第2節「金太郎」
その時はある日突然にやってきた。
両親に二つの小さな手を掴まれながら緑に囲まれた野原で童子がはしゃぎながら散歩をしていた。
見ればその母親は花のように美しくて父親も凛々しい姿をしていたので童子もやはり良家の気品を漂わせる風貌であった。
そんな幸せの絶頂のような家族に突然降りかかった悲劇が起きようとは誰も想像していなかったのである。
野原でピクニックをして食事を楽しもうかなどと話している家族の後方から黒い影がいくつか忍び寄ってきた。
その集団はあっという間に親子を取り囲むと父親を切り殺して金品を奪い、母親は木陰に引きずり込んで裸にして慰み者として弄んだあとで殺して高価な着物は奪われてしまったのである。
殺された侍の家は格式が高く、武家としての家柄を重んじる家系であったので、襲撃されて辱めを受けたと聞くや否や、親族は結束してあらゆる手を尽くして犯罪者を追求した。
更に親族によって「金に糸目はつけない」と言う程の賞金が懸けられたために、次々と集まった武士や家来たちによって山狩りが始まり、山賊たちは追い詰められていった。
やがて山賊たちは強奪した金品を持っていることを山里の村人たちに通報されて、大勢の侍と賞金稼ぎによって包囲されてしまった。
抵抗した腕自慢の山賊も大勢の敵に囲まれてはなす術もなく、力尽きた者から殺され、そして逃げようとしたものもすべて捕えられてしまった。
その後、親族は残された跡取りである童子を探したが、見つけることはできなかったため捕えた山賊たちを問い詰めてみるとどうやら山奥へ逃げ込んだようであった。
童子の動きはすばしこくて捕まえることが出来ずに追い回しているといきなり熊の親子に出くわしてしまい、子熊を襲いに来たと勘違いした母熊は自分の子供を守ろうとして山賊たちに襲い掛かってきたという。
山賊たちも止むを得ず母熊と格闘したが、二人の仲間を殺されて生き残った者も皆深手を負ってしまった。
それでも何とか母熊を仕留めて辺りを窺うと、もうすでに子熊と童子の姿は見当たらなかったということであった。
親族は何度か捜索隊を出して山の中を探したがついに童子を見つけることはできずにいた。
そして何年か過ぎたころ、山奥で熊と一緒にいる少年を見たという噂話が出ていたが、その時の童子かは定かでないために捜索隊を向けることはなかった。
その後も山奥に住む老夫婦に「金太郎」という子供がいて熊とじゃれあって遊んでいたという話が仄聞されていたが、もうすでに行方不明の童子については語られることもなかった。
さて話は横道にそれるが、日本の武術には「道」が付くことが多い、この文字の意味はそれを志す者の心の行く末を示唆しているのだろうか。
また世界に眼を転じてみれば、古来中国では相手を倒すために取り敢えず手元にあるもので戦った。農民であれば「鍬」であり、庭師は「草刈り鎌」猟師は狩りに使う槍と弓、その中でも最も身近にあったのが棒であったがこれを「棍」と呼んでいた。
つまり日本でいうこん棒のことであり、それが沖縄に伝わり武術の中で棒術と言う分野が出来た。
だが所詮は殺し合いである、中国の戦国史で有名な「悪来」のように2m以上の巨漢が使う人殺しの道具とは頑丈な道具なら何でもよかった、上から下からそして横からも叩き潰して相手は瞬時にして肉団子のようになり人間とは思えないように変形してしまったのだから。
しかしこのやり方では並の人間は一人を倒すだけで疲れ果ててしまい、戦場では次には自分が殺される番になってしまうだろう。
だがやがて製鉄の技術が刀が普及すると効率的な人殺しの道具として進化していったのである。
それが独り歩きを始めて鍛造の技術が生まれ、刀鍛冶という職業に発展したようであるが、このあたりの時代からその技術が日本に渡り、平均身長が150㎝という大きさにハンデのある日本人が他の国とは違う武術の道を歩み始めたきっかけになったようである。
「小が大を制す」、「柔よく剛を制す」その名のごとく礼節を重んじ効率の良い戦いを求めた所謂「道」の世界が根付いていったわけである。
時代劇の映画やドラマにみる「殺陣」と主人公の立ち回りを見ると日本人らしさが見てとれる。
日本の時代劇の醍醐味は「チャンバラ劇」といってちゃんちゃんバラバラと刀と刀を合わせ、火花を散らしながらバッタバッタと相手を切り倒していく主役である名剣士の活躍する姿である。
だが刀というものは人を切ると骨にあたって刃こぼれを起こし血液と脂肪の血糊が張りついて二度目は切れ味が落ちてしまうものである、したがって二人も三人も続けて切れる刀はあまり存在しないことになる。
時代劇の演技で千葉真一と言う俳優が演じる「柳生十兵衛」の剣の構え方とか、松平健が演じる「暴れん坊将軍」の殺陣で刀を返して峰打ちで対処するシーンがあるが、それらは理にかなっていると思う。
そしてさらに言うなら俳優の佐藤健が映画で演じた「人切り抜刀斎」の立ち回りで見せていた素早い動きを考えると、一人で大勢を倒すための最も有効な戦法は低く構えて、刃こぼれのしない刀の峰を使って、相手の倍以上の速度で動くことにあるようだ。
実は成長した金太郎の剣法は当にこの動き方そのものであった、つまり身体が小さくて力もない金太郎にとっては、命知らずの大男たちを相手にしてその相手を恐怖に落とし、従わないものは切り殺すという渡世を生き抜くためにはどうしても必要な戦法であった。
あの時金太郎はもの前で両親を山賊に殺され、さらに自分に向かってくる敵の手を摺り抜けて、目の前に現れた熊の横を摺り抜けて振り返ると母熊と山賊たちの戦いが始まっていた。
ふと見れば小さな熊が親の戦いを見ながら震えて縮こまっていた。
既に両親を殺されて絶望の中にある童子は真っ白になっている頭の中で、親を亡くすであろう子熊と共に生き延びることを選択していた。
母熊を求めて力なく呻く(うめく)子熊の足を持って引きずるようにその場から逃げ去っていった。
どのくらい走ったのだろうか、既に体力は限界を超えて童子と子熊は小川の淵に口をつけながら水を飲みそして気を失っていた。
童子が目を覚ますと何やら薄暗い家の中で、茣蓙の上に寝かされていた。
起き上がり辺りを見渡すと土間には子熊がくるりと丸まって寝息を立てていた。
しばらくすると薪にする薪を持った老爺と野菜を持った老婆が隙間だらけの引き戸を開けて呆然としている童子の前に現れた。
目を覚ました童子に気づいた老爺は、川辺に倒れていた童子と子熊を家に担いできたことを話し、童子の名前と家族のことを尋ねた。
だが童子はこれまでの経緯を語ることはなかった、あまりにも急激な人生の変化に対応できず記憶を消すことで辛うじて平常心を保っていたのであった。
そんな童子を哀れみ、老夫婦は童子を「金太郎」と名付けて二人の子供として育てることにした。
時がたち一回り成長して明るく育った金太郎は、一緒に逃げてきた子熊を「ダイゴロウ」と名付けて毎日遊んでいた。
一年も経つと金太郎も大きくなったがそれ以上にダイゴロウは熊として大人になっていた。
ある時、金太郎とダイゴロウはいつものように山と草原を走りながら遊んでいたが、その前に偶然に現れた一人の少年と出会い、いつしか毎日のように待ち合わせて野山を走って二人と一匹で戯れていた。
その少年は「桃太郎」といって里山に住む老夫婦に育てられた子供であったが、同じような境遇を知ってか知らずか二人は切っても切れないような関係になっていた。
だが同い年でありながらその性格と体格は全く違い、穏やかで小柄な「金太郎」に対して「桃太郎」は気性が激しく全身が筋肉の塊のようで金太郎の二回りくらい大きな体をしていた。
山から下りて村で遊んでいると村の子供たちからからかわれたり、遠くから石を投げつけられたりすることもあったが、怖がる金太郎を尻目に桃太郎は地元の子供たちに一人で立ち向かい、あっという間に打ちのめし泣きわめいて逃げていく子供たちに振り向くこともなく清々として金太郎の元に戻ってまた遊びの続きを始めるのであった。
しかしその遊びも成長するに従って変化をし、体の大きさに合わせて相撲や剣術の稽古に変わっていった。
だが、「馬の首を一撃でへし折ってしまう」という熊のダイゴロウの張り手をまともに食らっても、コキコキと首を回して平然としている桃太郎を見ている金太郎にとって、これほど恐ろしい相手はいなかった。
何度戦っても一度も勝つことはできなかったのだが、ある日ふとした疑問で金太郎の類まれな才能を本人が知ることとなった。
いつものように桃太郎は暇を持て余して金太郎に、相撲でもして暇をつぶそうぜと言ってきたのだが、その言葉はいつも金太郎にとっては頭に雷が落ちるほどの衝撃であった。
「またかよ」と青ざめた顔を横にそむけながら渋々桃太郎の暇つぶしに付き合っていた金太郎だが結局のところ桃太郎には勝てるはずもなく、息も絶え絶えにギブアップして満足げな桃太郎が自分の強さを確認し、金太郎はやれやれと溜飲を下げるのである。
ところがこの日の金太郎は何故か腑に落ちないことに気づいていた。
桃太郎はダイゴロウの突進をまともに受けてもそれを跳ね飛ばすほどのパワーの持ち主でその圧倒的な力に常に完敗している金太郎であったがよく考えてみるとこれほどの相手と毎日相撲や殴り合いをしているのに怪我をするどころかかすり傷ひとつ見当たらないのはどういうことなのか。
桃太郎のパンチは確かに金太郎の顔面を捉えてその拳が食い込んできているのは間違いない、だが落ち着いて見てみるとその速度は意外に遅いことに気がついたのである。
だからゆっくりと頬に向かってくる桃太郎の拳をその肌に受けていながら少しづつずらして、触れてはいるけど食い込まない程度に動いてゆく、いわゆる紙一重でかわしていたのであった。
同じように相撲をしたりしてダイゴロウとも遊んでいたが、桃太郎に比べたらダイゴロウの猛突進などは超スローモーションの再生ビデオと同じであった。
昭和の時代に大スターとして日本のプロ野球界に君臨した「川上哲治」は打撃の神様と称されたがその逸話の中で、相手投手の投げたボールが手元で止まって見えたと語った。
同じく金太郎も桃太郎のパンチが止まって見えたのである、つまり相手のスピードよりも速く動ける者の動体視力は相手が止まっているくらいはっきりりと見えてしまうのである。
そのことに気づいた金太郎はあえてそれを表に出さずに、その後の桃太郎との相撲や剣術の稽古でも相手にうまく勝たせて桃太郎の気分を納得させていた。
だが熊のダイゴロウには通じず動物の第六感で天才の能力を見抜かれていたようである。
ダイゴロウが何度突進しても金太郎の身体には指一本触れることが出来ずにわずかにバランスが崩れたところを攻められていつの間にか地べたに転がる身体があったからだ。
決して勝つことのできない相手であると悟ったダイゴロウは金太郎を自分の主人として認め服従を誓った。
それを聞いた金太郎は桃太郎にはもちろんのこと他の者にも自分の能力を知らせないことを条件に子分になることを認めたのであった。
月日は流れて金太郎は青年となり、地域の遊び人や荒くれどもを掌握して海道一の親分して君臨していた。
そんな金太郎の元へぶらりと桃太郎がやってきて「実は鬼ヶ島へ渡り、鬼を退治してその宝を手に入れようと思うが、そのための身体づくりにダイゴロウを貸してほしい、それに鬼ヶ島には金銀財宝が呻っているので手伝えば分け前をやるから一緒に来ないか」と打診してきたのである。
金太郎は幼馴染みの桃太郎がやることなので、ダイゴロウを相手に身体を鍛えるのは構わないが自分は今のままで満足しているので宝には興味ないことを伝えた。
それを聞いて桃太郎は、自分の方がいつも上で金太郎は何でも言うことを聞くと思っていたのに反して、そっけない態度をとられたことにプライドが許さず金太郎の胸ぐらを掴んで言い放った。
「いつからそんな生意気な口をきくようになったなだ。着いて来れないというならこの場で俺と勝負してお前が勝てば許してやる、だがお前が負けたら俺の子分として鬼ヶ島に追従してもらうぞ」と勝負を挑んできた。
その横で困った顔をしているダイゴロウを横目にしながら金太郎は「やれやれ仕方がない」と言って立ち上がり桃太郎に引かれて山の中腹にある草原へとやってきた。
鬼のような形相に加えて雷のオーラを放ちながら桃太郎は金太郎に向かって襲いかかってきた。
金太郎の身体を掴んで地べたに叩きつけた桃太郎は、空気のような違和感にその地を見つめたが金太郎の身体はなかった。
振り向けば金太郎はすぐ横で腕組みをしたまま立っていた、いよいよ頭に血の上った桃太郎は振り向きざまに金太郎に掴みかかっていた、だが気づくと桃太郎はもんどりうって逆に地べたに転がっていた。
初めての経験に自我を失った桃太郎は何度となく襲いかかり、そして何度も野原をコロコロと転げまわっていた。
いよいよ力尽きた桃太郎が「なぜ触れることもできないのか」と問うと「お前の拳はハエが止まるほど遅い」と金太郎に言われてしまった。
これまで負ける事がなかった桃太郎は完膚なきまでにたたかれて心折れてしまい、そしてついに桃太郎は金太郎には勝てないことを認めて同行させることは諦めるしかなかった。
せめて鬼を退治するためにダイゴロウを相手に自分を鍛えることは、幼馴染のよしみで金太郎も許してくれたのであった。