第34話 狂い
《では、皆さんの縄を解きます》
同じく、黒スーツの男が出てきて、花輪の縄を解いた。
花輪は、結衣に目を向けた。結衣の周りには血の海になっていた。花輪は耐えられなくなって、また顔を伏せた。
「皆さん、お疲れ様でした」
アナウンスから、高峰の声が聞こえた。もちろん、誰も反応しない。
「それでは、皆さん部屋に戻ってもいいですよ」
「ちょっと待ってください」
花輪は、高峰を止めた。1つ、気になることがあったからだ。
「何です?」
「さっきのアナウンスの女性は誰だったんですか?」
花輪は恐る恐る聞いた。
「あ、ああ。あれですか。あれは、私が雇ったんです」
妙に、高峰は落ち着きがなかった。所々、声が裏返っていた。花輪は、それが気になったが、今は聞かないことにした。
「そうですか」
「で、では、次の指示が出るまで部屋で待機しておいてください」
そう言ってアナウンスは切れた。
花輪は、加奈に目を向けた。
「ねえ、野々神さん」
加奈は俯いたまま声を出した。
「は、はい」
急に自分の名前を呼ばれたので、少し動揺した。
「私、殺人犯になるのよね」
花輪は、はっきり答えていいのか分からず、ただ、黙っていた。すると、また加奈が呟いた。
「私、人殺しちゃった・・・。自分の意志で殺ったんじゃないのに」
加奈は泣き出してしまった。花輪は、加奈の目線までしゃがんだ。
「はっきり言って、貴方は殺人犯になるでしょう」
花輪は勇気を出して言った。
「でも、貴方は高峰に脅された」
加奈は小さく頷く。
「だから、貴方はパニックになって引き金を引いてしまった・・・」
加奈は再び頷いた。
「恐らく、貴方は捕まると思います。でも、大丈夫です。ちゃんと事情を説明すれば、警察もそれなりの対
応をしてくれますよ。高峰も捕まります」
加奈はゆっくり顔を上げた。花輪は優しく笑った。
「ありがとう。何か、話したら気が楽になった」
花輪は、ちょっと照れた。
「そ、そうですか。良かったです。こんな私でもお役に立てて」
加奈は立ち上がった。
「じゃあ、戻りましょうか」
「はい」
加奈が、ドアを手前に引いた。すると、そこには衣服がボロボロの飛香が立っていた。恐らく、電気ショックで衣服が焦げてしまったのだろう。
「良かった。無事だったんですね」
花輪は飛香に声をかけた。
「野々神さんは黙ってて」
「え?」
呆然とした。
「用があるのは貴方じゃない。用があるのはこいつ。吉岡加奈よ」
今までの飛香とは別人の様に思えた。
「さっきの事は謝ります。だから――」
飛香は、加奈の言葉を遮った。
「何なの?自分だけ楽になって。こんなの不公平だよ」
すると、飛香のポケットから鋭く光を放つものが見えた。
「ちょ、ちょっと待ってよ・・・」
加奈は後ずさる。
「貴方への復讐。佐藤さんまで殺しておいて、よくそこまで平気でいられるわね」
飛香は、狂ったように加奈に刃物を向けた。
「ま、待って!あれは事故なの!私の意思じゃない!」
加奈は叫びながらゆっくり後ずさる。
「そんな言い訳通じないわよ。殺したことには変わりないんだから」
飛香は不気味に笑う。
花輪は、止めに入ろうとするが、なかなか1歩が踏み出せない。
「何で信じてくれないの・・・」
その時、加奈の背が壁に当たった。もう、後は引けない状態だ。
「残念。これで終わりね」
そこで、やっと花輪の金縛りが解けた。花輪はすぐさま飛香の腕を強く握った。
「ちょっと!何するの!」
「落ち着いてください!だいたい、こんなことして何が解決するんですか?」
その言葉で、飛香の動きが一瞬止まった。
「そ、そんなの、意味なんてないわよ!」
飛香はまた暴れ出す。
「だったら、もう止めましょう。吉岡さんを殺してしまったら、罪を被るのは貴方ですよ」
花輪は、あくまで冷静に言った。
「もう、黙っててよ!」
飛香は花輪の手を力ずくで振り払った。飛香の手にはまだ刃物が握られている。
「頭にきた。野々神さん、貴方しつこいわね」
嫌な予感が過る。
「野々神花輪さん。覚悟しなさい!」
その直後、飛香は花輪に突進してきた。
「え、ちょ、待って!」
花輪は反射的に避けることができた。
「あら、筋がいいのね」
そう言うと、また花輪に突進してきた。
花輪は、この狭い部屋だと逃げ切ることが出来ない、と思い部屋を出た。
「面倒だな」
飛香は小さく舌打ちをして、花輪を追った。
部屋に1人残された加奈は薄ら笑いを浮かべた。
「野々神さん、馬鹿だなぁ。あたしなんかにかばって自分が標的になるなんて」
加奈は狂ったように笑った。
「どうしよう・・・どうしよう」
花輪は昔、足が早い方だったが、今はかなり体力が落ちてしまっている。こんなんで、逃げ切れるだろうか。
飛香はまだ体力はありそうだ。さほど息は切れていない。
――何処へ逃げよう・・・
走りながらずっと考えていたが、やはり『あそこ』しか思い浮かばない。
いや、そこへ逃げると、迷惑を掛けてしまう。だが、もう体力も無い。花輪の呼吸が段々荒くなる。
「あら、野々神さん、もう限界ですか?」
花輪とは対照的に、余裕の表情を見せる飛香。
――もう、無理かも・・・
そう思った花輪は、くるりと向きを変え、角を左に曲がった。
――確か、この突き当りだったはず!
花輪の予想は当たっていた。花輪は容赦なくポケットから303号室のカギを出して、部屋に入った。花輪の考えていた場所は、智と疾登がいる部屋だったのだ。
「おお!花輪!!無事だったのか!!良かった・・・」
「花輪!お帰り!ずっと待ってたんだ!!」
「2人とも!!今はそんな場合じゃないの!私、狙われてるの!!」
「へ?」
智と疾登は声を合わせた。
「ねえ、どうしよう・・・」
「お、落ち着け花輪。何があった」
ドアはドンドンと強く叩かれている。
「あのね、吉岡っていう人がいるんだけど、その人が今ドアを叩いている柚野さんに刃物で狙われてたの。それで、止めに入ったら、私がターゲットになったってわけ!」
パニックに陥っているせいか、説明が雑だ。
「野々神さん。早く出てきてくださいよ」
飛香は舐めまわす様に言う。
「花輪。あんなの放っておいた方がいい。こんな大きな音だったら、周りが気付いてくれるだろ」
智は冷静に言った。
「そ、そうだね」
それから、部屋で助けが来るのを待っていると、外から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あら、柚野さん。どうしたんですか。そんなに興奮して。周りの迷惑ですよ」
高峰の声だった。
「高峰・・・」
飛香はその声を聞いて、ドアを叩く手を止めた。
「貴方、とうとう悪魔になってしまったのですね。いつもの自分を押し殺して、裏の姿を現した」
高峰の足音が近ずいている。恐らく、飛香との距離を縮めているのだろう。
「悪魔にしたのは誰よ。私は悪くない。すべて貴方が悪いの!」
「・・・そうですか。では、こうすれば、貴方も楽になれますよね」
バンッ!!
その後、何かが倒れた音がした。
「全て、貴方が悪いのよ」
高峰はそう言ってその場を去った。
「な、なあ、兄貴」
疾登の声が震えている。
「な、何だ?」
「今、高峰、撃ったよな」
智は頭を上下に動かした。
「もう、嫌・・・」
花輪はその場に倒れ込んだ。
智と疾登は花輪に駆け寄った。
「大丈夫か?」
花輪は、無言で小さく頷いた。
「ちょっと、休んだ方がいいよ」
疾登は、花輪を横に寝かせた。
「ごめん。ありがとう」
花輪はゆっくり瞼を閉じた。
「花輪、かなり疲労が溜まってるな」
智は花輪を見ながら呟いた。
「うん。体に問題なかったらいいんだけど・・・」
それから、しばらくの沈黙があった。
「兄貴」
この空気で最初に口を開いたのは疾登だった。
「何?」
「花輪が言ってた柚野っていう人、まだドアの前に倒れてるのかな」
智もそう思っていたが、見るに若干の勇気が必要だったので、見ようとしていなかったのだ。
「・・・外、見てみるか?」
疾登は少し躊躇ったが、頷いた。
「兄貴が開けろよ」
ドアの前に立って、疾登が言った。
「わ、分かってるよ」
智はゆっくりドアを開けた。
「あれ?」
智は目の前に映っている光景を見て、首を傾げた。
「どうした?」
疾登が横から聞いてきた。
「ちょっと、見てみろよ」
智は疾登が見えるようにドアを全開にした。
「え・・・どういう事だよ」
そこには、柚野がいない。それだけでは、どこかへ運ばれたのだろうと予測がつくが、銃で撃たれたのならば、血の跡がどこかにあるはずなのだが、見渡しても血の痕跡がない。
「え、柚野さんって打たれてないのか?」
疾登が外に出て周りを見渡している。
「いや、でも、銃声は聞こえたし、倒れた音もしたし・・・」
「うーん。まあ、気にすることないか」
疾登は背伸びした。
「雑だなぁ」
智はこんな疾登に呆れた。
「っていうか、もうこれでツアー終了になるよな?」
疾登は少し期待を込めて言った。
「多分な。俺も、もうこりごりだよ」
「よっしゃ~!」
疾登はガッツポーズした。
「シッ!花輪が起きるだろ」
智は口の前で人さし指を立てた。
「あ、ごめん。なあ、今何時?」
智は腕時計を見た。
「10時前だ。なんか、今日は時間が経つのが遅かったな」
「うん」
そこに、アナウンスが入った。高峰の声だった。
「皆さん。今日はお疲れ様でした。ツアーはこれで終了と致します。これより、消灯の時間と致します。お風呂はいつ入っても結構です。携帯は明日皆さんにお返しします。明日は、7時に食堂集合でお願いします。それでは。」
アナウンスはそこで終わった。
「兄貴」
「ああ。やっと終わったな!」
智と疾登はハイタッチした。
「あ~疲れた。風呂入ろっかな~」
「そうだな」
寝ているところ悪いが、花輪を起こした。
「ごめんな。花輪」
「ううん。それより、明日も続くの?」
花輪が泣きそうな目で智を見つめる。
智は優しく微笑んだ。
「もう終わったよ」
その瞬間、花輪の顔に笑顔が戻った。
「良かった。家に帰れるんだよね」
智はゆっくり頷いた。
「やっと終わった。もう疲れたよ」
「花輪、風呂入ってから寝る?」
「うん」
花輪は立ち上がった。
「よし、じゃあ、また後で。なるべく早めに部屋に帰ってくるんだぞ。心配なんだから」
智は念を押した。
「分かった」
「じゃあ、疾登行くか」
「おう」
そこで花輪と分かれて、疾登と一緒に風呂場へ向かった。
次の話で、ツアーは終了になると思います(多分)。