歩きながら瑞穂は尋ねた。どうせ隠し立てなどできないのだから、と居直ってみたのだ。
思ったままをストレートに口に出す。それは意外と解放感があるものなんだ、と瑞穂は改めて感じた。
「あんたは、僕の未来を変える、と言った」
低いままの声が応じた。まっすぐに前を見た晃久の表情は頑なで冷たい。
「でも、信じなかったでしょう?」
「けど、あんたは、あのおばさんの何かを動かした」
「ああ…」
(そうか、こういうふうにつながったのか)
瑞穂はうなずいた。
あのとき、瑞穂は気づかなかったが、あの店のどこかに晃久がいたのだろう。
そして、彼の方は瑞穂のことに気づいていて、彼女があの女性に対してどうふるまうのかをじっと見ていたのだ。
(もし、あのとき、私が怖がって何もしなかったら)
きっと晃久は瑞穂をつけることもなく、そして瑞穂は長部に襲われて、ひょっとしたら命を落としていたのかもしれない。
いや、それよりも先に、あの女性に何も働きかけなければ、危険な目にも会わなかったかわりに『グリーン・アイズ』を見捨ててしまったことになったのだろう。
「だから、ふっと、ふっとだよ」
晃久は警戒するように続けた。
「あんたならできるかもって、そう思っただけだ」
瑞穂は、そのことばに昨夜の晃久の手の力を思い出していた。
瑞穂を助けるためにというよりは、瑞穂の腕を命綱にするように握り締めていたような、強くて激しい力だった。
瑞穂の安全を守ろうとしたのも、瑞穂を守ろうとしたと言うよりは、つまりは命綱が切れるのを未然に防いだというあたりだったのだろう。
(そっか…)




