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過去の英雄  作者: 由城 要
One knight's story
30/33

第3章 3


 目を開けると、砂塵の中に敵軍が現れる。私は歩きながらワルーン・ソードを一振りした。飛びかかってくる敵を払いのけ、前線から更に先へ。

 太陽を背に、剣先が風を切り裂いた。





  - 過去の英雄 -





 前線から一歩前に出てきた私に、数人の男達が斬り掛かってきた。切っ先で一閃しながらも、歩みは止めない。私はゆっくりと、布陣の中央まで入っていった。ざわめきが辺りを木霊する。ただルシウスだけが見せ物でも見るように私の顔を眺めた。


「なんだ?……影武者がお出ましか。部下に頼るとは、あいつは随分と臆病な人間になったもんだな」


 幅の広い剣を地面に突き立て、ルシウスは笑う。彼はどうやら私のことをまだサーシャ・ルエンの影武者と思っているらしい。部下の男達が私に向かって武器を向けると、将軍はそれを片手で制した。

 眉を顰める男達に、ルシウスは無精髭をなでながら言う。


「……まぁいい。本物を引きずり出すには良い獲物だ」


 私は鼻で笑うと、彼を見る。


「残念ながら、あなた方にはこの辺りで撤退していただきましょう」

「ほう、撤退ね。……一人でここまで来て、そう言うか」


 将軍の目を見つめ、私はワルーン・ソードを握り直す。私は史実を知らない。それでも、ここで彼らに勝利を渡してはならない。それだけは分かっている。

 帝国のルミナリィ計画は、帝国消滅のその日まで続かなければならない。おそらくガルグイユの横暴を許せば、計画の存続自体も危うくなるだろう。


「ええ。私自身のために」


 私はゆっくりと一歩を踏み出した。男達が警戒するように私を取り囲んでいく。しかしルシウスは面白い、と笑うと、包囲網の中心へと歩みでた。

 距離が縮まる。彼が剣を構えた。どうやらサーシャ・ルエンに持ちかけた一対一の戦いを、私相手に行う気になったらしい。

 私は息を吸い込み、僅かに目を瞑る。剣術に頭を切り替えるには鼓動を落ち着かせなければならない。息を吸い、そして吐き。呼吸とともに心音を落ち着かせる。

 体に覚えさせるように剣の柄を握る。いや、実際には感触を通じて体から記憶を引き出しているのかもしれない。


「……」


 目を開くと、砂漠の上空に真っ白な日差しが差し込む。辺りを囲む男達を無視し、私は光の中に立つ男を見た。太陽が照らし出すルシウス。おそらく彼の大義は後の世界の姿に変わるだろう。

 しかし、それは今この瞬間ではない。


「では……始めましょうか」








「そ、それにしてもっ、フレイさん遅かったですねっ」


 剣を振りながら、クリフが俺にそう叫んできた。いつもはギャーギャー言って剣を抜かないくせに、喋りながら剣を振れるとは上等じゃねぇか。今度から雑魚の相手も押し付けてやる。

 俺は心の中でそう近いながら、声を投げた。同時にナイフのように鋭い風が、ガルグイユの一団に襲いかかった。


「あの馬鹿のせいで出遅れただけだっ」


 アナーシャの言葉は、一応聞くだけ聞いた。今この瞬間にその選択をしなかった。ただそれだけだ。

 自由に選択する権利。アナーシャはそう言った。つまり旅を止めるのも続けるのも個人の自由だと。覚えといてやる、と俺は口の中で呟いた。俺も、そしてクリフも、おそらく同じ考えだ。預言書を集めていた時とは違う。俺たちの旅に強制力はなく、くだらない仲間ごっこをしてるわけでもねぇ。

 クリフもなんとなく分かったようだった。すれ違い様にガルグイユの男の脇腹を剣で突く。まだ筋力が足りていないせいか、クリフの周りには負傷した輩が大勢いる。いや、戦意を喪失したヤツにトドメを刺す気がないだけか。


「……あの女は言うこともすることも突拍子ねぇから困るなっ」


 あいつはおそらく分かっている。自分が老いることなく、出会った時と変わらない容姿のまま時が流れていることを。俺達の上には平等な時間が流れているにも関わらず、あいつだけは違う。

 アナーシャは一度ではなく二度も俺たちを置いていったことがあるが、これからは分からない。俺たちがあいつを置いていくことになるのかもしれない。


「僕は……まだ、そんな気にはなりませんっ」


 ふと背をむけたままのクリフがそう言った。俺は視線だけをそちらに向ける。ああ、その通りだ。少なくとも、この時代でそんなことを考える気にはならない。

 あいつと俺たちは何もかもが違う。だからって、そんなことを論じて何になる。あいつはそこにいて、俺たちは同じ道を歩いている。それだけで今は十分な答えだろ。


「そりゃ奇遇だな。俺も同意見だっ」


 右手を空に振り上げると、爆発音が木霊した。










 甲高い金属の接触音と共に、ワルーン・ソードが弾かれた。私は一度間を取り、再び剣を交える。やはりルシウスは力が強かった。サーシャ・ルエンの剣は幾度となく弾かれ、相手の剣が眼前を横切った。

 将軍の剣は幅が広い分だけ重いようだった。攻撃も強いが、代わりにスピードに欠ける。それでも彼の判断力の早さがそれをカバーしていた。私の攻撃を読み、反撃の機会を狙ってくる。

 再び弾かれた剣先が行方に迷った時、彼の剣が右肩を狙って突き出された。咄嗟に身を捩り、体勢を低くする。しかし相手も強い。懐に入ろうとする私をかわし、再び距離をとった。


「……っ」


 呼吸を整える。外野のヤジは一切耳に入れないように努めていた。勿論声援などあってもなくても戦況は変わらない。

 強い者が勝ち残る。一対一の勝負とはそうゆうものだ。

 私はルシウスに接近する。振り下ろされる剣をワルーン・ソードで受け止めた。細身の剣は思っていたよりも頑丈で、叩き付けるような攻撃にも耐えた。奥歯を噛み締めながら、私はジリジリと相手の剣を持ち上げていく。

 フレイさん達には化け物と呼ばれるが、私の筋力にも限界がある。ルミナリィは不老不死であって、最強ではない。

 振り絞るようにして刃を弾き返した。そして相手の眼前で剣を一閃させる。僅かに彼の顎に剣先が通った。真っすぐに赤い切り傷が滲み、血液が滴り落ちる。

 しかしそれを指先で拭い取り、彼は笑った。


「ほう。……確かに影武者というだけあって、サーシャの剣術によく似ている」

「それはどうも。私は母以外に剣術を教わったことはありませんが」


 おそらく母はサーシャ・ルエンから剣術を習ったのかもしれない。どういった経緯かは定かではないが、今のじゃじゃ馬っぷりから見るに、彼女から全てのものを教わったのだろう。王宮から出たことのない小さな王女が世界を知るには、その厳しさを知る者が必要なのだから。

 私は剣を構え直した。息が切れてきた。それでも引く訳にはいかない。

 距離を取ると、ルシウスは私を見て笑った。剣を構え、そして私に問いかける。


「随分奇妙な娘だ。英雄の影武者の割に、力はサーシャに勝るとも劣らない。英雄の他に警戒すべきは側近のロバートくらいと思っていたが、勘は外れたか」

「……フッ」


 私は剣先を下ろすと、口元を隠した。それでも笑いは収まらない。辺りの視線が、困惑するように交差した。それでも、私には溢れ出た笑いを堪えることが出来なかった。

 何がそんなに面白い、と将軍が言う。私は笑いを飲み込むと、ただ一言こう答えた。史実が、と。ルシウスは周りの部下達と同様、眉をしかめた。


「ふむ、やはり奇妙な奴だ。……そういえば名を聞いていなかったな」


 私は呼吸を整えた。笑ったことで、少し体が軽くなったように思う。戦いは無意識に体を緊張させる。それがほぐれたのならば、まだ私にも勝機はありそうだ。

 ルシウスの言葉に、男達の目が私に向けられた。私はチラ、と背後の前線を見る。

 まだ帝国軍の兵士たちは私のいる場所まで到達していない。クリフさんとフレイさんの姿もまだ遠く、サーシャ・ルエンの姿も小さく見える。そして辺りにはガルグイユの男達のみ。

 私は口角をあげた。ルシウスが再度問いかける。


「お前の名は?」

「……そうですね。では、最後にお教えしましょう」


 ワルーン・ソードを構え直し、私は太陽の光に刃が反射するのを見た。足下に現れた私の影が、剣を構えて相手を見る。碧眼の双眸で相手を見つめ、そして私は口を開いた。


「我が名はサーシャ。史実にも残らない、過去の英雄の名です」









 どれくらいそうしていたのかは分からない。俺は体が重くなるのを感じながら、向かってきた敵に再度炎の壁をつくった。体は疲労しているが、敵の数は随分減っている。俺は辺りを見回した。帝国軍は痛手も多いものの、駒は生き残っていた。

 クリフに視線を向けると、あいつも同じように視界の中に敵はいないか探し、そして息を吐いていた。どうやら窮地は脱したらしい。そして向かってくる敵の数も減ってきた。


「……これは……?」


 ロバートもまた、ガルグイユの士気が急激に下がったのを察知したようだった。即座に負傷兵の手当を後方にいた部隊に指示し、サーシャ・ルエンのもとへ歩み寄る。

 英雄サマも同じように、困惑の表情を浮かべていた。


「サーシャ様。ガルグイユが……」

「ああ。ガルグイユの攻勢が衰えた。……一体何が……」


 俺は視線を敵陣営へと向ける。ガルグイユの布陣がバラバラに崩れ始めた。撤退を叫ぶ者、傷を負って逃げ出す者が増えている。

 そして俺はその中に、一つの影を見た。サーシャ・ルエンの所有物であるワルーン・ソードを手にし、残された本陣と向き合う女の姿を。

 その剣には僅かに血液が付着していたが、そいつ自身に負傷の痕は見られない。金と呼ぶより光の色に近い髪を揺らし、そいつは残されたガルグイユの男達を見ていた。

 奴の前には、負傷した元将軍の姿があった。部下達に支えられながら、仁王立ちの女を見上げる。

 何かの会話が交わされた。いや、ここからではその内容は聞き取れなかったが、元将軍だとかいう男が何かを口にしたのは確かだった。


「……」


 しかしアイツは何も答えず、ただ剣を一振りした。部下達が撤退の声をあげ、本陣が引いていく。咄嗟に状況を判断したサーシャ・ルエンが追撃を命じた。やがて拮抗していた二つの勢力は、追う者と追われる者に変化する。

 勝利を確信した帝国軍の声が木霊した。騎馬兵がガルグイユを追って走り出す。自分の横を駆け抜けていく兵達を見つめ、アンジェはゆっくりとこちらを振り返った。

 太陽があのアナーシャ……いや、サーシャ・レヴィアスを照らし出す。クリフが駆け寄っていくのを眺めながら、俺は溜まった疲労を自覚して深いため息を吐いた。

 ジリジリと照りつける太陽の許、サーシャが帝国軍の陣営へと戻っていく。迎え入れるサーシャ・ルエンと、その部下達。多くの歓声を受けたあいつの姿は、トゥアスの英雄のようだった。


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