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過去の英雄  作者: 由城 要
One hero's story
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第2章 2


 人は自分の手の大きさの分しか、誰かを幸せにすることは出来ない。私はそれをよく知っている。だから、それ以上の幸せを、今以上の夢物語を口にする人は嫌い。だから……英雄だなんて呼ばれるあの人のことも、私は決して好きだとは言わない。





  - 夢のひととき -






 酒場と聞いてやってきたのは、ダウンタウンの中核に近い通りの店だった。俺たち旅人にとって酒場と言うと、ごろつき野郎共がひしめきあって酒を酌み交わし、時折喧嘩も起るような、そんな所だ。しかしアンジェとかいうこの女に案内された酒場は、バーカウンターが入り口の脇に設置され、隅には楽器と小さなステージが存在するような、そんな洒落た造りの店だった。

 まだ開店時間には早いのか、アンジェは鍵を開けて扉を開けると、店のバーカウンターにのみ明かりを灯す。俺は慣れない雰囲気に辺りを見回した。


「随分洒落たところだな……いいのか?」

「いいのいいの。私の名前を言えば、一度くらいならタダにしてくれるわ」


 ここの主人は良い人だから、とアンジェは赤い髪を耳にかけて笑った。バーカウンターの向こう側に回ると、慣れた様子でグラスを取り出す。俺はメニュー表を見つめながら感心した。帝国時代なだけあって、酒の量も豊富だ。見たことのないメニューが殆どと言ってもいい。

 アンジェはグラスに氷を入れながら俺を見た。


「……何にする?」

「まかせる。……それより、お前はここで店員でもしてるのか?」


 俺の言葉にアンジェは曖昧に笑って肩をすくませた。壁際に並べられたビンを見つめながら、その中の一つを手に取る。


「まぁ……そんなところ。おかげでさっきみたいに男の人に目を付けられて大変なの」


 自慢でもなく、さらりとアンジェはそう言ってみせた。たしかに、それは分からないでもない。赤い髪は派手に見えるが、顔つきは少々童顔で、それでいて大きな瞳は憂いをおびているように見える。端から見ればミステリアスな女、といったところだろう。男はこうゆう女に弱い。

 さらさらと流れる髪が目の前で踊る。酒が入って現実が分からなくなったところに、こんな女が現れれば錯覚する奴もいるかもな、と俺は心の中で呟いた。

 酒の入ったグラスをかき混ぜ、アンジェは俺の前にそれを差し出した。


「はい、どうぞ」

「ああ……悪いな」


 グラスの中身は微かに白濁していて、口にすると冷感と共に喉を焦がすあの感覚がやってきた。ここんところ、サーシャに目を付けられていてロクに飲みに行くことが出来なかったせいか、やけに酒がウマい。

 アンジェは開店準備を始めながら、グラスの一つ一つをセットしはじめる。


「そういえば、仲間の人を捜すんじゃなかったの?」

「あー……ま、いいだろ、後からでも。大体、一人で酒を飲んでるところを見られたらどうなるか……」

「ふふっ、でも噂をすれば……って、よく言うじゃない?」


 アンジェの言葉に、俺は顔を顰めた。嫌な話だ。そんな話をしていると何処からかサーシャが現れそうな予感がする。もしあの化け物女に見つかれば、今度こそ飲酒禁止を言い渡されかねない。


「止めろよ、そんなこと言うと本当に……っ!?」


 ふと、入り口のベルがけたたましい音をたてた。俺はビクッと肩を震わせて入り口を見る。言ってるそばからあの女の登場かと思ったのだが……俺より先に顔を顰めたのはアンジェのようだった。

 入り口の扉を開けたのは、軍服のような服を着た男だった。紺は帝国軍の軍服の色なのだろうか、街の方でも何人か見かけた気がする。アンジェは男の顔を見ると、大きなため息をついてグラスを置いた。


「何?ロバート」


 なんだ、知り合いか。俺はアンジェを振り返る。アンジェはカウンター越しに男を睨みつける。男の方は俺より幾つか年上に見えた。色は白く、茶髪に碧眼をしている。身長は俺とそれほど変わりはない。切れ長の瞳が印象的な男だ。

 剣呑な雰囲気で迎えられた男は、同じように眉を顰めた。


「……お前の『お姉様』の使いだ。旅人をここに案内するように、と」


 入れ、と男が外に向かって言うと、後ろから見覚えのある声が聞こえてきた。


「……ああ、ありがとうございます」

「げっ」


 酒を口にしながら見ると、男の後ろからサーシャが顔を出した。更にその後ろからは半泣きになったクリフが飛び出してくる。


「ふっ、ふ、ふ……フレイさあぁん!!フレイざんもいだんでずねーっ!!」


 カウンターに座った俺に突撃してきたクリフに、俺は渾身の蹴りを放った。抱きつくな、うっとうしいっ。

 サーシャはまだ開店前の店内と、俺とアンジェを見て大体の事情は察したようだった。アンジェに軽く会釈をすると、僅かに口端を上げて笑う。


「お騒がせして申し訳ありません。……私は、フレイさんと一緒に旅をしている者です。こちらは、クリフ・パレスン」

「あっ……あ、こ、こんにちは……」


 立ち上がったクリフが初めてアンジェの存在に気づいたように、慌てて頭を下げた。俺は近づいてきたサーシャを振り返って、アンジェに言う。


「……ああ、さっき話してたが、コイツは……っ?」


 サーシャを紹介してやろうとした瞬間、背中に小さくて固い筒状のものが押し付けられた。ローブの下から周りに気づかれないように構えられたそれは、クロノスだ。クリフが驚いた表情でサーシャを見る。

 サーシャは俺とクリフの反応を確認すると、ニッコリと笑った。


「……アナスタシア、と申します。彼らは時折アナーシャと呼びますが」


 えっ、と声を上げそうになるクリフの背中に、今度はカイロスが押し付けられる。咄嗟にクリフは凍り付いた。喋るなという意味か。一体なんのつもりだ。


「アナーシャ?……不思議な略称ね」


 話を合わせろと言わんばかりに、俺たちに突きつけられた銃が小突いてくる。クリフは困ったように目を泳がせながら、そうですねー、と棒読みで言い始めた。演技力の欠片もない奴だ。

 俺は横目でサーシャを見た。何が何だかよく分からないが、コイツが話を合わせろと言うなら仕方ない。


「ああ。……それより『アナーシャ』。そこのお偉い様が帰るタイミングを失ってるぜ?」


 スッと、クロノスとカイロスが離れた。緊張していたクリフはやっと息が出来るようになったらしく、大きくため息をついてカウンターの椅子に倒れ込む。驚いたアンジェが慌ててクリフの顔を覗き込んだ。

 サーシャは俺たちから離れると、機嫌の頗る悪そうな軍人に歩み寄る。


「案内、ありがとうございました。『サーシャ』様にも、そうお伝え下さい」

「ふん……」


 ロバートと呼ばれた軍人は、サーシャから視線を外すと、チラとアンジェを見て、そして酒場から出ていった。俺は首を傾げる。『サーシャ様』?姉の使い?どうゆうことだ。

 サーシャはそれを見送ると、俺たちに向き直る。力つきたクリフの隣に座ると、アンジェに視線を向けて言った。


「少々疲れました。……よろしければ、お水を一杯いただけませんか?」










「一体どうゆうことだよっ」


 夜になってくると、酒場にも客が流れ込んできた。旅人らしい姿は殆どなく、このダウンタウンの人間ばかりが寄せ集まっているかのようだった。

 俺たちは酒場の隅のテーブルに席を移し、コソコソと額を突き合せていた。


「おそらく、ここがトゥアスというのは本当でしょう。……実際自分の目で見たはずです」


 俺はグッと言葉に詰まった。たしかに、俺もこの馬鹿でかい国を見た。いや、見たといってもまだ下層のダウンタウンだけだ。クリフの情報によれば、この上に中層階があり、サーシャの弁によれば上には上層階と城が存在するらしい。

 心底困り果てた様子のクリフは、水を口にしながら頷く。


「僕も親切な男の子に会うまで、ここがまさか帝国だなんて思いませんでした」


 後で聞いた話によると、クリフはガキに案内されていたところを、偶然サーシャと遭遇したらしい。まぁ、ガキに拾われてなきゃ、今頃此処には辿り着けていなかっただろう。

 俺は改めてサーシャに視線を向けた。


「そうすると……原因はあの機械か?」

「そうとしか考えられませんね。どうにかして戻る方法を……」


 ふと、サーシャはそう言いかけて、口を閉ざした。俺が振り返ると、アンジェがこちらに近づいてくる。手に持ったトレーには薄桃色のカクテルと、先ほど俺にふるまったのと同じ酒がグラスに入っていた。

 店内の喧噪にも劣らない凛とした声でアンジェはカクテルをサーシャの前に置いた。


「貴女達もオゴリにしておいたから、好きなだけどうぞ」


 カクテルはサーシャに、グラスはクリフに手渡された。アンジェはふとクリフの腕を見て、何かに目を留める。隻腕のため利き手のないクリフは、左手でグラスをとると、アンジェの視線に気づいて首を傾げた。


「?」

「あ、ごめんなさい。……面白い腕時計をしてると思って」


 時計という言葉に、俺たちの視線がクリフの左腕に集まった。腕時計?んなもん、俺たちの時代には殆ど存在しないはず……。

 顔を顰めたのはサーシャだった。


「……クリフさん、それはどこで手に入れたんですか?」


 クリフの手首にあったのは、栗色の革のベルトだった。銀色の文字盤には3、6、9、12の文字ではなく、0、10、20の文字だけが彫り込まれている。

 問いかけられたクリフは、まるで今気づいたとでもいうような表情だった。


「えっ、ええっ??」

「あら、アナーシャさん。貴女もしてるじゃない」


 ふとアンジェが苦笑しながらサーシャの手元に視線を向けた。たしかに、サーシャの腕にも同じようなものがある。ベルトは赤みがかっていて、針は長針が一本、僅かに0から右に傾いているように見えた。

 俺はふと嫌な予感がして自分の腕を覗き見る。すると僅かに、袖の間から黒の革がのぞいていた。


「……どうゆうことだ?」


 アンジェが去って行くのを確認して、俺はサーシャを見る。ローブの袖をまくると、俺のも2人と同じ文字盤の時計だった。クリフは腕をテーブルの上に乗せたまま首を傾げた。


「おかしな数字ですよね……」

「元の時代に戻る手がかりになるかと思いましたが……何の数字か分からなければ、この時計の意味もわかりませんね」


 サーシャは試しに時計を外してみる。てっきり外れないもんかと思っていたが、案外簡単にベルトが取れた。サーシャは何かを考えるように手元を見つめている。俺はため息をつく。とりあえずはこれが死神のカウントダウンじゃねぇことを願うのみだ。

 そういえば、とクリフが腕を下げてサーシャを見た。


「あ、あの、『アナーシャ』って……一体どうしたんですか……?」

「……そのうち分かるでしょう。くれぐれも私の名前を呼ばないようにお願いします」

「呼ばねーように、って……」


 俺とクリフは互いに顔を見合わせる。呆れて笑うしかない。俺たちが言いたいのは、偽名を何故使うのかという疑問と、その最悪なネーミングセンスだ。

 アナスタシアと名乗ったのは百歩譲って合格点をやろう。どっかの鳥にペペロンチーノって名付けたことがあるお前にしちゃ、十分すぎるほど空気が読めてる。が、アナーシャって何だ、アナーシャって。ムリヤリにも程があるだろ。

 そんなことを知ってか知らずか、サーシャはカクテルを口にしながら辺りを見回す。すると、ふと何かに気づいたように視線を止めた。時計をいじっていたクリフも、バーカウンターの方から流れてきた音楽に気づく。

 店員らしき男が楽器を片手に何かを演奏し始めた。球体を真っ二つに割ったところに、弦を張ったもの……昔、ジジイの書庫で見た気がするが……なんつー楽器だったっけな。

 客達が手拍子を始めると、奥のステージにも人が現れた。そこに置かれた楽器に手を伸ばし、演奏を始める。そうして徐々に徐々に音色が増え始めた。


「わぁ……」


 クリフが感嘆の声をあげた。サーシャもステージに目がいっている。たしかに、俺たちの時代じゃ美術や音楽なんてものは物好きの道楽だ。美術なんかは帝国時代の物が高価に取引されることもあるが、音楽なんかは子供の遊びのようなもの。こうやって大勢の人間達が楽しむもんじゃない。

 こんな時代だったんだな、と俺はグラスを傾けながらそう思った。元の時代への戻り方も分からない、そんな状況でも他人事のようにそう思える自分が不思議だ。

 ふと、バーカウンターの方から誰かが背中をアンジェが背中を押されて出てきた。


「やだ、今日は私の番じゃないじゃない」


 嫌だと言いながらも、顔は笑っている。何か文句を言ってはいるが、アンジェが出てくると店の客達の賑わいが増す。口笛をふく奴、アンジェを茶化す奴、手を叩いて喜ぶ奴……なんだよ、男ばっかだな。

 アンジェはエプロンを脱ぐと、スカートを叩いた。客達がどこからか薔薇の花を持ってきて手渡した。楽器を手にしていた男達は顔を見合わせると、無言で合図をした。

 バラバラに聞こえていた音色が、折り重なり奏で始める。ステージ上まできたアンジェは、スカートの裾をつまみ、慣れた様子でお辞儀をした。


「……何だ?」

「しっ……」


 サーシャが人差し指を立てた。

 音色が波のように押して、引いての旋律を奏で出す。すると細い腕が風にゆれる花のように空を切った。薔薇の赤いつぼみが、円を描いて真っすぐに横へ。流れるように腰が動き、しなやかな体が舞踊る。

 客達の誰かが、アンジェに合わせるように歌い始めた。歌声はすぐに数人の声にかわり、楽器もそれを彩る。いつの間にか酒場は小さなダンスホールになっていた。


「……アンジェさん、ダンサーだったんですね」


 小さな声でクリフがそう言った。俺は視線をアンジェに向けたまま頷く。音楽も楽器も姿を消した俺たちの時代には踊り子はおそらく存在しない。

 アンジェの赤い髪は緩やかに動き、人々の視線は一人の女に向けられる。踊るアンジェの姿は妖艶という言葉が最も似合う気がした。深紅の唇が微笑み、薔薇の花を客席へと投げる。男達はそれを取り合い、客達は笑い合った。

 永遠に続くかのような平穏な時間の中……俺もまた、一夜のダンスホールに魅せられていた。


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