第1章 4
私は彼女から聞いていた。祭りには世界中の誰よりも美しい踊り子が来ると。私は楽しみで仕方がなかった。
赤い髪をしたその女性と彼女は似ていないと誰もがそう言っていたが……優しく、そして悲しげに微笑みかけるその笑顔を見て、彼女達はよく似ているとそう思った。
- 親愛なる王女様 -
上層階へ繋がる門の前に立つと、アンジェさんは証明書のようなものを警備の人間に渡した。門が開かれ、上層階の風景が眼前に広がってくる。私は素知らぬ顔でアンジェさんの後について歩き出した。警備兵の何人かが奇妙な顔でこちらを見ていたが、あえて気づかないふりをする。
王宮の前に辿り着くと、門の前にサーシャ・ルエンの姿があった。白地の軍服が他の軍人たちと格が違うことを示している。アンジェさんは軽くため息をつき、姉のもとへと歩み寄る。
「ようこそ、アンジェ。……アナーシャも来ていたのか」
「……仕事はいいの?姉さん」
アンジェさんが呆れた表情でそう言うと、サーシャ・ルエンは笑って頷く。
「ああ。急ぎの仕事は全て済ませておいた」
「呆れた人……」
サーシャ・ルエンは苦笑し、私とアンジェさんを王宮へと誘う。2人が敷地内へと足を踏み出すのを見つめながら、私は改めて第18王宮を見つめた。
晴天の空に大理石の壁が映える。ふと私に気づいたサーシャ・ルエンに呼ばれ、私は2人の後を追って歩き出した。
「第18王宮でも、開放されるのはこの正門前のスペースだ。あの噴水の辺りに舞台を設営する」
サーシャ・ルエンはそう言って王宮の東にある噴水を指し示した。噴水の周りは円形に窪んでいて、階段状になったその下に噴水が吹き出していた。どうやら当日は水を止め、その上に舞台を作るらしい。職人らしき男達が舞台の骨組みを作っているところだった。
装飾用の花を持った女性達が、私達の横を忙しなく通り過ぎる。私はそれを目で追いながら、ふと王宮の入り口の前に視線を止めた。
「とりあえずアンジェは控え室に案内しよう。その後は、祭りの関係者と打ち合わせを……」
「……サーシャ様。カタリナ様が外に出ているのですが」
驚いて振り返った英雄に、私は王宮の門の前の階段に座るカタリナを示した。カタリナは地べたに腰を下ろしたまま、目の前を行き来する者達を物珍しそうに見つめている。金色の髪を揺らし、子供らしい大きな瞳がキョロキョロと辺りを見回していた。
「……カタリナ様っ」
サーシャ・ルエンはカタリナに駆け寄ると、周りの者達に気づかれないよう声を潜めて彼女を呼んだ。祭りを前にして外部の人間が出入りしているこの時期に、外に出るのは危険なのだろう。しかし、カタリナは私達の姿を見つけると、目を丸くした。
「カタリナ様、祭りの日までは王宮から出ないと約束したはずですよ」
「うん」
カタリナは頷くと、自分が座っている階段を指差した。首を傾げるアンジェさんの隣で私は苦笑する。確かに、宮殿の建物は扉の前のこの階段までを指す。子供ながらの屁理屈にサーシャ・ルエンが額を抑えた。
「……カタリナ様、王宮から出ないというのは、外に出ないという意味で……」
「あ……サーシャの言っていた踊り子……」
サーシャ・ルエンの言葉を遮り、カタリナの青い瞳がアンジェさんに向けられた。アンジェさんはぎこちないものの、スカートの裾を持ち。カタリナに頭を下げた。
「あ……アンジェリカ・ルエンと申します。カタリナ様」
「アンジェ。知ってる……」
カタリナは立ち上がると、アンジェさんに歩み寄り、じっとその瞳を見つめた。遠慮もなく見つめるカタリナに、アンジェさんの碧眼が困惑している。
助けを求めるようにアンジェさんがこちらを見たとき、舞台の方から走ってきた軍人の一人が、サーシャ・ルエンに向かって声をかけた。
「サーシャ様!祭りの警備の件で、担当からお話があるそうです」
「ああ、こうゆう日に限ってロバートはいないのか……。全く、忙しない一日だな。済まないが、彼女達とカタリナ様を客室へ連れて行ってくれ」
サーシャ・ルエンの言葉に、アンジェさんが不安そうな顔をした。カタリナは命令された軍人より先に頷くと、アンジェさんの手を取って宮殿の中へと歩き出す。オロオロしているアンジェさんに苦笑しながら、私は案内を任された軍人と共に歩き出した。
☆
客室では、やはり部外者と王女を一緒にするのは危険だと判断されたのか、女中一人と軍人が部屋の隅に待機する形となった。アンジェさんは落ち着かないのか、困ったように私を見る。先ほどからカタリナはアンジェさんに寄り添って、他愛もない会話を続けている。
「……ええと、カタリナ様?」
「何……?」
アンジェさんはカタリナに懐かれる理由が分からず混乱しているようだった。確かに、子供が初対面の相手にこれだけ警戒心を持たないのは珍しい。私も最初に顔を会わせた時は人見知りをされていた。
「あの……先ほど仰られていた、私のことを知っているというのは……」
言いづらそうにそう呟く彼女に、カタリナは首を傾げた。しばらく何かを考え、そして口を開く。
「サーシャが……アンジェのこと沢山、教えてくれた」
だから知ってる、とカタリナは目を細めた。ソファから降りると、くるりと回ってスカートの端をつまむ。もう片方の手で胸の辺りを抑え、片足を引く。いつか見たアンジェさんの舞いにそっくりの動きだった。
私はアンジェさんを見る。おそらく、サーシャ・ルエンはカタリナに自分の妹の話を聞かせているのだろう。しかもカタリナが真似たこの動き。よほどアンジェさんの話を聞くのが好きなのだと分かる。
「アンジェはいつも、ダウンタウンの酒場で踊ってる。踊ると……みんなが笑顔になる」
「それは……」
舞いにそこまでの力があるかどうかは分からない。酒の力、音楽の力、一体化した客同士の雰囲気……そんな諸々のものが集まって、あの空間が存在する。それでも、それが一つでも欠ければ成立しない。
アンジェさんが俯くと、カタリナはその顔を覗き込んだ。
「アンジェはどんなことがあっても踊るって聞いた。雨でお客さんが少なくなっても、踊ってるんだって」
私はふと、ガルグイユの襲撃のことを思い出した。あの日も確かに彼女はあの酒場で、舞台の準備をしていた。
おそらく、サーシャ・ルエンはあの酒場に通っているのだろう。妹が毎日、小さな酒場で踊るのを、気づかれないようにしながら見ている。
ふとカタリナが瞬きを繰り返した。アンジェさんは私に見えないように顔を逸らして目元を擦ると、小さな声で呟く。
「あの人……本当に過保護ね。馬鹿みたい」
カタリナが困ったように私を見る。私はそれに微笑み返し、そして口を開いた。
「おそらく……アンジェさんが踊る理由と、サーシャ様が戦う理由は同じなのでしょう」
客がいなくても踊る。全てを救うことが出来なくても戦う。必要なのは動機ではなく、自身に出来ることをしようという意識。それが戦いという大きな目的でもあり、客を喜ばせるという小さな目的でもある。
カタリナはもう一度アンジェさんの隣に座ると、向こうの窓を見つめた。外では祭りの準備が続いている。
「……アンジェとサーシャは、とても似てる」
カタリナはそう言うと、僅かに顔をあげたアンジェさんに無邪気な子供らしい笑顔を向けた。