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過去の英雄  作者: 由城 要
One knight's story
25/33

第2章 2


 生命と生命の連鎖は数多に存在する。それは呆れるほどに多く、誰もがその軌跡すらも知らない。それでも、その足跡の先に彼女の道がある。

 たとえ不老不死の犠牲になろうとも、帝国の欲望の渦の中にやがて巻き込まれるのだとしても。全ては、やがて生まれる彼女のために。





  - 不可解な数式の解 -





 祭りが翌日へと迫り、私はアンジェさんの店で夕食をとるために訪れた。祭りの前日とあって、店は満員でカウンタ席しか空いていない。丁度今夜のステージが終わった所だったのか、踊りの衣装を着たアンジェさんが私のところへと歩み寄ってきた。


「アナーシャさん。来ていたのね」

「今来たところです。どうやら今日のステージは見逃してしまったようですね」


 楽器を持った男達がステージ上から去って行く。アンジェさんは微笑むと、ちょっと待ってて、と言ってバーテンダーを呼んだ。私は注文を頼むと、窓の外を見る。

 街の賑わいは日に日に増していった。宿は中層階もダウンタウンも満員だと聞く。注文の品が出てくるのを待っていると、衣装から着替えたアンジェさんがカウンタに戻ってきた。


「待たせてごめんなさい」


 注文した食事を目の前に並べると、バーテンダーから受け取ったカクテルを差し出す。カクテルグラスは二つ用意さていた。乾杯、と言ってグラスがチンと音をたてる。

 アンジェさんの様子に、私は苦笑した。


「今日は無礼講ですか」

「ええ。……そうじゃないと、緊張でやっていられないもの」


 たしかに、下町の踊り子が王宮の催しに招待されるのは異例だろう。私はグラスに口をつける。甘くとろける液体が、味覚を刺激した。

 私は賑わう店内を見回す。ガルグイユの襲撃のことなどすっかり忘れ、誰もが酒と食事に舌鼓を打っている。ふと、私はアンジェさんを見上げた。


「……そういえば、アンジェさんはルシウス将軍のことはご存知ですか?」


 踊る前にも軽く酒を飲んでいたらしいアンジェさんは、少し柔らかな目元で私を見る。


「ええ。姉さんの上司だった人で、何度か此処に来たこともあるわ。直接話はしなかったけど、姉さんはとても尊敬してるみたいだった」


 アンジェさんはグラスを置くと、深くため息をつく。

 おそらくサーシャ・ルエンがガルグイユと戦うことに躊躇いを感じるのは、そのせいなのだろう。私はグラスを傾ける。中の氷が滑りながら螺旋を描いた。

 アンジェさんは静かに苦笑を浮かべる。


「結局、人は自分の手の大きさの分しか、人を幸せに出来ないのよね……」


 ふと私は顔をあげた。自分の手の大きさの分しか、人を幸せに出来ない。どこかで聞いたことのある言葉だ。グラスの水面に浮かぶ気泡を見つめ、私は記憶をたぐり寄せる。


「そう考えると、姉さんよりあの人の方が、現実を分かっているみたい」


 全てを救おうとする英雄と、救うべき人間のために全てを敵に回した将軍。私はグラスを置くと、アンジェさんに視線を向けた。

 糸をたぐり寄せるように過去を振り返る。そして、思い出す。人は自分の手の大きさの分しか、人を幸せにできない。誰かが同じことを言っていた。誰、といえば思いつく人間は一人しかいないが。


「人は自分の手の分しか、人を幸せにできない」


 記憶に合わせて、私は目をつむる。そして一度息を吸い込むと、続く言葉を口にした。


「しかし……その手に触れた者の数だけ、記憶に残ることが出来る」


 その手で人を救い、その手で励まし、その手で数々の人間の記憶に残る。記憶に残るということは、何者にも代え難い自身の幸せとなりうることもある。

 耳に蘇ったきっかけは、おそらくそれが彼女らしからぬ言葉だったからかもしれない。幸せなどという言葉を彼女は殆ど口にしなかった。だからこそ、覚えていたのかもしれない。

 私の言葉に、アンジェさんはふと驚いたように目を見開いていた。


「記憶に……。……ああ、そうね。そうかもしれないわ」


 私達の時代には忘れ去られるであろう英雄は、自分の手の分しか人を幸せにすることが出来なかった。それでも、その手に触れた者の記憶に残り、その手に助けられた者達の記憶の中に生きている。

 英雄称号。ふと、アンジェさんは私を見た。


「あの言葉に続きがあるなんて知らなかったわ。……アナーシャさんは、それをどこで?」


 アンジェさんの頭上で光が室内を照らしている。眩く温かな光は彼女の髪を白く染めた。碧眼の瞳が私を見つめている。その瞳に映る私の姿。

 私はグラスを傾けながら笑う。


「母に……いえ、母に教わりました」


 口内に広がる酒の味に酔いながら、今宵も夜が過ぎていく。









 朝日が昇るのを、僕は絶望的な気持ちで迎えた。18王宮の祭りの当日。今日が、期限の日だ。一晩考えても、パスワードなんて思いつかなくて、僕は目の下にクマをつくりながら部屋を出た。

 中央の部屋にはフレイさんがいて、真っ赤な目を擦りながら本を読んでいる。多分、僕と一緒なんだろう。あくびをしながら僕に気づいて、低い声で言った。


「……早ぇな」

「フレイさんも……」


 僕もフレイさんのがうつって、大きくあくびをした。そしてサーシャさんの部屋を見る。昨日は夜に何処かへ出かけていったようだったが、今は部屋にいるようだ。ドアストッッパーがかけられた扉が、半開きのまま止まっている。

 僕は目尻の涙を擦ると、サーシャさんの部屋に顔を出した。


「サーシャさん。おはようございま……」


 挨拶は途中で止まった。ぽかんとしている僕に、フレイさんが首を傾げて近づいてくる。そして僕の気持ちを代弁するかのように、呆れ返ったフレイさんがこう言った。


「お前……部屋どうしたんだよ」


 サーシャさんの部屋の中は、最初に来た時のように綺麗に片付けられていた。荷物も必要最小限に抑えられ、今からでも旅に出れそうなくらいに収まっている。サーシャさんは荷物を背負うと、ホルスターにクロノスとカイロスを入れる。

 振り返る光の色をした髪。サーシャさんは僕らを見ると、ため息をついた。


「無論、準備を整えていたのですが?」

「じゅ、準備って……お祭り、行くんですよね?」


 僕の言葉に、サーシャさんは頷いた。


「ええ。18王宮に顔を出した後、アタランテに向かう予定です」


 帝国からアタランテまでは、馬で数時間かかる。フレイさんは呆れた様子でサーシャさんを見た。


「……お前は是が非でも戻るつもりらしいな」

「残りたいというのならば止めませんよ、フレイさん」


 サーシャさんはそう言ってフレイさんを見る。じっと見つめるだけでも、かなりの威圧感のある瞳。僕は2人を交互に見て、そして首を傾げる。

 サーシャさんは髪を耳にかけると、開け放した窓から外を見る。お祭りには絶好の晴天だ。砂風が舞い上がって、果てしない地平線へと向かっていく。


「……お二人には自由に選ぶ権利がありますから」


 四角い窓で切り取られた、町並みと青空の風景。それは清々しいくらいに美しくて、それでいて悲しい色をしているように思えた。









 第18王宮は、馬鹿でかい城だった。少なくともこれが他に17もあるってこと自体、信じがたい話だ。この土地の全景を俺は見たことがないが、やはり世界を統べる国。王宮一つとっても他の国を圧倒できるに違いない。

 サーシャの案内で上層階に入った辺りから、俺とクリフはそわそわしていた。徐々にダウンタウンにいるような貧相な奴が減り、容姿も服装も、いかにも金持ちらしい奴らが増えてくる。隻腕のチビ剣士と、不良崩れの魔術師は場違いなことこの上ない。

 18王宮は王宮の手前に広がる庭園を祭りの会場として開放しているようだった。昨日今日設営したらしいステージと、それを囲むようにして集まるギャラリー。思っていたよりも客の数は多そうだ。


「あっ、お兄ちゃん!」


 ふと振り返ると、後ろをついてきたクリフにガキが駆け寄ってきた。この妙な帽子に、脇に挟んだ筆と本。ジジイの書庫で芸術の本を見たことがあるが、あれに出てくる芸術家とかいうやつにそっくりだった。違うことといえば、年がまだガキで、威厳のありそうな髭を生やしていないことか。


「ユーリー。来てたんだね」

「勿論。有名な踊り子さんが来るっていうから、偉い人に頼んで招待して貰ったんだ。ところでお兄ちゃんは?野次馬?」


 野次馬ならここ入っちゃいけないよ、というガキに、クリフが困った顔で頬をかいている。どうやらガキにまで下に見られているらしい。俺は隣で笑いがこみ上げるのを必死に堪えていた。


「ち、違うよ。僕らも一応招待されて……」


 ふと人混みの向こうを見ると、いつの間にか離れたところにサーシャ……いや、アナーシャの姿があった。その隣にはもう一人。クリフの後ろにいたガキが、パッと顔を明るくする。


「あっ、サーシャ様だっ!」


 サーシャ・ルエンは英雄だけに許された軍服を身に纏い、部下に指示を出しているようだった。傍らにはロバートの姿もある。アナーシャに気づくと、英雄サマは笑顔で奴を出迎える。

 アナーシャは何かを2人に話しているようだった。おそらくそんなに重要な話ではないだろう。隣を見ると、ガキが食い入るようにサーシャ・ルエンの姿を見つめていた。


「ゆ、ユーリー。そんなにまじまじと見なくても……」

「そんなこと言ったって、サーシャ様を見られるなんてまたとない機会なんだよ!いつか絵のモデルになって欲しいなぁ」


 うっとりとそう呟くガキに、俺は煙草をふかしながら呟く。


「モデルになってもらうんじゃなく、モデルにさせるんだろ。チビ」


 芸術家ってのは偏屈な人間がなるもんだ。いつか誰かが言っていたのを思い出す。俺がそう言うと、チビガキは俺を見上げ、そしてフン、と鼻を鳴らす。


「……確かに、自分で売り込むうちはまだ半人前だよ。でも、僕だっていつか国から依頼されるくらいの画家になるんだ」

「ユーリーなら、なれるよ」


 クリフがなんの根拠もなくそう言う。ガキはクリフをじっと見上げ、そして笑う。

 煙草を加えた俺は、もう一度サーシャ・ルエンに視線を向けた。舞台袖の近くでは関係者とおぼしき人間が行き来している。足を止めているアナーシャの視線が、ふと舞台裏へと向けられた。

 チラっと袖から顔を出したのはアンジェだった。何かを探すように人混みの中を見渡し、アナーシャと会話を交わすと、2人揃ってこちらを振り向く。目が合った俺は、静かに苦いため息を吐いた。

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