狩り
現代で日常的に食されている菌糸類、魚類、野菜。これらは元々野生に生育していたものから毒性のないものを選びぬき、安全な食品として我々の食卓に並んでいる。野生には毒性を持ち、食すと腹痛をおこすものから死に至るものまで数多くの生物がいる。昔の人々は見た目からは安全なのか危険なのか分からない生物をいくつかの方法で取捨選択していた。口に含み刺激があるかどうか、または罪人に毒見をさせ安全かどうかを確かめたりと人間が試す方法もあったが、その段階に入る前に他の野生動物。特に人間に食性が近い生き物が食べるかどうかで判断していた。そう父親が言っていたのを思い出していた。
「野草とか茸は怖くて食おうとは思わないしなぁ、木の実とか果物があって色んな種類の動物が食ってる実はないもんか」
廃村の周囲を歩き、上へ下へと視線を動かし食べられる植物は無いかと探す。
「まず違う星の生き物だからっていう不安がかなりあるけど、干し肉とか水のんでも大丈夫だったし、他の生き物食っても問題ないと思いたい所だが。おっ、この苺っぽい実なんかいいんじゃないか」
新居の裏のほうにある家のそばに生えている三センチ位の大きさの蛇苺に
似た見た目の実を見つける。それは一畳程の広さに群生しており、所々小動物が食べた痕跡が見られる。他の家を回ってみると、半数以上の家でこの実が繁殖していた。
「もしかしたらこの実を栽培してたのかもな。た、試しに食ってみるか……んん、ん? うんめぇ!」
恐る恐る赤い実を口に運び、噛まずに下の上で転がすと、種から生えた産毛が舌に触れ独特な触感がするだけで酸味や刺激も感じなかった。一先ず安心としかめていた顔を緩ませ、実を噛み砕いた瞬間に口の中にレモンのサッパリとした酸味にブドウのコクのある甘味が混ざった果汁が口の中を満たした。一番近い味としては某アイスクリーム店でブドウとレモンをダブルで頼んだときの味が近いだろう。その味が果汁として違和感なくジューシーな果肉から溢れ出たのだ。
「今まで食べたどの果物よりも美味いはこれ」
頬がにやけ、まるで宝石でも扱うかのように蛇苺もどきを持つ。
「よし、こいつを栽培しよう。野生で繁殖してるってことはそこまで難しくないだろ。パンがあればこれ使ってジャムを作りたいもんだな」
二株ほど地面から抜き取った蛇苺もどきの栽培を決意し、使用用途に夢を膨らませる。
「蛇苺もどきって呼びにくいし野イチゴでいいや。あとは干し肉が尽きる前に肉が欲しいんだが……」
野イチゴを自宅の中庭に植え終え、一息つきながら今後の食糧事情について思考を巡らせる。主食である干し肉が残り一週間程しかない為、尽きる前に安定して肉を確保する必要があった。
「試しに狩りをやってみるか」
釣りで魚を手に入れるという比較的安易な方法もあったが、あえて狩りという難易度の高いもの挑む事にした。自然豊かな森で沢山の野生動物がいる為そこまで苦労しないだろうという考えがあった為である。そして第一に今朝から体に違和感があり、それが徐々に強くなっていた。これを確かめる意味合いも含めての狩りの決行である。
「その前にまず体力測定だな」
狩りを行う前に鈍っているであろう自身の身体能力の確認をしておきたい。そう思い、シャツを脱ぎジーパンの裾を捲り、Tシャツに七分丈のジーパンという動きやすい恰好になって、軽い柔軟運動をする事により体力を測定する準備を行う。
「こんなもんでいいか、まずは短距離走。森の中で足場は悪いがまあ問題はないだろう」
廃村の中にある大通りだったであろう100m程度の長さがある道を選ぶ。ここは、他の場所よりはいくらか森の侵入が少ない場所で、数本の木と雑草が生えている程度なためだ。
「よーい、どん!」
クラウチングポーズをし、自身の掛け声を合図に走り出す。
いくら開けているとはいえ小石や雑草、木の根などが多く短距離走には不向きな悪路にも関わらず、風を切るように全速力で走る。途中何度か成長した木々が前方を遮るがこれも流れるように避け、おおよそ100mを走りきる。
「ふぅ、ごーるっと」
砂利と小石を巻き上げ急停止する。全力で走ったにも関わらず。息を切らす事なく予め決めておいたゴール地点にたどり着く。
「大体8秒……はは、金メダルゲットだぜ」
結果は正確な数字ではないがおおよそ8秒、少なく見積もっても9秒というものだった。身体が鈍っている所か、森の中で障害物走のような悪路でギネス記録を塗り替えるタイムをたたき出したが、その表情は様々な感情が混じった複雑なものだった。
「次」
その後に反復横跳び、走り幅跳び、20mシャトルランと簡単に出来るも
のを挑戦した。結果は反復横跳び1分間に約百五十回、走り幅跳び約9m、シャトルランもタイマーが無いので適当にやっていたので回数が百回を超えたあたりで分からなくなってしまったが、限界は1往復3秒弱という結果に
なった。
「時速40キロ半ばの速度で体力は中々切れないって事か、とんだ化けもんだな。昨日の夜も普通に疲れて寝てたし俺の身体に変化があったとしたら今朝か。だとしたら原因は……」
二匹の化け物が木々をふっとばしながら戦う光景を思い出し、胸のあたりが熱を持つのを感じる。
あれから村に戻り、掃除をしてる頃は気づかなかったが、重い水瓶を持ち上げた頃から違和感を感じ始めた。水が一杯になった水瓶を持ち上げ、移動するなど普段の自分なら不可能な事だったからだ。あの時は気分がたかぶっていたので気づかなかったが、落ち着いた今ならあれが異常な事だとよくわかる。
「自分の身体じゃないみたいで若干気持ち悪いが……ここで生きていくのを考えると有りがたい事。そう思っといたほうがいいな」
動いた事で汗ばみ、火照った肌を冷たい井戸水で湿らせた布で拭く。
「にしてもこの世界の人間は皆こんな身体能力してんのか? そうだったら化け物揃いだな。まぁでもこんくらい強くないと生き残れないのかもな」
あの二匹の化け物だけでなく、空を飛んでいた巨大な爬虫類――地球では空想上の生き物で最も有名な竜に似ていたためドラゴン、竜、龍と呼ぶのがいいか。――のような生き物もいた。他にも今の地球にはいない化け物がうじゃうじゃいるんだろう。
少なくともあれだけ化け物がいるこの星で、森のど真ん中に村を作れる。この事実は人類がこの星の弱肉強食の節理の中でも上位に食い込んでいる事を明確に表していた。こう思い、あの戦闘を見たからかはまだ分からないが、何かが切っ掛けで自分がこの世界に適応した。一先ずそう結論づける事にした。
「だけどまぁ。こんだけ動けるなら狩りも余裕だろ」
気楽な面持ちでそう言い、狩りに向けて支度をするため家の中に入ってゆく。
息を潜め、指を湿らせ風向きを確認する。自分が獲物に対し風下にいる事を確認し、手にもった1m程の長さの――木の棒の先に先の尖がった石を付けたもの――槍を握りしめる。獲物は警戒心なく草を食みながら自分との距離を縮めていく。一歩近づく度に緊張が高まり心音の高まりと主に槍を握る手に力が増していく。あと一歩で3m程の距離。もう一歩、あともう一歩だけ近づいてこい。そう心の中で懇願する。その願いを聞き入れたかのように獲物がもう一歩足を踏み出す。その動作がやけにゆっくりと感じられた。視覚だけがスローモーションになり、思考と心音が来い、来い、と囃し立てる。獲物の足が地に着き、射程圏内に入ったと同時に待っていたといわんばかりに草陰から立ち上がり、手に力を込め振りかぶる。その瞬間『バキッ』という音とともに、まだ角が生えきっていない小鹿に木の棒が軽い音を立てぶつかる。
驚いた小鹿と広葉樹のような複雑な形をした角が特徴的な鹿の群れが嘶きと共に走り去っていく。
「ああっ! くっそ!」
狩りを初めて2、3時間。鹿、猪、兎、猿、鳥といった多くの獲物を見つけたが、悉く失敗した。息を切らして苔むした地面に体を投げ出し、先ほどまで見えていた余裕の表情はそこにはなかった。
「よくよく考えたら上手くいくわけないわな……」
一番近づけ、なおかつチャンスがあったのはこの小鹿だけであり、他の動物は近づく事さえ出来なかったり、遠くから槍を投げたとしても当たる前に避けられたり、逆にこちらが攻撃され逃げるはめになったりと散々な結果であった。
いくら身体能力が向上したとはいえ、狩りなど生まれて初めて。全くの素人である。父親がサバイバルの知識を最低限教えてくれていたとは言え、本格的な狩りの知識は皆無。漫画などで指を湿らし風向きを読んで風上に回らないようにするなどといった付け焼刃以前の知識を参考にして上手くいく事など殆どなく。そしてなによりも程度の差はあれ、他の生物全ての身体能力も地球と比べて向上しているという事実があった。
「しっかし、狩りが下手なのは仕方ないとしてこれはなぁ……」
狩りが上手く行かない理由として自身の経験不足もあるが、最も大きな原因として挙がるのが自身の握力である。背中のリュックサックをおろし、中身をみると真ん中でへし折れた即席の石槍が数本入っていた。獲物に集中する事により緊張と興奮により自然と手に力が入ってしまい、その握力で折ってしまったのだ。超人的な身体能力を手に入れたが、それを上手く扱うことが出来ない。折れた槍はそのことを表していた。今回の狩りの失敗の原因の八割は投げようとした槍が自身の握力により折れてしまった事だった。
「こればっかりは慣れるしかないなぁ。そろそろ暗くなってきたし、今日はここまでにしよう」
木々の葉が日の光を遮る為昼間でも若干薄暗いのが、太陽が傾き夕方に差し掛かると森全体が暗くなり不気味な様相を醸し始める。雰囲気が怖いだけなら問題はないのだが、夜の森は夜行性の肉食動物である狼や蛇などの危険な生き物が活発になる。実際、廃村で夕食の支度をしていると遠くから狼らしき遠吠えや小動物の断末魔が響いてくる事がままあった。その為、完全に暗くなる前に比較的安全が確保されている家に帰る必要があった。
「よし、急ごう」
次来たときに迷わないように木に目印をつける。帰りは来るときにつけた目印を辿ればよいので迷う事無く帰る事ができる。
結局今回の狩りの獲物はゼロであった。しかし、感覚を研ぎ澄まし集中する事によって自身の身体の調子を知ることが出来たので時間と体力を無駄にしたという感覚はなく。むしろ元々の目的が果たせてよかったという感想を抱き、これからのこの星での生活に胸を膨らませながら帰路につく。