第3章 1
貴方がかつて夢見たものは、自由だった。それは大きく、それでいて羨ましくなるほどの夢だった。おそらく誰もが夢見る幸せなのだろう。しかし、私には同じ理想は見えない。
私は眠らずに現実を見よう。今と戦い続けよう。
- マイノリティ -
サーシャ・ルエンの剣が太陽の光を反射する。砂漠の乾いた土の上に鮮血が飛び散り、屍が足下を邪魔していた。私は減り始めた帝国兵の数に顔を顰める。ガルグイユの士気が下がらない。
やはりあの将軍は相当なカリスマ性を持っているらしい。死を目の前にしたこの状況で、ガルグイユの男達の目に恐怖の色は微塵も感じることが出来なかった。その瞳に映るのは、勝利への確信、ただそれだけだ。
死を恐れない者は厄介で、敗北の可能性を信じない者は無謀な行動に走りやすい。それはこちらの計算の範疇を簡単に超えてくる。
「アナーシャさんっ」
咆哮が木霊する中、クリフさんの声が聞こえてきた。見ると、どうやら私の後を追って前線まで来たらしい。いつもの通り、レイテルパラッシュは鞘に納められたまま、返り血の痕も見られない。
私はフッと口角を上げた。
「ぶ、無事ですかっ!?」
近づいてくるものの、ガルグイユに飛びかかられ、クリフさんは鞘に入ったままのレイテルパラッシュで相手の攻撃を押し返した。相手は別方向からの軍の攻撃を受け、再び乱戦の中に紛れていく。
敵が誰ともはっきりしない状態だ。私は駆け寄ってきたクリフさんを見る。
「ええ。クリフさんも無事なようですね」
「は、はい。なんとか……」
息を整えようとするクリフさんの背後から、別の敵が槍を突き出してきた。私はスッと体勢を低くすると、その槍を拾った剣で弾き返す。
そして言った。
「では、剣を抜いていただけますか?」
「!」
首だけで振り返り、クリフさんに視線を送る。悠長に離す暇はない。こうしている間にもなだれ込むようにガルグイユの者達が向かってくる。クリフさんは一瞬左腕の中のレイテルパラッシュを見る。それでも、彼の口から拒否の言葉は出てこなかった。
一度帯剣しなおし、左腕で剣を抜く。レイテルパラッシュの白刃が久方ぶりの光を浴びた。過去の預言書の騒動以来、訓練以外でその刀身を見たことはない。
私は笑った。
「訓練の成果、見せていただきましょう」
☆
左手で握るレイテルパラッシュの感覚は、いつも不思議な感覚だった。新鮮だと思い込むように、いつかアナーシャさんに言われたことがある。新鮮。でも言葉を返ればそれは違和感でもあった。
最初は左手での生活に慣れるところから始まって、そして今では左手で剣の訓練をすることができるようになった。それでも、不自由さがなくなったわけじゃない。
「……」
僕は剣を構える。以前よりも抵抗はなくなった。人は斬りたくないけれど、自己防衛ならば仕方ないと感じるようになってきた。
僕は生きなければいけない。右腕を失った理由のため……戦うことを拒んではいけない。
アナーシャさんが弾き返した敵は、今度はターゲットをアナーシャさんに変えて襲いかかってきた。剣でそれを受け止めるアナーシャさん。僅かに視線が合って、僕は頷く。
「っ」
僕は相手の死角に入り込むと、左腕で一閃した。同時に赤いものが空中に舞う。レイテルパラッシュの刃が僅かに濡れた。
血の匂いは先ほどから辺りに漂っている。それを吸って戦う僕らは敵も味方も同じ分だけの罪を背負って戦わなければならない。人の命を奪うという、同じリスクを背負って。
「はぁっ!」
続いて突進してきた相手の体を剣で貫く。深々と突き刺さったレイテルパラッシュが相手の体を貫通する。力を失った屍に蹴りを入れて、刀身を引き戻した。
アナーシャさんに視線を向けると、彼女はまるで剣舞でも舞うかのように敵の攻撃を受け流し、相手の右肩から左脇腹にかけてバッサリと斬りつけた。時には足下に転がった武器を拾い、英雄に劣らない強さで敵を圧倒する。
あれで実は銃撃戦が専門なんていうんだから、剣士の僕としては立つ瀬がない。
ふと、視線を前に向けると、ロバートさんと英雄のサーシャさんの姿が見えた。サーシャさんの首筋に汗が目立つ。状況は徐々に、ガルグイユ優勢になり始めてるんだ。
僕はぞっとして、更に先にいるあの将軍を見た。多分、こちらの疲弊を確認して、あの男の人が出てくる。そうなれば、こちらの状況は不利になる。
「っ!」
剣を振るいながら、僕は感じていた。こちらの士気が徐々に下がっている。劣勢が目に見えてくれば、恐怖が表に出てくる。兵法はあまり詳しくないけれど、実戦経験があれば誰でも分かるはずだ。恐怖は戦いの一番の敵。恐れは隙を生みやすい。
アナーシャさんもまた、それに気づいているようだった。返り血のついた剣を一振りすると、短く息を吐き、後ろからかかってきた敵に刃を向ける。
援軍との合流まで持ちこたえろ、と誰かが叫ぶ。
「援軍……」
僕は振り返って帝国を見る。なんとか城下に入ってきたガルグイユの殲滅は出来たらしい。そこから体勢を立て直して、援軍がこちらと合流するまでどれだけの時間がかかるか。
死者が出れば出るほどに、下級兵達の士気も落ちる。ただでさえ、帝国に対する不信感は心の奥底に根付いているのに。
「……っ」
目の前を弓矢が通り過ぎた。いや、違う、いつかメイの商売道具で見たボウガン。僕ははっと前を見る。V字になっていたガルグイユの布陣が、一列後ろへと下がった。そして後ろにいた人間達が前に出る。次の弓兵がボウガンを構えて、号令とともに引き金を引いた。
アナーシャさんは絶命の一撃を受けた敵が倒れるのを見計らい、その体の盾に矢をやりすごす。僕は倒れた馬の影に隠れた。
「っ……これは」
これは、あまりにも惨い。確かに前線で戦うガルグイユの数も減ってきたけれど、これじゃ敵味方関係なしの攻撃だ。誰も彼もが傷つき倒れていく。その様子はまるで地獄のようだった。
同じことを思ったのか、なんとか降り注ぐ矢の雨をやり過ごした英雄が叫ぶ。
「っ、将軍!!貴方の言う大義とは、犠牲の上に成り立つのか!?」
剣撃を止めたサーシャさんの言葉に、前線を見つめていた将軍は言い放つ。
「我らの命は、やがて訪れる新しい時代の礎となる。彼らは死を受け入れる覚悟をもって戦っている!そうだろう!!」
男達の猛り立つ叫び声。もしかしたらガルグイユは命を賭して戦う覚悟を持った者を前線に送り込んでいるのかもしれない。
全ては、自由と大義のため。呆然とする英雄の前に、再び弓兵が攻撃の構えを見せた。アナーシャさんが顔を上げる。僕も咄嗟に声を上げようとしたけれど、斬り掛かってきた敵に阻まれた。
「……サーシャ様っ!!」
ロバートさんの声に、曇っていた英雄の瞳が我に返ったその瞬間だった。降り注ぐようにして向かってきたボウガンの矢の一本が、彼女の左肩に突き刺さる。
倒れる者たちの中で、彼女の膝も崩れ落ちた。咄嗟にロバートさんがその体を支える。指の間から落ちた剣が、赤く染まった砂漠の砂の上に音を立てて倒れた。
「うっ……!」
サーシャ・ルエンの顔が苦悶の表情を浮かべる。咄嗟に左肩を貫通した弓に手を伸ばし、それを力ずくで引き抜いた。傷口には穴があき、堰を切ったように鮮血が軍服を染めていく。白地に金の縁取りをされた軍服が赤く染まると、彼女は傷口を右手で握りしめた。
「っ、こんなところで……!」
唇を噛み締め、彼女は膝を立てて体勢を立て直そうとする。しかし、左肩の傷は思っていたより深いようだった。
「サーシャ様っ」
ロバートさんは英雄の肩を抱いたまま、再び攻撃に備える弓兵を見た。一度下がらなければ、このままではガルグイユに負けてしまう。それでも、撤退すればこちらの勢いが衰えるのは目に見えていた。
慌てて僕は英雄のサーシャさんに駆け寄る。アナーシャさんも敵を斬ると、彼らに歩み寄った。
「……サーシャ様、一度撤退を」
アナーシャさんは冷静にそう言い放つ。落ち着いて判断すれば、それが上策だった。ロバートさんは英雄に視線を向ける。けれど、彼女の瞳には迷いの色があった。
号令の声が響く。次の攻撃が来る。僕は焦って叫んだ。
「と、とにかく、一度後方に……っ!」
僕の言葉は僅かに遅かった。再び矢が帝国軍に向かって来る。このままじゃ、サーシャ・ルエンだけじゃなくて、僕らの身も危ない。
咄嗟に身を屈めた瞬間、風が鳴く高い音が響いた。
☆
クリフさんの叫び声を聞いた瞬間、ボウガンの矢が降り注いだ。私は咄嗟にクロノスに手をかけた。数えきれないほどの矢をどうにか出来るとは思えなかったが、それでも自分の身を守らなくては意味がない。
しかし、切っ先が兵士達に突き刺さる瞬間、甲高い風の音と共に足下の砂が大きく弾けた。爆発と呼ぶに相応しい勢いで、向かってきた矢の勢いは衰え、木っ端微塵に弾ける。
咄嗟に後方を見ると、そこには見慣れた漆黒のローブが見えた。
「……あーあー、この時代にも魔術師ってのは前線に出てこねぇのかよ。これじゃあ、帝国の行く末も見えてるな」
「フレイさんっ!」
クリフさんがパッと顔をあげた。どうやら援軍と共にここまで来たらしい。私は大きくため息をついて、クロノスに延ばしかけた手を引いた。そして負傷したサーシャ・ルエンを見る。
敵は魔法の力に怯んだようだった。ルシウスが何か命令を出し、弓兵が背後へ引く。
フレイさんはこちらへ近づいてくると、ロバートさんに向かって親指を後方へ向けた。
「お前の用意した後方部隊、頭固いのばっかだな。俺を馬に乗せろっつったのに、まるで聞きゃしねぇ」
「正体不明のの魔術師に言われれば当然だろう」
ロバートさんはそう言うと、援軍に向かって指示を出した。再び白兵戦が始まる。帝国軍とガルグイユが衝突し、戦いは再び激化していく。
英雄は自嘲するように息を吐き出し、そして右腕で額を抑えた。
「新しい時代の礎となれ、か。……どちらが本当の英雄なんだ……」
右腕は自身の血で染まっていた。彼女は残酷な太陽を見つめ、そして俯いた。