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エターナル・ブラック・アイズ  作者: segakiyui
6.闇を見るもの
15/36

3

(あ)

 瑞穂の体から血の気が引いていく。

 それと一緒に、女性がとおるという少年が見えるのか見えないのかにこだわったことや、何にもすがらないといった強い口調がよみがえった。

(知ってる?)

 瑞穂が思わず顔を上げると、彼女をじっと見守っていたような女性の視線とぶつかった。

 まっすぐな、悲しみに満ちた目だった。

「一週間も幼稚園に来てない、風邪をこじらせて肺炎になったってあの人から連絡があったって言うんです。でも、違います。そんなことじゃ、ありません」

 とおる、ごめんねえ。

 女性のつぶやきが急に切実な響きで瑞穂の胸を圧迫した。

(気づいている、知っているんだ。だから、ハンバーガーを食べさせにきた、それを認めたくなくて。それを認めるために、誰かに背中を押してほしくて)

 瑞穂は目を閉じ、胸でこぶしを握って傷みに耐えた。それから、目を開き、改めて精一杯にっこり笑って答える。

「いっぱい、あるんですねえ」

「はい」

 一瞬目を見開いた女性は、瑞穂の笑みにつられたように唇を上げた。まるで天上の裁決を待つような笑み、きれいな弧を描いてつりあがった唇が細かく震えている。

「いっぱい、あったんです」

 訴えるように付け加えた。

「そうですよねえ」

 瑞穂は深くうなずいた。

「じゃあ、もう行ってあげなくては」

 続けたことばに女性はびくっと体を大きく震わせた。

「行っても……構いませんか?」

 必死の顔で瑞穂に尋ねる。

「私、あの子のこと、ほうり出したんです。でも、行っても構いませんか?」

「はい、だって」

 瑞穂は詰まりかけた声を飲み込み、深く息を吸い込んだ。

 これから言うことばの効果も残酷さも十分わかっている。でも、私がこれを言わなくてはならないんだ、と胸の中で繰り返す。

(それが『気配』が望むことならば)

「とおるくん、むかいにきてねって言ったんでしょう?」

「…!」

 いきなり、女性の目から涙が吹きこぼれた。ぱたぱたぱた、とテーブルに広げられたナプキンの地図に、花模様にも見える跡が散っていく。

「とおるくん、待ってます」

「待って、ますか?」

「ええ、だって、おかあさんだもの」

「そう、そうですよね、ええ、はい、行きます、私」

 女性は言い切ると急に立ち上がった。革のバッグをつかみ、ふいに体の中心に強い力の入った姿勢になって瑞穂を見下ろし宣言する。

「何があっても、とおるを迎えに行ってきます。あの人が拒むなら、ええ、はい、警察でも何でも使います、どんな手だって、どんな手だって…!」

 まるで、激しい風に煽られ押されて行くように、女性は席を離れた。急ぎ足で、ついにはほとんど駆け足で、バーガーショップを飛び出して行く。

 その後ろ姿を見送って瑞穂は重く苦しいため息をついた。

「あの…」

 呼びかけられて振り返ると、店員が不安そうに瑞穂とテーブルの上のパン、ナプキンに書きなぐられたような地図をかわるがわる見ている。

「何か問題でも」

「ああ、大丈夫です、終わったから」

「そう、ですか?」

 不審げに後ろを振り返りながら離れていく相手に安心させるように少し笑って、破かないようにもう一度ナプキンを広げ、瑞穂はゆっくりと向きを変えて置いた。

 交差した線はナプキンの中央、彼女があの人の家、と言った場所を中心にして、四角で囲まれているように見える。その四角は上の辺を斜めに過る二本の線に区切られている。

 それはみんながよく知っている形だ。

 この世に別れを告げるためのほほ笑みを封じ込めるもの、葬式のときに飾る遺影の形なのだ。

(ううん、これは、あの人の『気配』がよこした合図)

 たぶん、彼女の一人息子は何かの原因で、もう死んでしまっているのだ。

 それがどうやら、病気だと幼稚園に偽っている彼女の夫のせいらしいこと、それを彼女が薄々感じていることもわかる。

 そして、それを彼女は全て自分のせいだと責めている。

 自分が夫と別れなければ、そして、自分が子どもを引き取っていれば、こんなことにはならなかったはずだ、と思っているのだ。

 そして、彼女はそこから動けなくなってしまった。

 自分の罪悪感と『気配』が知らせる予感、それらと奇妙な一致を見せる現実の符号の前で、何をどう考えればいいのかわからなくなってしまったのだ。

 それを一つのつながりで、何かの意味を読み取るもの、同じ合図を示すものとして構成して考えるためには、彼女の居る世界からはみ出た視点が必要だった。

 瑞穂はナプキンを折り畳んで、ポケットに入れ、パンとジュースのコップ、置きざられたトレーを片付けて店を出た。

 外はもう薄暗くなっている。その中を、静かに足を忍ばせて、ナプキンに書かれた場所に向かう。

 本当は当たってほしくない。

 瑞穂の感覚は的外れの妄想で、あの女性がオカルトおたくのとんでもない女子高校生にからかわれたと怒りながら、とおるの手を引いて歩いてきてほしい。

 だが、そちらへ歩く瑞穂の耳にぎりぎりと神経を逆なでするようなパトカーのサイレンの音が響いてきていた。

 瑞穂の真横を白と黒のツートンカラーの車が、先に待っている運命の結末を叫ぶように走って行く。夜の団らんに静まり返るはずの少し先の住宅街から、奇妙な不安なざわめきが広がってくる。

「とおるーっ! いやーっ!」

 悲鳴のような叫びが夜を貫いた。    


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