6.
「後藤さん、今日はお忙しい所、足を運んでいただいて、どうもありがとうございました。お宅様のような大きい資本に気にかけていただいて、コラボレーションを持ち掛けていただけるなんて、すごい光栄です。でも、まだ勢いに乗れるかどうか、不安なところもありますので、もっと具体的に話がまとまってから、改めてお願いしたいと思います」
「へえ、ずいぶんと臆病なんですね」
と後藤さんが言った。
菅生はヘラヘラしている。
「それじゃあ、町のお洋服やさんって域を出ないと思うけどな」
と後藤さんが菅生に言葉を促す。
「そうなんですよね。小さいんですよ、うちは」
菅生は何なんだろうか? ただ、この場を取り持ったということだけで満足しているのだろうか?
「後藤さんもお忙しいと思いますので、今日はこのあたりで…」
とあたしはこの会の閉幕を切り出した。
「まあ、それがぼくの仕事なんで、商品のの幅を広げていくということですが」
「本当、お忙しいところ、ありがとうございました」
と菅生はていねいにお辞儀をした。
その居酒屋は、入り口で靴を脱いで、下駄箱に入れるという店だった。三人で個室から出口向かう時になって、
「あ、ぼく、ちょっと…」
と菅生がトイレに向かい、下駄箱の所で後藤さんと二人になった。
「あ、黒澤さんは高良高校出身ということですよね。ぼく、高校時代、斎藤さんと付き合っていたんです。確か黒澤さんと同級生だと思いますがご存知でしたか?」
斎藤かおり。高校時代はあたしの一番仲の良いの友人だった、かおりのことだ。
「ええ、たまにお会いしましたよね」
「実は、ぼく、ほとんど記憶にないんです、相良さんのことは」
相良とはあたしの旧姓だ。どうやら、それなりにあたしのことはサーチしているらしい。
「そうでしょうね、あたし、ぼんくらで、かなり地味でダサかったから…」
「あの時、相良さんと付き合っていたら、今どうだっただろう、ってちょっと想像しちゃいましたよ」
後藤さんはちょっとにやけたような表情をした。
「まさか。ぼんくらでかなり地味で、ダサい人と付き合おうなんて、誰も思わないんじゃないかしら」
とあたしも社交で笑いながら、なんか、あたしは後藤さんのまとわりつくような話し方に、ぞぞぞぞっと背筋が寒いような思いになっていた。
「失礼ですけど、あの北村さん? 彼は話の全体像がわかっていらっしゃらないようだから…、もっと詰めてお話しできると思うので…、今後ともおつきあいさせていただければと思います。そちらのオフィスの方で必要なことがありましたら、もっと具体的な形でお手伝いできると思いますし…」
あろうことか、あたしが開けた下駄箱から、この後藤さんがあたしのローファーを手に取り、沓脱に置いた。
「あ。どうもありがとうございます」
こういうことをわざとらしくなくやる、ということがわざとらしい。
「気取らない靴ですね。いいと思いますよ。そんなスタイルが、シルバー・スパイダーの製品には感じられます」
またぞぞっとしたけど、「あ、そうですか、うれしいです」と答えた。
ちっともうれしくなかった。
あろうことか、後藤さんがあたしの肩をはらった。
「あ、ごめん、ごめん。何かついてた」
とにやついている。そこに現れた菅生は、なんだか救世主のように見えた。
「あ、すいません。大丈夫ですか? 靴出しましたか?」
菅生は汗かきながら、後藤さんにへこへこしている。
「北村さん、今日はありがとう。有意義な話ができたわ」
とあたしは菅生に言った。
「あ、アハハハハ」
と菅生が笑った。こいつの計算ナシの笑いがさらにあたしを救った。
後藤さんにはタクシー券を出して、車で帰ってもらった。
「やっぱり、大会社の切れる人って、どこか違いますよね。同じ部長って言っても、違うよな、貫禄が…」
と菅生がとぼけた感想を述べた。
でもそれでいい。
「ほんとね。でも、うちはうちでやろう。改めてそう思えて、今日は本当に有意義だったわ」
「そうですよね。町のお洋服やさんもいいですよね」
と菅生がやけにうんうんとうなずく。
「そうよ。商店街のなんていうの? 人と人とのつながりみたいな? うちはそういうのを大事にしていこうって思えて良かったわ」
「そうですよね」
菅生をクビにするなんてこと、あたしにはできない。菅生には菅生の立ち位置を菅生なりに守ってもらおう。
「あ、そうそう、ぼく、黒澤さんにまだ言ってなくて…、恭介さんには言ったんですけど…。聞いてますか?」
駅に向かって菅生と二人で歩き出したら、菅生がもじもじし始めた。
「え? 何も聞いてないけど…」
「あの、ぼく、来年の春ころ、パパになります」
と言う、その菅生の声だけを聞いた。
「そう。レモンちゃんは、元気?」
「元気です。なんかはりきってて、つわりで苦しいだろうに、いろいろ、よくやってくれるし、ベビー用品揃えようとしてます」
「そう…」
「だから、ぼくもがんばんなくちゃって思ってます」
心のどこかではシラケていた。でもいい、レモンちゃんには幸せになってもらわないと。あたしたちのいざこざに巻き込んだ過去が、ふわ~~っと目の前を通りすぎた。
「じゃ、レモンちゃんによろしくね」
と言って、菅生と別れながら、まったく、恭介のヤツ! とあたしのムラムラが燃え立とうとしていた。前もって言っておいてくれたら、こんなにドギマギしなくてよかったのに! なんで一言言っておいてくれなかったんだよ! そして、たまらなく恭介の顔が見たくなった。