第2章 3
例えばこの出会いが一生に一度きりのものだとしても、私はそれでいいと思う。点と点の接触を繰り返して、やがて線が出来ていく。私をつくる大事な点だもの。決して消えないわ。
そして平行線が続いていく。だから、貴方のぬくもりを私は忘れない。
- 赤い幻 -
サーシャ・ルエンのはからいで、祭り前のカタリナと会話を交わす時間を得た。カタリナは普段よりも明るい色のドレスを身に纏い、腰のリボンを物珍しそうにいじっている。化粧を施した顔は人形のようで、赤い紅が唇を強調させている。
ソファに足を投げ出して座っていたカタリナは、私とサーシャ・ルエンを見て、パッと表情を明るくした。退屈だったのか、ソファの足下にはそれまで遊んでいただろうぬいぐるみが散らかっている。
「カタリナ様。アナーシャがお別れの挨拶に来ましたよ」
「……アナーシャ?」
カタリナは一度サーシャ・ルエンに抱きついた後、私の方を見た。小さな碧眼の瞳が、私の顔を覗き込んでくる。全てを見透かしてしまいそうなほど、透き通った色の瞳だった。
私は膝を折り、小さな王女様に視線を合わせた。
「お別れの挨拶に参りました。カタリナ様」
「遠くへ……いくの?」
カタリナは私を見つめながら首を傾げた。私達の時代が遠い場所かは分からない。それでも、カタリナとは再び出会うことになるだろう。私の命の系譜が繋がり、やがてルミナリィが生まれるとするならば。
私はカタリナの頬に手を伸ばす。小さなこの少女の顔と、死に行く壮年の女性の顔が重なる。やがて貴女は知るのだろう。数多の刃に傷つきながらも、自分の命運の行く先を。
荒野に咲く一輪の花のように、強く、そして逞しく。それが彼女……帝国第18王女カタリナ・T・ブレイス。
「ええ。ですが……再びお目にかかる時が来るでしょう」
カタリナは僅かに首を傾げたが、サーシャ・ルエンは微笑んで彼女の背中をさすった。
「生きていれば、人は再び出会う可能性はあるのですよ。カタリナ様」
軍人らしい言葉だ。私は立ち上がり、カタリナに触れていた指先を離した。そのぬくもりを振り払い、深く頭を下げる。生きている時には言うことが出来なかった、全てを込めて。
再び頭を上げた時、私が優先するべきは我々が元の時代に戻ることだけだ。だからこそ、私は深く……小さな王女に頭を下げた。
☆
舞台裏には舞台関係者が忙しなく走り回っていた。右へ左へと行き交うやつらを見ながら、俺は舞台袖からアンジェの姿を見つめる。
アンジェは関係者と最終確認をしているようだった。アナーシャづてに此処で待つように言われ、俺は場違いな気分で突っ立っている。時折行き来する奴らがこちらをチラチラと見ていたが、気づかないフリをすることにした。
ダブルスカートにシルクベールを手にしたアンジェは、幕の下りた舞台で、いくつかポーズをとっていた。風が吹く度に、赤と黄色のベールが揺れる。赤く長い髪が太陽に照らされている。
陽の光を浴びて、舞台上にその影がはっきりと浮かび上がった。腕を振る度に、舞い上がったベールが眩しい。おそらくあと数十分で、この舞台の幕が上がり、アンジェは大観衆の前で踊ることになるのだろう。
歓声と、音楽の旋律と。そんな姿が脳裏をよぎり、そしてふと我に帰る。気づくと、アンジェは最終確認を終えたのか、俺のところへ小走りで近づいてきた。
「フレイ。待たせてごめんなさい」
「いや……別に」
俺は頭をかいた。アンジェは緊張しているのか、いつもより少し早口で舞台を見る。
「まさかこんなに人が多いなんて思わなかった。アナーシャさんとクリフさんは?」
「アナーシャは席を外してる。クリフは客席だ」
「そう……」
ふと沈黙が落ちて、アンジェは空中を見回した。徐々に舞台上を行き来する人間達が減っていく。おそらく本番が近づいているのだろう。アンジェは頬をおさえながら深く深くため息をつく。
息を吸っては吐き、碧眼がこちらを振り向く。
「ねぇ、フレイ。舞台が終わったら感想を貰ってもいいかしら?」
「なんだよ急に。どこが良かった、なんて気の利いた感想は出てこねぇぞ」
俺は音楽やら踊りとかいうモンには全くといって良いほど知識がない。俺が知ってるのは、魔術と、少しの植物学くらいのもんだ。
しかしアンジェは、いいのよ、といって苦笑した。そして姉に似たはっきりとした瞳がこちらに向けられる。
「思ったこと、なんでもいいのよ。貴方の言葉で欲しいの」
「……それは」
強い瞳だった。こうゆう目をしている女は苦手だ。思わず目をそらす俺に、アンジェは静かに問いかける。
「ねぇ、フレイ。貴方は、私のこと……」
その言葉がどう続いたかは分からないが、アンジェが全てを言い終わるより先に、号砲のような音が天空に鳴り響いた。誰もが思わず空を見上げる。
関係者の男達が、晴れ渡った空に打ち上げられた号砲を見上げて首を傾げる。
「何だ、今のは?」
「開始時間はまだだぞ?」
ざわめきが徐々に大きくなっていく。俺は辺りを見回し、そして舞台袖の隅の方にいたロバートに目を留めた。ヤツのところに、数人の部下らしき男達が走り込んでくる。息を切らせて走ってきた軍人達は、ロバートに敬礼すると、矢継ぎ早に報告を口にする。
「第6警備より報告!ダウンタウンの西通りゲートの前に、ガルグイユの一団が現れましたっ!!」
「帝国軍12番隊より、ガルグイユの数およそ三千!近隣諸国の反帝国組織もいる模様、頭はどうやらルシウス元将軍のようですっ!!」
「ガルグイユ……?」
ざわめきはじめる舞台裏。ロバートは伝令達に指示を出すと、部下の一人に迎撃の準備を命じた。そして自身も舞台袖から外へと出ていこうとする。
周りの動揺を感じ取ったアンジェが、とっさにロバートに駆け寄った。
「ちょっ……ちょっと、ロバート!ガルグイユって、どうゆうこと!?」
ロバートは祭りの警備として配置されていたが、腰にはしっかりと帯剣をしていた。ヤツは剣の柄に触れると、アンジェを振り返って言う。
「おそらく祭りの騒ぎに乗じて西門を乗っ取ったのだろう。反帝国の不信感を高めるために、再び襲撃を企てている」
「三千も集めてくるとは……今回は前回の比じゃない、ってか?」
俺がそう言うと、ロバートは顔を顰めてみせた。おそらく本気なんだろう。ダウンタウンの人間は抑圧されている。そこに揺さぶりをかければ、国は大きく傾く。
アンジェが悲痛な表情でこちらを見る。しかし俺は知っている。この国が滅ぶのは……少なくとも、今この瞬間ではない。
「ロバート!」
走り去っていった伝令とすれ違い様に、サーシャ・ルエンが姿を現した。舞台袖を翻す勢いで現れた英雄は、ロバートより先に報告を受けたのか、戦闘準備が整えられていた。後ろには騒ぎを聞いて後をついてきたアナーシャと、挙動不信ながら中を覗き込むクリフの姿がある。
サーシャ・ルエンの登場にロバートは敬礼をした。
「サーシャ様。……ルシウス将軍はどうやら、かなりの数を集めてきたようです」
「ああ。こちらも全勢力で対抗したいのだが……、上は祭りを潰すなと仰っていてな……」
俺がアナーシャに視線を向けると、やつはしっかりと頷いてみせた。
祭りを潰せば、ガルグイユという恐怖がどれだけ強大なものかを国民に教えてしまうことになる。今まで関心のなかった中層階の人間や、上層階にまで不安や疑念が広がれば、国の存続が危ぶまれることになるだろう。国を守ることはお偉い方にとっては誇りかもしれないが、コイツらのようにお偉い方に使われている人間にとっては保身にしか見えない。
アンジェがサーシャ・ルエンに向かって口を開く。
「そんな!じゃあ、姉さん達は待機してる兵だけで相手をしなきゃいけないの!?」
「案ずるな、アンジェ。この国は大きい。何人の兵がこの国を守っていると思う?……少なくとも、祭りに割いた人員は微々たるものだ」
英雄の言葉に、僅かにロバートが目を細める。
サーシャ・ルエンはアンジェの肩に手を置くと、口角を上げた。手にはめられた厚手の革手袋が、ベールを撫でる。
「……大丈夫。いつも私は帰ってきただろう?今回も帰ってくるさ。我が妹の晴れ舞台だからな」
「姉さん……」
英雄の微笑みに、最悪の可能性は微塵も感じられなかった。それはおそらく慢心ではなく、人を安心させるためにそう見せることが出来るのだろう。
サーシャ・ルエンはロバートに視線を戻した。
「ロバート。部隊を3つに分けて砂漠に出る。私が先陣を切ろう。編成は任せた」
「分かりました」
そう言ってロバートが出ていく。アンジェはバタバタと出ていくロバートと部下達を見送り、そしてサーシャ・ルエンに視線を戻す。英雄は剣を携えると、アナーシャに向かって声を投げる。
「アナーシャ。最後まで騒々しくしてすまない。……今後のキミ達の旅路に、幸運を願う」
俺は視線をアナーシャに向けた。舞台袖から入ってきたクリフもまた、アナーシャを見る。腕を組んだまま事態を静観していたバケモノ女は、首を横に振った。
そして言う。
「我々もご一緒しましょう。クリフさん」
「えっ……ええっ!?」
素っ頓狂な声を上げるクリフの襟を背後から掴み、アナーシャは英雄称号16号を見る。
「アナーシャ……これは私達の問題だ。これ以上、お前達の手を借りるわけには……」
「我々はどうしても西のゲートを通らなければ行けない。ただ、それだけです」
じっとアナーシャはサーシャ・ルエンの目を見つめる。強い瞳だ。それだけで人を射殺すことも出来そうなほど、強い瞳。
それに、とアナーシャはクリフを前に押し出す。
「彼も元は兵士の端くれですから、戦力にはなるでしょう」
「うえぇえ!?サー……アナーシャさん!?」
半分失った右腕が抗議の意味を込めてばたばたと動いているが、肝心の手がなければ抗議にもならない。……まぁ、どうせこの女に口で勝てる奴なんていねぇんだけどな。
アナーシャは有無を言わさず、クリフの背中を押すと、ロバートに同行するように言った。クリフは半泣きながらも舞台袖から出ていく。
サーシャ・ルエンは深くため息をついた。
「……すまないな、アナーシャ」
「いえ、構いません。私は後から行きますので、サーシャ様は先に」
英雄は何度も、すまない、と繰り返し、そして舞台から去っていった。アンジェは不安そうにその背中を見つめている。アナーシャもまた、彼女の後ろ姿を目で追った。
ざわめく舞台上。俺はアナーシャの背中に問いかける。
「……で?俺は別行動ってか?」
「構いませんよ、此処に残っても」
アナーシャは唐突に、横顔でそう言った。俺は顔を顰めてバケモノ女を見る。するとヤツは振り返り、そしてこちらを見つめた。鋭利な刃物のように鋭い瞳と、光の色に近い髪。同じ舞台の上でも、この女が立つと別空間のように思える。
砂漠の太陽と、照りつける残酷な日差し。浮かび上がる影すらもこの女を形成する一部に見える。
「……お前な……」
俺は言葉を探して、ようやく辿り着いた言葉を口にしようとした。しかし、それすらも簡単に断ち切って、アナーシャ……いや、サーシャ・レヴィアスは言う。
「今だから言っているのではありません。今でも、この先の未来でも……お二人には選ぶ権利があります。それだけは覚えておいて下さい」