第48話 高峰の過去
「失礼します」
智は刑事課に入った。本当は、許可なしで勝手に扉を開けるのは良くないことだと思っている。だが、怒りに震えている智の体が言うことを聞かなかった。
「野々神さん、どうしたんですか!」
すぐに田崎が駆けつけてくれた。その瞬間、安心感に包まれ、その場にしゃがみ込んだ。
「野々神さん、大丈夫ですか」
智はそれに答えることは出来ず、田崎さんに紙切れを渡した。
内容を読んだのか、田崎は立ち上がり、急いで瀬良の元へ向かって行った。
「どういうことだ!」
瀬良は声を上げた。
田崎は、また智の元へ帰ってきた。
「大丈夫ですか、立てれます?」
智の腕を掴み、体を起こした。
「すみません。ありがとうございます」
智はソファーに座った。
「智くん、これは部屋に置いてあったのかい?」
瀬良は、向かいのソファーに腰を掛けた。
「はい。テーブルの上に」
「智くんの家は何処?」
瀬良は、間を置くことなく質問する。
「ここから10分くらい歩くと、10階建てのマンションがあります」
「そこか?」
智は頷いた。瀬良は、道を頭の中で描いているのか、少し唸ってから口を開いた。
「調べに行った方が良さそうだな」
そう言って、瀬良は田崎の元へ行き、何かを伝え、智の元に戻ってきた。
「田崎に調べに行ってもらうよ。犯人が何か見落としていた証拠があるかもしれないからな」
「すみません。お時間取らせてしまって」
「智くんは悪くないよ。こちらこそごめんな。疾登くんと花輪ちゃんを守れなくて」
智には、その言葉が“殺される”と言っている様に聞こえて、怖くなった。
――父さんと母さんの様に、疾登と花輪も殺されてしまったら・・・
そう考えるだけで眩暈がした。
「大丈夫かい、智くん」
智は小刻みに頷いた。
「今日は此処に泊まりなさい。その方がいいだろう」
瀬良は優しくそう言ってくれた。智は、少し躊躇いながらも、お言葉に甘えることにした。
「いや、それにしてもこんな事になるとは思わなかった・・・」
瀬良は俯き、ため息を吐いた。
「本当に、犯人が憎いです。僕は最初から明石工場に行くつもりだったのに」
智は唇を噛みしめた。
「あと4日の辛抱だ。こっちも、準備は進んでいる」
慰めるように言った後、穏やかに笑った。
「すみません。何から何まで」
智は、感謝の意味も込めて頭を下げた。
「いやいや、全然いいんだよ」
そう言った後、瀬良は立ち上がり、刑事課の1番奥の隅の方にある部屋を指さした。
「あそこなら、落ち着いて寝ることが出来るかな。まあ、事件の情報が詰まったファイルを保管するところなんだがな」
「ありがとうございます。本当にいいんですか?」
立ち上がって、もう1度確認した。
「構わんよ。居心地悪かったら言いに来なさい」
「そんな。泊めてもらうだけでも迷惑なのに、僕には苦情を言う権利はありませんよ」
その後、頬を緩めた。
「智くんはいい子だね」
瀬良は、先ほど言った部屋に智を入れた。
「何かあったら遠慮せずに呼んでいいからな」
智ははい、と返し、扉を閉めた。
部屋は思っていたより広かった。5段ある棚が30個あり、全ての棚にファイルが収納されていた。
ファイルの内容に興味が湧き、あるファイルを手に取った。そこには、今から4年前2006年の事件の情報がぎっしり詰まっていた。新聞に大きく載った事件や、ニュースや新聞にも取り上げられていない事件もあった。
それを元の位置に戻し、ふと思う事があった。
――勝手に事件の情報が詰まったファイルを見ていいのか?
「いけないのは分かってるけど・・・少しくらいいいよな」
そう呟いて、もう1つ奥の棚に目をやった。6年前の2005年のファイルがあった。奥に行くにつれて、古くなっていくようだ。
もう1つ奥にも棚があった。そこで、田崎の言葉が頭に浮かんだ。
――お蔵入りでも5年前までの書類なら置いてあります。今が2012年、事件が起きたのが2004年なので、もう処分されてますね――
このまま行くと、この奥は2004年のファイルになるはずだ。それを確認するために、1つファイルを手に取り、中を確認してみた。
予想通りだった。此処には、2004年の事件の情報が詰まったファイルが収納されている。ということは、田崎は智に嘘をついたという事か。それとも、ただこの事を忘れていたのか。でも、此処には何回も出入りしてるはずだ。忘れる事は無いだろう。
「おかしいな・・・」
智は首を傾げ、例の書類があるか調べてみた。あれは確か、5月に起こった事件だったな。
「あった」
5月に起こった数々の事件の中から、1つだけ他より分厚いファイルを手に取った。表紙には、こう書かれてあった。
《大阪連続殺人事件》
探し求めていたものと確信し、中を見た。
『5月18日午前3時、大阪府大阪市西淀川区の海で遺体が見つかった。第1発見者は漁師。遺体計3体。遺体はコンクリートがついたロープを腰につけていた。
被害者は仲野侑奈、川野留美、佐山隆太。3人とも25歳』
ここまでは新聞記事と同じだった。だが、ここには続きがあった。
『仲野侑奈。25歳。独身。大阪出身。職業は美容師。職場では、天真爛漫でお客さんにも評判がよく、何事にも真面目に取り組んでいた。仲野の親友、片山加奈によると、事件が起こる3日前に突然、悩みを聞いてほしいと言って家に来たと言う。内容は、最近、毎日赤い封筒が郵便受けに入っている。封筒を開けると、ワープロで復讐と書かれている。気味が悪いので、しばらく家に泊めてほしい、というものだった。片山は了承し、仲野を家に泊めた。だが、その3日後、仲野が買い物をしてくると言ったきり、帰ってこなくなったという。恐らく、仲野が出かけている間に犯人に襲われたと推測している』
仲野侑奈の情報はここまでだった。
『川野留美。25歳。独身。大阪出身。職業は高校教師。数学科担当。学校では、真面目な先生と評判だ。授業も分かりやすく、多くの先生、生徒から支持を受けていた。川野の親友、小笠原菜月美によると、事件が起こる2日前に電話がかかって来たと言う。内容は仲野と同様に、毎日赤い封筒が家に届くというものだった。封筒の中身も一緒で、ワープロで復讐と書かれていたらしい。川野は、あまり気にしない方がいいよ、と答え、会話を切った。それから、川野の事が心配になり、事件が起きた日、電話をするとすぐに通話を切られたという。恐らく、犯人が無理やり通話を切ったと思われる』
続きに、佐山隆太の情報も入っていた。
『佐山隆太。25歳。独身。大阪出身。職業は保育士。5歳児を担当。職場では、たった1人の男性保育士として、様々な仕事をこなしていた。園児に大人気で、先生ともっと遊びたいと帰らない子もいるという。保護者からも支持が高かった。佐山の親友、尾形和晃によると、仲野、川野と同様、赤い封筒が毎日届いており、中身も復讐とワープロで書かれたものが入っている、と相談を受けたようだ。尾形は、俺の家に来るか、と言ったが、迷惑かけるからと断ったそうだ。その後、全然連絡が取れなくなったという。佐山が務めている保育所にも、事件が起こる前日から、何も連絡なしに来なくなったという。佐山は、仲野、川野より早く犯人に監禁されていたものだと推測している』
それらを読み終えた後、突然部屋に誰かが入ってきた。
智は持っていたファイルを背後に隠し、部屋の隅に身を潜めた。
部屋に入ってきたのは40代前半と思われる男性だった。男性は、2010年のファイルを持って部屋を出て行った。こちらには気づいていない様だった。
「危なかったな」
大きく息を吐き、また続きを見た。
その後の内容は、被害者3人の人間関係、職場の地図、事情聴取での情報などがぎっしりと綴じられていた。
それらをとばし、犯人の顔写真があった。しかし、それは高峰ではなく、60代後半ほどで、銀縁メガネを掛けており、少し太っている男性だった。しかし、ページをめくっていくと、その男ではないことが判明したのか、段々と情報が減っていった。そして、高峰の顔写真が張り付けられていた。
『高峰尚子。25歳。独身。大阪出身。職業はアルバイト。父、母共に事故で亡くなり、20歳から1人暮らしをしている。親がいないため、友達に金を借りていたが、返すことが出来ず、親友にも縁を切られ、バイトのお金で生活している。朝は弁当屋の仕事、夜はコンビニと、睡眠時間が4時間という生活を送っている』
この高峰の情報を読んで、胸が苦しくなった。親が事故で亡くなり、友達にも縁を切られ、1人で孤独に暮らしている高峰が哀れに思えた。親がいないという事に、少しばかり同情した。それと同時に、自分と同じ苦しみを味わってきた人は、他にもたくさんいるんだなと思った。
高峰に比べれば、智はまだ裕福な家庭だった。いろいろな人たちに支えられ、何とか生活できているし、疾登、花輪もいる。高峰の様に、1人ではないのだ。
「高峰に、こんな過去があったんだな」
その後も、被害者と同じように、高峰の人間関係、職場での評判、などの情報がたくさんあった。ただ、高峰の他者との関わりが異常に少ない事に、智はまた胸を苦しめた。
それから、パラパラとめくっていたが、特に有力な情報は無かった。1つ言えることは、捜査にあたった警察官の中に、佐名木さんが入っていたという事だ。
そして、最後の2ページには、高峰が捕まったという内容が載せてあった。
『6月30日午後7時32分。黒田浩太という男性から高峰を見つけた、という情報が入り、ネットカフェで発見した。高峰はその場で逮捕。被害者の同級生であることが判明し、被害者との何らかの関係があるとして調べている』
その下には、ネットカフェの場所が記されている地図が張り付けてあった。次のページをめくると、上半分は文字がずらりと並んでいた。智はそれらの文を全て読むことにした。
『高峰は、被害者、仲野侑奈、川野留美、佐山雄太と高校時代の同級生であり、3年間同じクラスであったことが判明した。高峰は、被害者3人からいじめを受けていた。初めは悪口を言ったり、いたずらをするだけだったが、次第にエスカレートしていき、狭い部屋に1週間監禁されたり、刃物で手首を切られたりなどをしていた。高峰は、自殺を何度も試みたが、全て失敗に終わり、最終的には、被害者3人に復讐をするという結論に達した。高峰1人で殺人計画を立て、実行した。
仲野は、買い物帰りを刃物で脅し、大阪の海岸近くの小屋に監禁させた。川野は、1人で夜道を歩いている所に、仲野と同様、刃物で脅し、小屋に監禁。佐山は、いじめのリーダーであったため、仲野、川野の監禁2日前から実行していた。
高峰は殺人容疑で懲役10年以上の判定を下した』
智は、この文を読んで目を閉じた。
――高校時代、いじめられていて復讐したくなるのはよくわかる。だが、もう終わった事だ。過去の事なんか捨てて、今の自分を磨き続ければいい――
こう言いたい気持ちもあるが、智には言えない。実際、自分も両親を殺された過去を、胸の奥底に抱えて生きている。他人の事に口出しする立場ではない。智は高峰に対して、複雑な感情を抱えたまま、ファイルを元の位置に戻し、傍にあった智の身長程度のソファーに寝転がった。
「苦しかっただろうな・・・俺らと似てるよ」
智はそう呟いて、瞼を閉じた。
今回はちょっと文字数が多くなってしまいました。
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