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(これは、テーマだ)
瑞穂は気づいた。
どうしても同じことを繰り返すとき、なぜかいつも同じ状態に追い込まれてしまうとき、人はそこに一つの未解決のテーマを背負っている。
炎の夢が示す無力感から逃れようとした瑞穂が、ここで長部にあって、彼の行き詰まって行く人生に何もできないと再び思い知ったことのように。
そして、それをどう扱えばいいのかわからないままにいることで、『グリーン・アイズ』に未来を変えることについて問われることのように。
これらはつまり全て同じ問題から動いていることなのだ。
(私が、自分の力を扱いあぐねているということ)
目の前にいる『グリーン・アイズ』は、言わば、瑞穂の内側からの問いかけが現実の形に映されたものに過ぎないとも言える。
(そして、『グリーン・アイズ』と同じように、私もまた、自分の力の扱い方がわからなければ、世界を壊すか、自分を傷つけて死んでいくしかないということ)
そして、『グリーン・アイズ』はこうも言ったのだ。瑞穂自身がまず、炎の夢を変えてみろ、と。
「うん、わかった」
瑞穂は答えた。
それは、目の前の『グリーン・アイズ』に対しての答えでも、瑞穂の内側の『気配』に対しての答えでもあった。
それが意外な答えだったのだろう、『グリーン・アイズ』はどこか惚けたような顔になって瑞穂を見た。
瑞穂は立ち上がり、ポケットからハンカチを出して、『グリーン・アイズ』の右手を取った。
『グリーン・アイズ』は動かない。
何かの呪文にかけられたように、されるがままになっている。その冷えて固まったような手に、瑞穂はゆっくりしっかりとハンカチを巻き付けた。
「変えて、みる。そうすれば、あなたは生き残れるのね?」
顔を上げ、『グリーン・アイズ』に瑞穂は尋ねた。同時にそれは、瑞穂自身への答えとなって、『グリーン・アイズ』の口から、鏡のように響き返ってくるはずだった。
瑞穂を見下ろした『グリーン・アイズ』の瞳が不安定に揺れた。何かを答えようとして、その答えに戸惑い口に出せずに怯むような、意固地な曲線でねじれた口元。
だが、それは開かない。
やがてふいに、我に返ったように右手を握り締め、『グリーン・アイズ』は瑞穂の手から体ごと引いて、そのまま無言で部屋を出て行った。カーテンが揺れて、その向こうからも気配が消える。
見送った後、瑞穂は緊張を解いた。
部屋の隅の壊れたランプに近寄り、拾い上げる。
ランプは壁に叩きつけてもこれほどには壊れないだろうというように、変形し折れ曲がっている。まるで、内側から何か荒々しい力が飛び出して、それがランプそのものも壊してしまったようだ。
そのランプを瑞穂はテーブルの上に置かれた紙の血の染みに並べて置いた。
あんたは自分に都合のいい想像をしているだけだ、と『グリーン・アイズ』は言った。
そうだろうか。これらは単に、落っこちて壊れたランプと、何かの拍子にケガをして流れた血がついただけの紙だろうか。
それとも、瑞穂の『気配』がささやくように、この紙は傷ついた『グリーン・アイズ』の中の子どもの姿で、ランプはこのまま放置しておくと引き寄せてしまう『グリーン・アイズ』の未来の象徴だということだろうか。
「『ブラック・アイズ』、よろしいですか?」
ふいに外のカーテンの向こうから柔らかな声が尋ねてきた。
「はい?」
「何かすごい物音がしましたが、トラブルでもありましたか?」
カーテンから今度ひょいと顔を突き出したのは境谷だった。
テーブルの上の壊れたランプと濁り始めた血の染みにすぐに気が付いて、問いかけるような視線を瑞穂に投げてくる。
「いえ、すみません。ランプ、壊しちゃいました」
「そうですか、そういう時もありますからね」
境谷はうなずいた。
「もう少しで八時になります。もう予約客はいませんから、片付けていいですけど………何か、話したそうですね」
小首を傾げて瑞穂を見る。
ためらってから瑞穂は口を開いた。
「あの、ひょっとすると、これからも、こういうことがたびたびあるかもしれません。私、たぶん、けっこう騒ぎを起こすことになると思います」
『魂への旅』が始まっているのなら、そこには大きな変化が起こる。それは瑞穂にだけ影響するというものではなく、巻き込まれてくる周囲というものもある。
結局人は一人で生きているものではなく、多かれ少なかれ、見えるところ見えないところで関わっているものだからだ。
だが、境谷は動じた様子もなかった。
「ああ、そうですか。まあ、話題性につながるなら、犯罪でない限り別段構いませんよ、もともとが怪しげなものですしね、占いなんていうのは」
のうのうと言い切った境谷のことばには、真面目なのか不真面目なのかわからない軽さがあった。
「でも、私のすることは、ひょっとすると、正しくないかも」
「はあ?」
「だから、私の感じているものはきっと、世間からずれてるし、それは境谷さんにも迷惑をかけるかもしれないし」
「ははあ」
境谷は唐突ににこっと可愛らしく笑った。ひょうひょうと部屋に入ってきて、瑞穂の前に腰を下ろす。瑞穂にも腰かけるようにすすめて、ひょいと顔を突き出した。
「私の目、どう見えます?」
「どうって」
「義眼なんですよ、両方とも」
言われて始めて瑞穂は気づいた。
境谷の両目が動かないのだ。
いつも少し目を細めて笑っているような顔だから、気づかなかったのかもしれないが。
「え? でも」
瑞穂は思わず被っている服に触った。
境谷がこの服を作った、といったことを思い出したのだ。
白杖を使ってない、というレベルの問題ではないし、単に慣れや鋭い感覚という範囲を超えているように思える。
瑞穂の問いかけは境谷にとっては繰り返された質問の一つだったらしい。少し目を見開いて、自分の両目を確認させるようにうなずき、続いて優しい声で、
「そう、でも、見えるんですよ、なぜか」
境谷はほほ笑んだ。
「鷹栖さんが髪の毛を後ろで三つ編みにしてるのも、今テーブルの上にぶっ壊れたランプとなぜか血のついた紙があるのも、ちゃんと見えてますよ。まあ、厳密に言うと、カメラの原理で見えているのではなくて、何だかわからないけど、脳の中に見えているといいますか。でも、最新の医学では、結局普通の視覚でも脳内処理をして映像化しているそうですから、私にとっては同じことだと思うんですがね」
境谷は少しことばを切って考え、静かに付け加えた。
「目玉がなくても見えてるなんて、まあ普通一般に言う世間じゃ許してくれないんです。ましてや、超能力でもなくてただ『普通に』見えてるだけ、ただ『視覚受容器官』がないだけなんていうのはね。障害者の仲間にも入れないんですよ、私は。『見えて』ますからね」
境谷の穏やかな笑みの向こうに一瞬修羅場が見えた気がした。
「鷹栖さんもそういうものだと考えられたらどうでしょうか」
境谷は初めて会ったときのように、両手を無邪気な女子高校生のようにあわせてにこにこした。
「見えてるものが正しいかどうかなんて、あんまり意味はありません。世間からずれてるというのも、どこを世間と呼ぶかで変わってくる程度のものです。今、鷹栖さんにとっては、この『エターナル・アイズ』こそが世間だと考えれば、けっこう気楽にやれるんじゃないでしょうか」