小説未満「キミの居ない世界だって」
思いのままに書いてたお話。
何かが始まってくれそうな予感が、時計の針を進めます。
―ゴメンなさい。生きていくから許して下さい―
例えばキミという存在が消えてしまっても、世界は明日も回り続けるんだろう。
それでも僕の世界は、キミがいないと錆び付いて動かなくなってしまうんだ。色褪せたような日々を惰性でただ生き続ける。そんな廃れ切った生き方しか出来なくなってしまったよ。
「今日もまた嫌なことばかりだったよ」
なんてキミに言ったところで返事なんかは帰ってこない。キミは笑顔のままでそこに佇む。
こんな紙切れに焼き付いたキミの楽しそうな笑顔は、決して僕の心には焼き付いてくれなくて。それどころか、キミの、最期の、あの無菌室での儚げな、哀しそうな微笑みが僕の脳裏に焦げ付いて止まないんだ。あの時キミから堰を切ったように溢れた、重々しい咳の音が、まるでキミという檻から飛び出そうとしている獣の咆哮に聞こえて、僕の鼓膜に突き刺さったままなんだ。
キミとの最期のシーンは「思い出」という名前にして大切にしまっておかなければいけないのに、何故かプロパティが開けなくて。「後悔」という名前から変えられずにデスクトップを飾っている。それは僕の網膜に貼りついて、世界から色を消してしまった。
思い出すと後悔の連続で、最期の最期までキミには謝ってばかりで。キミが行ってしまう時、僕は逃げ出すことも駆け寄ることも出来ないままその場に竦んでしまった。最期の最期すら大切なことを告げられないまま、僕はキミに会う権利を失ってしまった。その事が心の中に棘を作って苛むんだ。
こうして後悔を重ねてもう早二年になる。未だに僕は脚を動かせず、その場に竦んだままだ。前にも後ろにも進むことが出来ていない。いっそこの場から飛び退って、キミの下へいってしまおうかともずっと考えていたけれど、未だにそれは成されていないようだ。
単に僕が臆病症なのもあるのだけれど、僕なりの考えがあってのことでもあるんだ。
後悔ばかりのキミとの関係で、今更だけどキミに後悔しないように生きようとしているんだ。キミとの最後の遣り取りと約束を、せめてそれだけを守ろうと僕は決めたんだ。
キミが守りたかったものを今度は僕が守ろうと思う。今日はそのための新たな一歩目にするつもりだ。
……報告があります。僕はこれからキミの
「あー、お兄さんまた部屋真っ暗にしてる」
……キミの大切な宝物を守ろうと思います。守れなかったものへの懺悔と謝罪、そして、守ってくれたものへの感謝を込めて。
『私が死んじゃったら、私の代わりに妹の事を頼むね』
そんなキミとの約束を僕は抱えていきます。
「お兄さん。そんなところにいたら目悪くなるよ」
「……もう既に悪いから問題ないよ」
「そういう問題じゃないんだけどなぁ……取り敢えず、お姉ちゃんの部屋に荷物置いてくるねー」
彼女は……キミの妹さんは今年で無事19歳になります。これから新しく大学に通うために此方に出てくるそうで、そのための下宿先として、僕の家に住まうことになりました。僕は反対したのですが、キミの気配がするこのアパートが良いらしいのです。部屋はキミの部屋を使ってもらうことにしました。二年前からそのままの状態で時が止まったキミの部屋は、やっと秒針を動かし始めるようです。
同時に僕の止まった針も動いてくれることを祈ります。
「……ねぇ?冬桜ちゃん」
「んー?どうしたのお兄さん」
「君は今幸せ?」
冬桜ちゃんをキミの代わりに幸せに導くのが僕の役目。そのために止まった秒針はやっと動き出します。
「……お姉ちゃんは居なくなっちゃったし、お父さんもお母さんも居ないし、きっと私は普通の幸せは持ってないと思う」
「……うん。そっか」
「でも」
キミのために止めた秒針は、キミの大切なもののために動き出します。
彼女は……冬桜ちゃんは、荷解きをしていた手を止めて、此方を向く。止めた言葉を紡ぐ。
「お姉ちゃんのために私は幸せじゃなきゃいけない。だから、私は幸せだよ」
そう言って彼女は儚げに微笑んだ。それがキミのあの笑顔にそっくりで……僕は思わず目を逸らしかけた。そんな僕に苦笑しながら彼女は続ける。
「それに。私はお姉ちゃんから頼まれたんだ」
「なんて?」
僕が聞き返すと、彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。そして、とても言いづらそうにしながら呟くのだ。
「えっと……『私の代わりにあの人を幸せにしてね』って」
そして彼女は……『思い出』のキミと良く似た顔をして笑うのだった。それはとても鮮やかな笑みだった。久しぶりに世界が色付いていく。
「僕の幸せ……」
「そ。お兄さんが前を向いて歩ける様に、私が支えてあげるね」
そしてその言葉に……僕の中でカチッと音が鳴った。結局僕はキミに救われる。
止まった針が動き出す気配がしていた。
「これから宜しくね、夏樹さん?」
「此方こそ。宜しく、かずさちゃん」
そうして、止まった〝二人〟は、キミを感じて動き出す。
多分キミが居なくたって、世界は明日も回るんだろう。だけど、僕の世界は、彼女の世界は色褪せて動かなくなってしまっていた。
だけどやっと気づいた 。僕と彼女の側には、今もキミがいてくれる事を。
だからキミの消えたこの世界でも、僕と彼女の世界はキチンと回り始めるのです。
有難うございます。またお越しくださいませ。